阿漕の浦奇談

璋子昇天

虚空の二組の西行(義清)と璋子、その追いかけごっこを見詰めているこちらの西行と璋子、この三組の西行と璋子はあたかも、いや文字通り「魂」と「心」と「現実」のそれぞれの姿と云えよう。西行が「わかりますか?璋子様。彼の追いかける側のわたしとあなた様が、いやかつてのわたしとあなた様が、いかに自分の都合と表層の知識と学問のみで、理想と安寧を求めていたかを…。それがわかりますか?」と問うのに「はい、わかります。法師様による禊のお陰をもちまして、いまは手に取るようにかつてのわたしの愚かさがわかります。理想を求めるにはいかに毛離(が)れ(※蛇の脱皮を指す。かつての蛇信仰からの言葉で‘新生’を意味していた)が必要か、形のみの得度ではない、こころからの得度が要るのかが…いまは本当によくわかります。ほ、法師様…長年の、尊いあなた様の修行の果を、わたくしごときに賜りまして、あ、ありがとうございました!」といまは俗世の中宮だった立場もすっかり忘れ果て、西行からの仏恩のありがたさにただ感激するばかりの璋子であった。それに「恐れ多いことを。こちらこそ出家への機縁をあなた様からいただいた身。そのご恩を返したいがゆえの一心からでございます。その阿漕の浦の真相をもお見届けいただいたからには、いまはもはや、かつてのわたしとあなた様のあの哀れなる景(=無益な追いかけっこ)を放り置くのもいかがなものでしょうか。われらも上がりて、かつてのあなた様と義清めを、われらに繋ごうかと存じまするが…」と答え、さらに誘うのに「はい、でもどうすれば…」璋子が逡巡する間もあらばこそ、ぐいっとばかりに二人の身は上空にあがり、たちまち俗世の西行と璋子に追いついて、慈愛のなかにそれを融合させながら、さらに上なる魂の二人を追い始めた。かの浄光の一点が神々しくまばゆく、みるみる近づき、ひろがって来る。前の二人はその中へと飛び込み永遠の、黄金の光へと変じたようだ。時空の失せた、‘今がすべて’の原初の世界がいまや眼の前だ。「璋子様、御国ですぞ!」最後の西行の言葉に「はい。嬉しい!おお、神よ、仏よ、み光よ!われを許したまえ。夫(つま)を、皇子らを許したまえ。堀河を…やしないたまえ」と璋子はみそぎつつも「法師様、西行様、いずこへ…」と今はかききえた西行の姿を、結んでいた手を追い求めた。返事のかわりに皇子たちの声が聞こえる。生まれかわった自分の声がする。今生の失敗をみそがんとする未来世の乙女の姿が、見える!「こんどこそ、こんどこそ…」と決意する璋子の耳に、いや魂に「われはともにあり。君のまわりいっさいこれすべて我なり。永久に御随行つかまつるべし」なる言葉が、いや西行の魂の波動が伝わって来た。妻春子を、娘花子をないがしろにしたおのれなど、今後いっさい転生かなわずとする法師の、利他そのものに変じた魂の波動が…。
 さて物語はこれで終りではない。すべての人間が抱く阿漕の浦の夢を、しこうしてその失態を、我々は未来世において繰り返しつつもしかし禊がねばならない。魂と、心と、現し身は、すなわち人の世の理想の姿は、はたして地上で合一し、現出するものや否や…。 
 しかし璋子の桜花はたしかにいま散った。はた今そは美しからずや。精いっぱい生き、咲いて、散らせばなり…。

―小説返歌―
「願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ」              
                           ―西行法師

< 20 / 20 >

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

  • 処理中にエラーが発生したためひとこと感想を投票できません。
  • 投票する

この作家の他の作品

行きます!ストーカー歌集…😭

総文字数/8,787

詩・短歌・俳句・川柳12ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
和歌集ですけど、とても奇異な和歌集…^_^; 中身はぜんぶ実話ですよ。ストーカー被害に遭っている人たち、ぜひ目を通してくっださいね。
バー・アンバー 第一巻

総文字数/80,459

ミステリー・サスペンス108ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
この「バー・アンバー」という作品自体が編集部によって規制or削除されないか心配です。U18の設定をしているのですが性的描写などが過激過ぎると判断されたら…。しかし実は決してアダルト本位の小説ではないのです。女流詩人の吉原幸子の詩「オンディーヌ」内にある「ふたつの孤独の接点がスパークしてとびのく…」に見られる、肉体が結ばれても決して完全には理解し得ない、結ばれ得ない人と人との間の絆、なかんずく男女間のそれ。この謂わばブラックホールのごとき得体の知れない人と人との絶対的な隔たりを理解し、(できれば)これを解消したいと、大それた主題を含む小説でもあるのです。さらに一項を持ち出すならかのE・スェーデンボルグの奇書「霊界日記」内にある〝霊界における結婚式〟を上げたい。霊界における結婚とは男女それぞれの霊が結ばれて何と霊体までもが一つになってしまうのだそうです。すなわち2人が1人になるという完全なる合体です。これを上記「オンディーヌ」の隔たりを超え行く上でのゴールと見ますと、その心理的な有り様と経過を私は小説内で模索せねばなりません。以上手前味噌ながらこのような醍醐味を持つ作品ですので、このあたりを読者におかれても、また編集部におかれてもお汲みいただければ幸いです。by多谷昇太。
祇王と仏午前・猫物語

総文字数/7,574

恋愛(純愛)12ページ

表紙を見る 表紙を閉じる
 平安時代の昔、あの絶大な権力者だった平清盛に囲われた白拍子がいました。名は祇王。白拍子とは今で云えば芸能人となるでしょうか。いまの芸能人たちはステータスシンボルであり、万人の憧れの的ですが、昔の白拍子たちは必ずしもそうではありません。権力者やお金持ちに囲われれば天国ともなりましょうが、飽きられて捨てられたら一転地獄となってしまいかねなかったのです。住む家もなく、野山に庵を建てて住まうことともなったことでしょう。実は他ならぬこの祇王もそうだったのです。自分の妹分だったのでしょうか仏午前というもうひとりの白拍子を清盛に紹介し、自分と同じように取り立ててもらったのですが、清盛はやがてその仏午前ばかりを重用するようになり、祇王は捨てられてしまいます。ひとりわびしく野山に庵住まいをする祇王。ところが…年を経てからこんどはその仏午前も捨てられてしまい、ほかに行く当てもなかったのでしょう、ふたたび姉貴分だった祇王を庵にたずねてまいります。祇王は彼女をやさしく迎えたと思われます。そう云うのには祇王が残した和歌が今に残っているからです。「もえいずるも枯るるも同じ野べの草いづれか秋にあはではつべき」なる一歌。しょせんわたしたちは野べの草、過去は一時の夢とあきらめて、朽ち果てるまでここで仲良く暮らしましょうとでもするようなこの歌にそれが読み取れましょう。さて、実はこの逸話に加えていまひとつ私はこの小説に主題を添えてみたい。それは「シャーロットの女」というイギリスの画家ウォーターハウスが描いた絵の主題をぜひここに入れてみたいのです。それについてはあとのお楽しみ、祇王の逸話とともにどうぞ小説内で存分にご堪能ご確認ください。さあ、ではどうぞ。小説の世界へ。

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア

pagetop