いつもスウィング気分で
Encounter
 今年もまた新入社員を迎える時期が来た。
 新入社員というものは、特に女子は、大抵本性を隠す。きれいな衣か或いは多少薄汚れてはいるが粋に見えるような衣で覆い、相手が自分に興味を持つように図る。例えば恋人がいるということを隠す。そして、それじゃあ少し親しくなろうとこちらが腰を上げかけると、ハラリと衣を脱いで男の匂いをプンプンさせるのだ。ひどい奴になると男と話したこともないという顔をしやがる。そのくせ心の中ではしっかりと算盤を弾く。こいつは羽振りが悪そうだとなると笑顔だけはこちらに向けて、シッシッと追い払う様を思い描いている。
 森田秋子は今年入った新入社員の中で一番背が低い。そのせいで逆に目立った。3ヶ月の研修を終え、我々の課に配属された3人の紅一点であった。独身の狼共が、今年の新人の中にイイのがいるぞと言っていたその女だったため、やったやったと露骨に喜ぶ輩がいた。表には出さなかったが俺もその1人だったことは言わずもがな。
 7月1日の午後2時、新旧顔合わせのため俺たちは会議室に集まっていた。課長―チーフと呼ばれている―である俺と、部長―キャップと呼ばれている―が隣り合って部屋の奥に座っている。
 俺の所属するプログラム課は、所謂コンピュータープログラムを組む課だ。様々な分野の企業から依頼され、運用ソフトを開発したりメンテナンスしたりする。我が社の頭脳部だ。
 この会社は、社長―ボスと呼ばれている―が大学を出て7年間勤めたコンピューター関係の会社から独立し、一代でここまで盛り立てた会社だ。まだ十余年しか経っていないが、急速に伸びたソフト開発のニーズの波にうまく乗って、業界では恐れられる存在となった。少数精鋭の社員粒揃いと評判が良い。だからと言って下手な営業をかけず、地道に堅実にをモットーとしているので、信頼が厚く、業績は伸びる一方だ。
 話は反れたが、今、キャップが新入社員を紹介している。彼は今日他の課に配属される新人を引き連れて、同じ事を後3回言わなくてはならない。
「今年入社した15人のうち、3人はプログラム課、5人はシステム課、4人は総務課、3人は会計課に配属される。この課に来た3人は研修中より優秀で選り抜きの人材だ。どのチームに加えられるかはこれから発表する」
 プログラム課内に3つのプロジェクトチームがあり、依頼されるプログラムの性質によってそれぞれ組織されている。誰もが紅一点の森田秋子が自分らのチームに加えられることを望んでいるに違いない。古株の誰にも相手にされなくなった女狐たちを除いて。
 ラッキーだったのは俺だ、いいや俺たちのチームだ。森田秋子は俺たちのチーム、セクションワンに加えられることになった。男どもはそれぞれ、落胆或いは歓喜の表情で顔を見合わせている。
 俺は森田秋子を観察していた。前にも述べたが彼女は背が低い。154、5㎝というところだ。だが、制服の下にある肢体は紛れもなく女の体だと俺は見抜いた。こいつも御多分に漏れず処女面をするに違いないと思いながら、俺はゲップが出そうなのを堪えでもするかのような顔をして、彼女の顔、肩、胸、脚と視線を巡らせていた。再び彼女の顔に視線を戻した時、目が合った。ゲップを堪える顔というのだから、俺はかなり奇妙な顔だったろう。
 新入社員というものは、こういう場面では大抵手を口に持って行き、右か左に首を傾げて肩を竦め、うつむき加減に笑うものだ。ところが彼女は上目使いに俺を睨み、右手の人差し指を俺に向けて二、三度突っつく真似をした。その目は、「私の体を眺めてたでしょ」とでも言っているようだった。こういう顔は暫く勤めてそろそろ実態が暴かれて来た女がするものだ。最近の四年制大学出の女は場慣れしているというか神経が図太いというか・・・。
 俺は右手の親指を立ててガッツポーズをした。彼女もそれを受けて同じことをした。2人が何かしているぞと気が付いた者たちが彼女と俺を代わる代わる見ている。親し気に見えたことだろう。彼女は紺やグレーの背広の中で、一段低い位置に制服を着て立っている。青淡色の半袖ブラウスにグレーのセミタイト型のスカート。襟に濃紺の細いリボンが結んであるが、これは取ってボタンを2つまで外して良いことになっている。彼女にはそうして欲しいところだ。ヒールの高いバックベルトサンダルを履いているにもかかわらず、周りにいる男たちと頭一つ違う。凛として立つ彼女の長いソバージュの髪にはブルーノートが似合うと思った。
 顔合わせの後、スタスタと歩いて研修室に戻る彼女に追い付いて俺は言った。
「見破られたかな」
 体を眺めていた俺に気が付いたかという意味だ。遠回しではあるが俺の得意とする乾いた誘惑の言葉だ。妙に冷めた感じのする彼女には必ず通じると信じて面白い返事をまっていた。が、
「欲しいですか」
 という言葉には驚いてしまった。会話の内容をごっそりえぐり取ってうんと先回りしたその言葉。俺は彼女の顔を見た。破顔一笑、彼女はまたカツカツと廊下にサンダルの音を響かせて歩み去った。豆鉄砲を喰らったが、これはイケると俺は 思った。
 後になってキャップに、
「森田君と知り合いだったのか」
 と訊かれた。初対面ですよと答えたが、俺の彼女だとでも言えば面白い事になったかもしれない。その時聞き耳を立てていた男達をからかうために。
 次の日俺はチーフの権限で新人教育を理由に彼女の席を俺の隣にした。青山通りに面した窓際に俺と彼女の机が並んでいる。他の机は後ろに置いたTSOを挟んで向こう側にある。TSOに触るためには椅子をくるりと回転させれば良いわけだ。コソコソ声は他には聞こえない。20台あるドットプリンターが始終ジキジキと音を立て、部屋の中がうるさいのだ。
 彼女は今、早速与えられた2000ステップ余りのプログラムを組むためのフローチャートを仕様書に基づき書いている。静かに集中する彼女の鉛筆は2ページのリーガルパッドを埋めて行った。
「速いね」
「リミット1週間なんですもの。急がなくては」
「悪いね、慣れてないのに」
「それならもっと易しいのにして下さい」
「じゃ替えようか」
「冗談です。大丈夫です。やり甲斐ありますから」
 そう言うと彼女は引き出しからコーディング用紙を出した。
「もうコーディングするのか」
 俺がそう言うのを遮るように掌をこちらに向けると、彼女は用紙から目を離さず休みなく鉛筆を走らせた。邪魔をして悪かったなという気持ちと、なんだこいつ生意気なという気持ちで俺は彼女の手の動きを見ていた。俺と話したくないのかと少し気弱になり始めた時、彼女は頭の中のロジックを全て紙に移し終えたらしく、頭を上げた。
「そろそろお昼ですね」
 俺を見て微笑んだ。切り替えの早い奴だ。あと5分で昼休み。
「今日は何を食べようかな」
 そう言いながら椅子に腰かけたまま彼女はうーんと言いながら背伸びをした。背中の骨がポキポキ鳴った。彼女は恥ずかしそうに俺を見てアハハと笑った。無邪気なところもあるんだな。
 昼休みになるとこのフロアはチームごとに半数ずつ社員食堂に行く。贅沢な奴らは喫茶店やレストランのランチを食べに行く。社員食堂で食べる分は毎月定額を給料から天引きされる。どれを食べても均一料金。1食大体150円程度だが、俺は味にしても量にしても文句無いと思っている。特にこの豚カツ定食は。
「こんなに厚いお肉使ってて採算取れてるんでしょうか。サラダだってこのプリンだって本格的なんですもの」
 森田秋子も豚カツ定食を食べている。好き嫌いが全く無くて大食いなのにちっとも育たないと笑いながらパクパク食べている。旨そうに食べている。大学時代、酒と煙草のやり過ぎで胃潰瘍を患った俺は、それが元で今は食欲が落ちている。この体を維持するために人並みに食べてはいるが、その昔天丼と餃子2人前をつまみにビールをジョッキ5杯、その後〆にラーメン1杯、デザートにチーズケーキ4個、コーラ1Lが一晩のうちに楽々納まった強靭な胃ではもうない。あの頃は今より体重が20㎏位重かったものなぁ。
 彼女は自分で言う程大食いではない。さっきだって飯をよそっているおばさんに、少な目で良いですと言っていた。小さい体にはあれぐらいでも多く感じられるのかもしれない。俺はキャベツを残したが、彼女はきれいに平らげた。俺の皿の上のキャベツを見て、もったいないと言った。
 食後の残り時間に大部分の者は喫茶店へ行く。仕事場は禁煙なので午前中我満した分を喫茶店で一気にふかすのだ。チェーンスモーカーたちに集われた喫茶店はいい迷惑だ。煙草を吸わない者にしてみれば、せっかく金を払って飲みに来たコーヒーも、煙まみれの空気と共に飲み込んだのでは味も風味もあったもんじゃない。俺は例の病のせいで煙草はやめるに至った。が、酒は付き合い程度にペースを落とすだけにした。やめようとは思わない。女と付き合うために煙草は邪魔だが酒は役に立つ。
 森田秋子と俺は部屋に備え付けのパーコレーターのコーヒーを自分のカップに注いで席に着いた。彼女はキーボードを叩くために、俺は昨日発売だったカーグラフィックを読むために、部屋に戻って来たのだ。プログラムのテストに入ったらしい彼女の声がする。「そうじゃないでしょ」とか、「あ、しまった」とか、「やだ、どうして」とかディスプレイに話しかけるのは、この業界に居る人間の癖だ。機械相手の仕事をしていると、奇妙な独り言が増える。テスト結果が不満だと「このやろう」とディスプレイをぶったりもする。TSOは何の反応もしない。淡々とプログラマーの指先を画面に映し出すだけだ。ノイローゼになってしまう奴も居る。このチームにはまだそこまで仕事に振り回される者は出ていない。皆楽しく毎日の退勤時刻を迎えている。
 とその時、彼女の机の電話が鳴り出した。彼女はキーインに夢中で気が付かない。代わりに俺が取ってやる。
「はい、森田のデスクです」
本人が出た場合は「はい、〇〇です」で良いのだが、代わりが出た場合は「デスク」を入れるのが決まりだ。交換の声が外線であることを告げた。電話が切り換わる音がカチリとした。
「もしもし・・・」
 男の声だ。俺はもう一度言った。
「はい、森田のデスクです」
「あ、森田秋子は・・・」
「はい、少々お待ち下さい」
 俺は受話器で彼女の肩を小突いた。ぎりぎりコードが届いた。彼女はゆっくり振り返った。手はキーボードを叩き続けている。
「あ、すみません」
 彼女は椅子を回転させ、受話器を受け取った。俺は再びカーグラに目を落としたが、耳は男からかかって来た電話を意識している。
「はい・・・うん、覚えてる。そのつもり・・・そうなの? 別に構わないけど・・・良いわ。んじゃ」
 短い電話は終わった。彼女は受話器を戻して溜息をついた。
 私用電話は昼休みのみ許されている。これが仕事中だと交換で勝手に弾かれ、メッセージのみ伝えられる。セキュリティーのためで意地悪しているのではない。
「すみません、外線でした」
「いいや、昼休みは良いんだよ」
 そう答えて彼女を見ると、受話器に手を置いたまま窓外を見ている。青山通りは車がてらてら光るアスファルトの上を音も無く流れている。
「どうかしたのか」
 彼女は暫くじっと答えずにいたが、気を取り直したように笑うと、
「デートがダメになったっていう電話です」
と言った。なぁんだそれだけならそんなに渋い顔をする程でもないだろうに。後で訳を聞いてみることにしよう。
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