阿漕の浦奇談
第二章 御歌(ぎょか。天皇や皇后がつくった和歌のこと)

出家に際して佐藤義清(西行法師)が幼い娘花子を蹴り飛ばしたって本当?…

みずからの領地田仲庄の館に帰って文袋の紐を解く。そこにはくくられた中宮の御髪と心付けが、そして桜模様の浮かび上がった唐紙が入っていた。御歌が認められている。「うつろいの花こそ散りね散るならば西方行きて花においせむ」あさましや出家後の妻子への扶養はともかく、自らへの扶持さえも万端怠りなくしつらえた我身など、死を覚悟したかのような中宮様の御歌から見れば、まこと遊びごとごつ数寄者でしかないと、つくづく思わざるを得ない義清であった。せめて、出家後の法名に御歌の意をいただいたものかどうか、そこまではわからない。しかし桜花の散りざまを誓願とする西行の本懐の所以とはなったであろう。
               
―小説返歌―
「おもかげの忘らるまじき別れかな名残(なごり)を人の月にとどめて」
「嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな」
                        ―上二首、西行法師

       【娘を蹴飛ばして出家する佐藤義清……真や否や?】
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