クワンティエンの夢(阿漕の浦奇談の続き)
「梅子さん、難し過ぎてわかんないっすよ。それって早い話が‘お×××’の話ですか?」×の箇所を無音化して恵美が訊く。匡子と慶子が吹き出したが「バカ、黙ってろ」梅子が一喝する。亜希子はと見れば顔を真っ赤にして堪えているようにも見れるが同時にどこかしら、またなぜかしら尋常ならざるショックを受けてもいるようだ。部長という立場から云ってもまた日頃の性格から云っても「こいつ、梅子…」とやり返すべきところなぜか黙ったままだ。 
見かねて子分の(コバンザメの?)郁子がもの申す。「梅子さん、ちょっとひどいですよ。我々部員は部長を立ててこそ部員というものです。それなのに部長をストリップだの蛇だのなんてこきおろしたりして…」真面目顔で云うのに鳥羽が「おっしゃるとおり、ちょっと辛辣過ぎまんな。それぞれの司ということを弁えまへんとな」と合わせる。しかし「あんたこそ黙ってなよ。勝手に私たちのグループに入って来たりしちゃってさ、さっきから好きなこと云い過ぎなんだよ」と恵美が吼える。それによって梅子からの叱責への溜飲を下げるかのように。また鳥羽のひと言にカチンと来た様子の親分梅子の顔色をつかんでは「そうよ。今ここで行っちゃってくれてもいいのよ」と加代が追い矢を放つ。しかしようやくにしてショックから回復した風の亜希子が脱線が過ぎる自分の‘子供たち’に「加代、それに恵美、失礼なことを云うんじゃない。私たちで歌合わせをお願いしたのよ」と諌め、同時に鳥羽に「すみません、何度もまあ…(執成すように微笑しては)日頃の私の指導がなってないもので…」と忸怩ともして見せる。「いやいや、なんも。それより東尋はん、あんたが先程云われた観音の意味は、こちらの梅子さんがいま云われた通りのことでよろしいのか?(梅子へ視線をやったあと)あんたへの論証も論破も、なんもなかったような気もするが…」前と違って感情的にならずに鳥羽が僧に話を振った。「うむ、そこですが…」答えようとする僧をさえぎって「待ってよ。あたしはまず観音からねと云ったでしょ」鳥羽とは対照的にイラつきながら梅子が割り込んで来「他人にはひたすらいい子ぶってる表面ヅラはともかく、誰かさんと来たら自分勝手な密教の強者そのもので、ナーガの神への巫女でしかない、また情けない観音様でしかないってことよ。(東尋に向いて)あんたがさっき云った通りのことよ。どこかのいい人の観音様となるに如かずだあね」などと皮肉るのに「梅子!初対面のお二人の前で言葉が過ぎるわよ。私への不満なら東京に帰ってから云えばいい」ついに亜希子が爆発気味に語意を強めて言い放つ。しかし梅子の口は収まらない。どころか歌舞伎演目の鳴神のごとき相さえ示しつつ「以上が亜希子への反駁ね。次いであなた」と矛先を僧へと向けた。「早い話が観音なんて存在しないのよ。この世の音、つまり人々の助けを求める声を聞いて、それを救世する救世観音だなんて、弱い者たちが造り上げた救いへの幻像でしかない。現実の世の中は、人間たちは、自分の都合や欲望だけが本音の存在でしかなく、律法や現実の法律などというものも、この世を力で制した権力者や資産家らの、自らを守る方便でしかないってことよ。その証拠にあんた、雲水さん。あんただって結局は現実から逃げたんでしょ?力あるものたちから、その仕打ちや迫害から、結局はトンコして遊行に逃げただけじゃない。あんたほど見っともなくはなかっただろうけど、(西行庵の方を向いて)そこの西行さん、あの御仁が出家にかこつけて自分の妻子さえも置き去りにして、呑気で優雅な遊行に明け暮れたのと同じだあね…」話が西行法師への軽侮に及ぶに至りついに亜希子が「うーめこっ!僧形のご本人の前で、まして西行法師の祠の前で…もう(話するのを)止めなさいっ!」と一喝する。「まあ、まあ」とばかりその亜希子を手ぶりで制しつつ僧が「うむ、信なくば立たずの見本のような御説法ですな。逆に信あれば徳ありの反証のような気もしますが…とにかく、拙僧へのご断定は甘んじてお受け致します。どうぞ、そのままクワンティエンの寓話へのレクチャーもなさってください」と泰然として先を促す。
ところが「何い?信あれば徳ありの反証…?!」と僧の言を小声でつぶやいては梅子の様が‘荒ぶる神’へと、いよいよ変身して行くようだ。かつて配流先の讃岐国へ慰問に来た西行法師に臨んだ、鬼神と化した彼の崇徳上皇のごとし。850年後の現在に再びの白峰が展開されるのだろうか?
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