クワンティエンの夢(阿漕の浦奇談の続き)
第七章 白峰

上田秋成の小説「白峰」の現代復刻版?崇徳怨霊と西行法師の再びの対決やいかに…

「いちいち理由を明示して、これからあなたと亜希子を論破するつもりだけど、いい?ただその前にちょっとひと言だけね…」とわざわざ間を置いて梅子はもったいをつける。何やら僧について感じるところがありそうだ。
「あなたさあ、さっきからジキルとハイドと云うか、二重人格と云うか…突然別人染みちゃったりしてるのよね。僧形をしているんだから僧号があるんでしょ?まずそれを聞かせてくれる?もしないんだったら俗名でもいいから教えてよ。お世辞を云うわけじゃ更々ないけど、とにかく私、あなたに興味があるわ」と問う。すると僧は心中で何者かに素早く可否を問うたがごとくしてから「はい。拙僧はこちらの社、いや会長が見抜かれた通り僧籍のない身ですから、どこのナニ坊とも号してはおりません。本名を云うなら東尋(とうじん)、東を尋ねると書いて東尋と申します。東尋坊主、すなわち東尋坊と呼んでくれてもいいですが、しかしそれでは何やら不吉な響きがしないでもないので、どうぞこのまま坊主とだけお呼びください」と自らを名乗りさらにひと言「私ごときに興味を抱いてくださり、恐悦に絶えません、梅子さん。さては男としての魅力が私にもまだあったか…」などとうそぶくのに「ふん」とばかりそれを一蹴して「それならやっぱり雲水さんとだけお呼びするわ。じゃあ雲水さん、まず観音からね」と、ここで梅子が息を吐く。折りしも遠雷ながらカミナリが直後にとどろいて梅子の長広舌が始まった。
「観音と云うのはもちろん亜希子のことよ。ついでに云えば祠でのストリップもそうだわね」ここでちらっと亜希子の顔を見てから「‘純蜜の趣はなはだ強し’というのと掛け合わせでしょ?彼女はお美人さんで頭もいい、だから当然過ぎた自信家となってしまう。御本人さえ望むならこの先どんな玉の輿にでも乗れるでしょうよ。エクスタシーの身悶えっていうのも亜希子への云い当て妙で、そこからはそうねえ、どこか蛇の趣きさえ感じるわねえ。だってさ、エクスタシーっていうのは、こう身をくねくねとさせるんでしょ?ちょうど蛇みたいに(ここで先程の僧同様に身悶えの卑猥な格好を演じて見せる)」こらえかねて亜希子が強く咳払いをしたが、平気な顔をして「もっともここで云う蛇というのはナーガ、古代世界に君臨したという大蛇(おろち)のことだけどその業を感じるわ。昔は蛇が神だったのよ。当時蛇に‘蛇’と‘身’という漢字を当てて‘へみ’と読んでいて、さらにそれを‘かみ’とも読んでいたの。だからいまの神、ゴッドの呼称も本当はそこから来ているわけ。エクスタシーというのは後期密教の無上瑜伽(ヨーガ)タントラに通じている。この無上瑜伽タントラというのは早い話が仏教における情欲の是認ということで、男女混合の性的喜びを何と法悦として置きかえているのよ。なぜそんなことをしたかと云うと隆盛して来るヒンドウ教に対抗せんが為だと云われているけど、私に云わせりゃ情欲を合法的にせんが為の沙門の堕落だあね。ここまで云えばわかるでしょ。顕教の戒律、その受戒から離れて、エクスタシーを法悦とするような有り様だと云ってるのよ。換言すれば仏・神の一宗徒から離れてみずからが観音となる、教祖様になってしまうようなタイプの人間の、その勝手な都合と実態だと云うことよ。ヘミ、カミになっちゃうわけね。(ここで亜希子へ視線を送って)日頃そのナーガの法悦を結構感じていらしゃるんじゃないかしら?」と結んだ。
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