桜花一片に願いを
 私は反射的に名刺とペンを取り出し、プライベートの連絡先を走り書きして夏目先生に差し出した。先生の笑顔が戸惑った表情に変わる。

 ああ。

 こういう時、営業で培った会話術は何の役にも立たない。何人もの男の人と付き合ってきた経験も。必死で頭を回転させ、何とか言葉を絞り出す。

「出張や学会で東京にいらっしゃるときに、お知らせ頂けたら嬉しいです。私からもご連絡差し上げたいんですけど」

 夏目先生は「ありがとう」と名刺を受け取った。そして私がしたように、自分の名刺に連絡先を書いて渡してくれた。良かった、つながった。

「ありがとうございます。もし――」

「もし?」

「来年ここで、満開の桜を一緒に見られたら嬉しいです」 

 さっき見た小さな桜の花が幸運の印のように思え、願いをかけたくなった。夏目先生は何も答えず、あいまいな笑みを浮かべた。

「すみません、急に変なことを」

 引かれてしまっただろうか。

「いや。ごめん、ちょっと驚いて。飯倉さんから聞いていたのと違うから」

「私がですか?」

「うん」

「……」

 花音。一体何を話したの?

「別に悪い話じゃないんだ。十歳以上年上にしか興味がないと――まさか僕の年、間違えてる?」

「大丈夫です。三十三歳ですよね?」

「うん。それなら良かった」

 夏目先生にいつもの笑顔が戻った。私もつられて笑った。


(了)
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