一駅分の幸福
 私の意識を戻したのは、暗がりの中できらりと光る、友人の声だった。
 起きて、起きてと、何度も繰り返されていた。

 深く深く、海の底にいるくらい沈んだ意識は、次第にその声へと吸い寄せられるように浮き上がっていった。

「起きた…!」

 友人が叫ぶと同時、誰かが扉を開けて出ていったのが分かった。
 薄っすらと目を開けると、至近距離に友人の顔。
 泣き腫らした目元が、私のことを見つめていた。

「私、何が……白い天井……保健室?」

「五時間、分かる? あんたが眠ってた時間だよ…もう、ほんとに心配したんだから…!」

「五時間……そうだ、コンサート――」

 どうなったのか、何があったのか、尋ねようとした時だ。
 部屋のドアが開かれ、そこから養護教諭の先生が顔を出した。

「弾き終えはしたみたいだから、今は考えないで眠ってなさい。頭痛や吐き気は?」

「ありません……えっと、私は何を?」

「三曲目を終えて一礼した瞬間、倒れてそのまま担架。もう夕方よ」

「一礼――そ、そうだ…」

 一礼をして顔を上げた瞬間、何かが見えたのだ。
 何か――そう、靄だ。
 点々と皆を取り囲む、紫色の靄。
 それが見えた瞬間、気持ちが、居心地が悪くなって、それで意識を失ったんだ。

「靄――親、家にいる?」

「え…? はい、多分…」

「なら、今すぐ迎えに来てもらいなさい。知り合いの医者を紹介してあげるから、そのままそこに行って」

 強めの言い分に、私は大人しく「はい」と応えて母親に連絡をした。
 私が起きるまでの五時間を、ずっと私の傍で過ごした友人には、しっかりと謝って学校を出る。

 去り際、またふと見えた友人の色は、灰色。
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