クワンティエンの夢(阿漕の浦奇談の続き)
第六章 クワンティエンの伝説

「クワンティエンの伝説」という伝説がベトナムにはあるのです。はて、その内容とは…?

 鳥羽が「もう止めて」と辞退したデリシャスな郁子のサンドイッチを何個でも、次々と口に頬張りながら、その鳥羽のたくみな問いかけに口をモグモグさせながらでも答えてみせる旅の僧。制止したにもかかわらず‘世の不適合者’を招じ入れてしまった亜希子に社会勉強をさせてやろうとばかり、自らのプロフィールを鳥羽は僧に語らせるのだった。
「ほー、ほな、坊さんの資格もないのに僧形をしてまんのか?ハハハ、それはそれは。で、なんでそんなことを?なんぞ、身内の不幸か、えげつないことでもありましたんか」と一見親身に、彼の境遇に寄り添うがごとく鳥羽が促すと、普段から話し相手に就中聞き手に飢えているのだろう、得たり賢しとばかり僧はとにかくよくしゃべった。これと云った不幸はなかったがとにかく世渡りが下手だったこと、気が弱くて仕事が続かず転職が数え切れぬこと、為に万年金欠はなはだしく妻帯の経験がないこと等々、普通なら自らを恥じて決して口にしないことを、晒すがごとく滔々と開陳してみせる。しかしどうもそれは、最後に決めてみせたことへの導入とすべき枕詞だったようでもある。いみじくも僧は「いやあ蓋し、この身の不徳も思えばむしろ福運だったようです。御存知だろうか。彼の種田山頭火のごとく、また西行のごとく、‘世を捨ててこそ身をも助けめ’の境涯に至る、天の導きだったと思っております。持たず耕さず、(空を見上げながら)あの雲のごとき、今こそが至福の身です」と力強く決めてみせた。しかしそう云う彼の目はいたって寂しげな、年に似つかわしくない、あたかも放り捨てられた子供のような目をしている。すれば一同すぐに彼における真実のあたりを見抜いてしまうのだった。おおむね彼に同情しながらも、取って付けたような、あまりにもわざとらしいその天衣無縫ぶりに吹き出しもしてしまう。いかに行雲流水をよそおうとも、またいまさら時代遅れのダダイストでもあるまいし、能力やスキル、また容姿や性格本位の、生き行くに実にせこい世の中であると、疾うに自覚順応している現代っ子の娘たちにとっては、決して受け入れられるような男の実態ではなかった。あまりにもなさけなく、弱すぎた。なにごとにも辛辣な恵美が「お、こ、じ、き」とやんわりながら無遠慮に決めつけてみせる。「止しなさいよ」匡子が諌めるがその実本人もまた眼前の男を僧形をしただけの住所不定の輩とでも認識しているようだ。梅子ではないがなぜこんな男をと、めずらしく亜希子を責める気持ちにもなっている。そしてそれは亜希子をのぞくほとんど全員の気持ちだった。それを察して『ほーれ、見なはれ』とばかり鳥羽がほくそ笑むのだがしかしもちろんその亜希子さえ翻意してくれるなら、こんな男なぞいつでも追っ払って見せるつもりだった。いま亜希子のやや興ざめしたような表情を確かめつつ、やおら鳥羽が始末をつけようと口火を切ろうとした刹那、思いも寄らぬ人物から待てが入った。梅子だった。
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