異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~
▼エピローグ


 快気祝いパーティーから一週間後。
 私はじりじりと肌を焼くような太陽の下、深刻な医師と看護師不足で困っているという港町で施療院の設立に携わっていた。

 日々、物の搬入や看護師の育成に追われる日々を送る私はかれこれ一週間、シェイドとは会えていない。何週間も離れてるなんて、これまでもたくさんあったというのに寂しくてたまらないのはお互いの想いがより強く結ばれたからかもしれない。

 ガーゼ代わりの布をハサミで切りながら、つい深いため息をつくと隣で処置道具の個数を確認していたマルクが点検表から顔を上げる。

「若菜さん、休憩に行って来たらどうですか?」

「でも、仕事を残すのって嫌いなのよ」

 振り向けば布の山。ガーゼや包帯作り、道具の消毒の全部が手動なので骨が折れる。実際、ガーゼ代わりの布は三日前から暇を見つけては切っているのだが、終わりが見えないのだ。

「若菜さん、いつも自分には優しくないですよね。点検が終わったら僕も手伝いますから、効率を上げるためにも外の空気を吸ってきてください!」

 珍しく強引なマルクに施療院を追い出されてしまった私は暑さに腕を捲る。ここはエヴィテオールの中で最も気温が暑く、体感温度では三十度近い港町なのだ。

 一時間近く休憩をもらえたので、私はふらりとお店が並ぶ通りに出る。

 護衛役のアージェは「いつも一緒だと息が詰まるでしょ?」と変な気を遣って、今は姿を消しているが、つかず離れずの距離にいるのは間違いない。

 ふいに道行く人が「若菜さん、お疲れ様」「今日はお休みかい?」と声をかけてくる。

 滞在してたったの一週間だというのに、町の皆は「施療院を作ってくれてありがとう」と果物を差し入れてくれたりするのだ。
 今日も大量のオレンジを貰い、あとで看護師たちにもあげようと思っていると果物屋の店主がなにかを思い出したかのように手を叩く。

「そうだ。若菜さん、リーベの花畑には行ったかい?」

「リーベ?」

「ああ、あそこの丘に咲いてるんだ。リーベは普段蕾なんだが、幸福が訪れるときに花開くって言われてて、この町の名所だよ」

 私は「へえ」と返し、期待に胸を膨らませて丘へ行ってみることにした。

 緩やかな坂を十五分ほどかけて上がりきると、目の前に広がる光景に息を吞む。丘を埋め尽くす青の丸い蕾が風に吹かれてゆらゆらと揺れている。まるで海のようだと思いながら花畑の中へ足を進めて、丘の先端までやってくると日の光に照らされた快活な港町を眺める。

「港に船がたくさん泊まってるわね」

 町の中にも縦横無尽に水路が走り、移動手段であるゴンドラが浮かんでいる。色とりどりのレンガ調の家々や石畳の道は私の世界でいうヴェネツィアのようだ。

 海も見渡せるそこで景色に目を奪われていると、ふいにリーベが淡い青の光を纏いながら花開く。

「わあ、なんて綺麗なの……」

 リーベが花開くのは幸福が訪れるときだと店主が言っていた。
 私にはどんな幸福が待ち受けているのだろう。
 考えてみると、頭には迷うことなくシェイドの顔が浮かぶ。

「でも、シェイドなら……花のジンクスがなくても会いに来そうね」

 彼は愛情に比例して嫉妬深く、実は寂しがりやなところがある。もうこの港町に来ていても驚きはしないだろうな、と苦笑いした私の背後で草を踏む音がした。

「若菜」

 波の音に混じって聞こえてくる自分の名前に振り向けば、そこには王宮にいるはずのシェイドが立っている。

「我慢できなくなって会いに来た」

「あなたなら、そろそろ来そうだなって思っていたところよ」

「嫌だったか? まあ、今日中にはとんぼ返りだが」

 眉尻を下げて笑いながら、シェイドがそばにやってくる。

「その逆よ。少ししか一緒にいられないなんて寂しいわ」

 恥ずかしがらずに白状すれば、シェイドの動きが一瞬固まる。何拍か置いて、シェイドは真顔で告げる。

「やはり、帰るのはやめてしまおうか」

「それはダメよ」

 くすくす笑いながら、私はシェイドと抱き合う。私たちの肌を撫でる潮風が身体にこもった熱を吸い取ってくれるようで心地いい。

「どうしてここに、私がいるとわかったの?」

「若菜がここにいることは町を歩けば果物屋の店主や通りすがりの民が教えてくれたぞ。あなたは随分、町民に人気があるようだな」

「違うわ。町民が気さくな――」

 気さくなだけなのよ、と言おうとしたのだが「若菜さーんっ、大変です!」という声にかき消される。
 何度もつんのめりながら慌てた様子でやってくるマルク。それを見た私とシェイドは、顔を見合わせると肩を落とした。

「今度は何事だろうな、つくづく邪魔が入る」

「真新しい治療院が物珍しいって、子供たちが出入りしてたから……。なにか、やらかしたのかもしれないわ」

 ふたりだけの甘い時間は強制終了し、私は目の前で膝に手をついて背を丸めながら息を整えるマルクの顔を覗き込む。

「マルク、なにがあったの?」

「それがたった今、港に停泊した船で大量の急病人が出たらしいんです。足に大量の水がたまっていたり、精神的に不安定だったり、体中に潰瘍ができてて……。聞けば聞くほど、謎の症状ばっかりでっ」

「わかったわ。私はこのまま港に向かうから、マルクは治療道具を持ってきて」

「他の看護師に、ひと足先に船に運んでもらうよう手配しました」

 私を呼んでそのまま船に直行する気だったのか、用意周到なマルクに私は「さすがね」と返してシェイドを振り向いた。

「俺も手伝おう」

「ありがとう、それじゃあ行きましょう!」

 あんなにも心奪われたリーベの花に目もくれず、私たち三人は踵を返す。潮風に背を押されるようにして、私の目まぐるしい王宮看護師長の日常は幕を上げるのだった。(終)



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