ゼフィルス、結婚は嫌よ

私が商売女だとでも云うのか?!

彼と交際して以来気になって何度か業界雑誌などで写真を見ていたけど実際に会うのはこれが始めてだった。私の名前を確認してから彼は対面の席に腰かけた。呆気にとられる私の前で老紳士は、歌劇・椿姫におけるアルフレッドの父親よろしく、息子に彼の〝プロバンスの海と陸〟を語ったこと、その結果息子は了解したがそれを私に告げる勇気がないこと等を、私を気遣いながらもしかし毅然と告げてみせた。言葉を失う私の前で彼は小切手帳を取り出し、そこに数字を記してちぎってよこしたのよ…』ふふふ、どう?惨めでしょ、わたし…と義男の反応をうかがうがその義男は無表情だ。惑香は追想の足らぬ部分をさらにイメージした。
『…そこには500万円の額面が記されていた。しかしその瞬間、私は事ここに至る自分の性根を見せつけられた気がしたのよ。小切手の上に額面ではなく「これがお前の性根だよ。財産目当ての女狐め」とでもする一文を読んだような気がしたの。私はくちびるを戦慄かせて老紳士の目の前でその小切手を破いてみせた。私がその椿姫、商売女だとでも云うのか。私は「(彼が)そんな人だとは思いませんでした。婚約はこちらからお断りします!」と、そうひとことを云って止めるのも聞かずに木枯らしの街へと飛び出して行ったのよ…』
往時を偲んで唇をかむ惑香の前で義男は飽くまでも静かだ。あたかも惑香の心中のモノローグを読んでいるかのようにさえ思われる。そんな自分への抱擁を思わせる義男の前で惑香は語らずもがなのことまでモノローグしてしまうのだった。
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