異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~

「すでに若菜さんの到着に間に合わず出産した産婦も複数いるのですが、三十八度以上の熱と腹痛を訴えて、その後に亡くなった者もたくさんおります」

「なんですって……今、熱が出ている女性はいる?」
 
「はい。それでさっそく診ていただきたいと、うちの医師が若菜さんを呼んでおります」

 看護師に「わかったわ」と答えた私はナンシーの付き添いをアージェに任せて、ダガロフさんと共に施療院に入る。

 中は通常の患者と妊婦とが入り混じってごった返しており、私たちは人の隙間を縫うように病室にやってきた。戸口でベッドに横になっている産婦たちを見渡すと、皆が高熱にうなされている。

「ここで出産した女性は産後一日から五日以内には発熱しています。それも高熱は二日以上続いていて、酷いときは体力の消耗で亡くなってしまうこともありました」

 看護師の報告を聞きながら、私はナンシーが不安になるのも当然だと思った。

 出産は命がけ、それはここで苦しんでいる産婦たちを見れば誰しも感じる。その死へのストレスも身重な女性にはかなりの精神的ストレスになり、胎児の発育に影響を及ぼすだけでなく切迫早産を誘発する可能性もあるのだ。

 診察していた医師の隣に行くと、私の存在に気づいた彼は弱りきった表情をした。

「こうして、産後に産婦が高熱を出して亡くなるのは珍しくありません。解熱剤を使いましたが、何度も熱がぶり返しています。なんとか乗り切ってくれるといいのですが……」

「先生、産婦は産後二十四時間以降に三十八度以上の発熱が二日以上続き、腹痛もある。解熱剤を使っても完全に熱が下がらないことからするに、産褥熱が疑われます」

 日本では分娩の管理や抗生剤が進歩しているので少なくなっているが、分娩によってできた傷から細菌が侵入して感染して起こる病気だ。

「熱にかかっている産婦には抗菌、消炎作用のある薬草を使いましょう」

 それを聞いていた医師が看護師に薬の準備を指示し、私はダガロフさんの手も借りて出来上がった薬を飲ませていく。

「若菜さん、こちらの女性が異常に震えているようなのですが、俺はどうすれば……っ」

 いつもどっしり構えているダガロフさんの珍しい慌てように、私はその腕をとんとんと軽く叩いて落ち着かせる。

「これは悪寒といって、これから熱が上がる兆候なんです。毛布をたくさんもってきてくれますか? 彼女を温めましょう」

「熱が上がるのに、温めるんですか?」

「そうです、体は菌と戦うために体温を上げる。だから毛布でそれを手助けしてあげるんです。でも、汗が出てきたら逆に熱を下げて、体力が消耗しないように対応します」

 感心するように何度も頷きながら私の話を聞いていたダガロフさんはハッとした様子で「すみません、すぐに取りに行きますね」と、他の看護師を連れて毛布を取りに走った。

 少ししてダガロフさんが戻ってくると、私は毛布で彼女の身体を包む。
 すると、女性はうっすらと開けた目に涙を浮かべながら私の手首を掴む。その手の強さは寒さからか強く、肌に爪が食い込んで痛い。

「大丈夫ですか?」

 思わず顔を顰めた私に気づいて、ダガロフさんが女性の手を外させようとした。でも、私は首を横に振って掴まれていないほうの手を女性の手に重ねる。
 それに促されてなのか、彼女は震える唇を必死に動かす。

「あの、わた、し……このまま、死んだりしません、か? 生まれたばかりの子と夫を……置いて、逝けない……っ」

 熱で苦しいはずの彼女の瞳は生きたいという強い意志を宿している。その目に真っ向から見据えられて、母親の強さをひしひしと肌で感じた。

「そのために私はここにいます。お子さんのこと、旦那さんのこと、不安なことは多いと思うけど、今は自分の身体の心配をして?」

「……っ、でも私……怖くてっ」

「生まれた赤ちゃんはあなたが元気になるまで私たちが責任をもって守るわ。だから、元気になることがあなたのお母さんとしての最初の仕事よ」

 どんな言葉をお母さんになった彼女たちは求めているのか。こればかりは出産経験のない私も手探りだったけれど、言葉は無事にお母さんの心に届いたらしい。女性は安堵の表情を浮かべて、静かに眠りについた。

 彼女の身体の手を毛布の中に入れてあげると、隣にいたダガロフさんが呟く。

「若菜さんの言葉には、いつ聞いても力がありますね。そのひと言に背中を押されたり、安心したり、救われたり。そういう人間が俺を含めたくさんいるはずです」

「そうだったら嬉しいけど……結局のところ言葉は言葉でしかないんです。それをきっかけに変わるのを決めるのは受け取る側ですから、私の力ではありません」

「そういうところが、皆が若菜さんを慕う理由なのでしょうね」

 謙遜ではなく素直にそう考えて言ったのだが、ダガロフさんは手放しで褒めてくる。身の丈に合わない讃辞がくすぐったくなった私は気を取り直すように投薬に回るのだった。




 翌日、産婦の熱は薬が効いて瞬く間に下がっており、重症化している患者は今のところ見られなかった。
 私は新たな産褥熱を生まないために医師や看護師、ダガロフさんとアージェを連れて分娩室に足を運んでいた。

 分娩台には何度使ったかもわからないシーツと臍の緒を切るハサミ、鑷子と呼ばれるピンセットがひとつの瓶にパンパンに入っている。これでは道具をすぐに取り出せない上に、ひとつ引き抜いただけで他の攝子やハサミまで不潔な床に落ちる可能性もあった。

「産褥熱の原因は汚れた手でのお産介助、分娩環境の不衛生が原因よ。シーツは出産毎に交換して、分娩代はアルコール……お酒に浸した布で拭きましょう。治療器具は熱湯で消毒して器具ごとにしまう場所を分けて――」

 医師や看護師に正しい消毒方法や手洗いを指導したあと、私は次に産婦人科病棟を作ることにした。

「妊婦や赤ちゃんは施療院の東側に、それ以外の患者を西側に分けましょう。産婦人科病棟への立ち入りの際は手指消毒を徹底してね」

 大きな負荷が伴う出産のあとは母子ともに免疫力が下がっているため、病気にかかりやすくなる。一般の患者がこの施療院に病原菌を持ち込んだ際に、なるべく二次感染が起きないようにと考えた策だった。
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