異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~

「若菜がこの地で復興支援を行う上で感じた医療面での不充足、それをどう改革したいかを聞かせてくれないか」

「うん、たくさんあるから夜通し付き合ってくれると嬉しいわ」

「ああ、あなたの誘いなら喜んで。でもまずは、いつも頑張っている婚約者に褒美を贈らせてくれ」

 シェイドの顔が近づき、視界が陰る。キスの予感に瞼を閉じて、吐息が唇を撫でたときだった。
 ケプッという音が聞こえて、私は慌てて目を開ける。しばらく唖然としてシェイドと見つめ合うと、同時に腕の中にいる赤ちゃんへ視線を落とした。

「まさか、ゲップでキスを中断されるとは思わなかったな」

 苦笑交じりにシェイドは言うと、私の抱いている赤ちゃんの口元の涎を服の裾で拭った。赤ちゃんは空気を吐き出したあと、仕事を終えたとばかりに瞼を閉じて夢の世界に旅立つ。

「おやすみ、いい夢を」

 赤ちゃんを小さなベッドに寝かせると、その場を当直の看護師に任せてシェイドと共に私の寝泊まりしている部屋に移動した。

ランプに照らされた室内は王宮のものに比べればベッドと机があるだけの質素なものだったが、もともと庶民である私にはこちらのほうが気後れせずに落ち着く。

「シェイドは今日、こっちに泊まっていくの?」

 彼の背に回った私はシェイドの外套に手をかけて脱ぐのを手伝うと、部屋のハンガーポールにかける。

「いや、夜が明ける前には出るつもりだ。もともと、あなたの顔を見たら帰るつもりだったからな」

「あなた、そんな理由でここまで来たの? ただでさえふたつの国の復興支援で疲れているんだから、来るなら落ち着いてからでも……」

「あなたに会いたい。俺にとっては十分な動機だ」

 私の言葉を封じるように抱きしめてきたシェイドが耳元でそう囁く。その温もりを感じるように彼の胸に頬を寄せれば、髪を撫でられた。

「数週間も会ってなかったんだ。これくらいのわがままは許してくれ」

「そんなの、わがままなうちに入らないわ。私にとってはご褒美みたいなものだもの。これまで本当に目まぐるしかったから、あなたに会えてほっとした」 

 息をつく間もなく次から次へとやることが出てきて、自分でも気づいていなかったけれど相当疲れていたらしい。彼の腕の中に収まった瞬間に眠気が襲ってくる。

 でも、シェイドと話をしないと……。
 施療院を回り、母子看護に携わっていくうちに見えてきたもの。この国だけでなくエヴィテオールにも不足している医療面の機能について、伝えなければならない

「ねえ、シェイド」

「ああ、言いたいことはわかっている。若菜は真面目だからな」

 再会を喜ぶ間もなく仕事の話をしようとする私に気づいたのだろう。
 シェイドは苦笑いしながら私の肩を抱いて歩き出し、ベッドに座らせた。彼が膝の上で手を組み、私の話を聞く体勢に入ったのがわかってさっそく切りだす。

「あのね、この世界ではお産は命懸けだって言うわよね。だけど、蓋を開けてみれば死亡の原因は出産環境の不潔と医療者の知識不足だった。これは私もお産の看護の経験があまりなかったから思うのだけれど、医者や看護師が全ての病気を診るのは難しいのよ」

「ならば、病気ごとの専門医を作るということか?」

 さすがシェイドだわ、察しがいい。
 私の言わんとすることを先に口にする彼には先見の明がある。

「それが理想だけど、医療者の数も少ないから現状では難しいでしょうね。でも、ここを足がかりに母子に関わる治療の分野は分けてもいいと思う。私の国には助産師といって助産を専門とする女性の仕事があるから、それを作りたい」

「じょさん、し……?」

 首を傾げるシェイドに助産師がこの世界にはない職業なのだとわかった。

 出産を病院で行うところは日本と同じなのだが、お産介助を行う医師や看護師はいきみの仕方や陣痛への対処などの知識はなく、なんの声かけもしないでただ出産を見守るだけ。それでは看護師が分娩室にいる意味がない。だったら出産経験のある女性がいたほうがよっぽど心強いはずだ。

「お産は羞恥心が伴う体勢になることも多いし、たとえば授乳だってミルクが出るように胸のマッサージをしてあげないと腫れて痛むこともあるわ。でも、お母さんたちは男性の医師や看護師に胸の相談できないでしょう?」

 乳腺がうまく開通せず炎症することもあるので、そうならないように指導するのも看護師の仕事なのだが、さすがに男性にさせるわけにもいかないので私が行っていた。

 でも、私はいずれエヴィテオールに帰るので、誰かにこの技術を伝授して帰らなければならないのだが、その後継者がいないのが深刻な問題だった。

「それにね、生まれたばかりの子供は病気にかかりやすいし、お母さんがかかると胎児に重篤な障害をもたらす感染症もある。だから、できるだけお産する場所は分けたい」

 今回は産婦人科病棟を作って対処したけれど、医師や看護師の意識の甘さから消毒を忘れて病棟に入ってしまう者もいた。この世界の医療者の清潔と不潔の概念は器具さえアルコールにつけていればシーツは変えなくても大丈夫といった様子で、かなり適当だ。

 とはいえ、正しい感染予防法が定着するのを待っている時間はない。だったら初めから建物自体を分けて、知識を持った助産師に任せたほうが安全だ。
 その助産師から、また新たな助産師を生むための育成までを担ってもらえれば、私がいなくなったあともうまく回っていくだろう。

「子供を産んだあとはお母さんの身体にもいろんな変化が起こる。それに慣れる間もなく育児が始まって、追い詰められてしまう人が多いわ。だから、妊娠中や育児の不安を相談できる場所も兼ねて助産所を作りたいの」

「なるほど、その助産所は女性の新たな活躍の場としても不可欠だな。さっそく明日、議会に案を上げるとしよう。それから、助産師の資格獲得に関する制度だが……」

 熱心に耳を傾けて意見をくれるシェイドに私は話の途中ではあったけれど、ふっと笑ってしまう。そんな私に気づいた彼は不思議そうに言葉を切った。
 
「……ん? なにか、おかしな点があっただろうか?」

「ごめんなさい、違うのよ。あなたは庶民である私の言葉も真剣に聞いてくれるでしょう? 
だからときどき、シェイドが王子であることを忘れそうになるの」

 王子だからとお高く留まらず、民のために土に汚れることも戦火に飛び込むことも厭わない。それに加えて親しみやすく、素直に人の意見を吸収できるところは彼の美徳だ。
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