sweet dreams baby
その後、無事に終電に乗った夢子は家につく前にコンビニに寄って缶チューハイを買った。

礼二に見破られた通り、今日は仕事のモヤモヤを解消したい。でも礼二は夢子が潰れるほどお酒を出さない。だから家でひとり晩酌をするつもりだ。

「…明日は休みだから良いんだもん…」

つまみと一緒にちびちびとチューハイを飲む。一応テレビをつけてみたが、あまり頭に入ってこない。
結局、気晴らしになったのか微妙なまま酔いだけ回ったのでベッドに入った。

しかし

チクタク、チクタク、チクタク

時計の針が何周したか分からないが、一向に眠くならない。

何度も寝がえりを打ち、体制をかえてもダメだった。次第に諦めて大の字のまま大きなため息をつく。

(…騙されたと思って掛けてみるか)

ベッドから降りて礼二から貰ったコースターをバックから取り出す。
ベッドに腰かけて、スマホに電話番号を打ち込む。現在時刻は午前2時40分。

「こんな時間に本当に繋がるのかな…?」

発信ボタンを押して恐る恐る耳にあてる。4コールが過ぎた所でやっぱりダメかと思った時、

「…お待たせ致しました。こちらは睡眠相談室でございます」

落ち着いた男性の声が聞こえた。切ろうと耳から離しかけたスマホを慌てて持ち直す。

「あ、え?えっと…、夜分遅くにすみません。そちらで寝れるアドバイスをしてもらえるって聞いたんですけど…」

出ないと思って油断していたので、焦ってしまう。

「はい。ご利用ありがとうございます。当サービスは夜中に営業しておりますので、どうぞ深夜でもお気になさらないで下さい。
では、お客様のお名前をお伺いしても宜しいでしょうか?」

「あ、はい。水民夢子です」

「水民様ですね。では本日は私、富戸(ふと)が担当させて頂きます」

耳に馴染むテノールと柔らかい口調を聞いている内に夢子も緊張が溶けてきた。

「眠れない原因に心当たりはありますか?」

「あ、えっとそれは…」

どう話そうか考えを巡らせたが、夢子より先に富戸が口火を切った。

「もしかして考え事ですか?」

また見抜かれた…。私ってそんな分かりやすいの?と夢子はガクッと肩を落とした。

「はい…。その通りでございます…」

「考え事は脳を使うので目が冴えてしまいます。眠る時は力を抜いてリラックスするのがポイントです。しかし、分かっていてもなかなか出来ないものですよね」

なので、と富戸が言葉を切る。

「差し支えなければ、お悩みをお話し頂けないでしょうか?私ではお役に立てないとは思いますが、誰かに話す事で楽になることもあるかと思います。勿論どなたにもお話し致しませんので」

「そうですか…。まぁ確かに」

何だか睡眠相談室と言うよりただの悩み相談室になってきたが、夢子は酔いもあってポツリポツリと話すことにした。

ピアニストを目指して音大を出たが、現実は厳しくて未だに芽がでないこと。

音楽事務所でバイトをしながらフリーのピアニストとしてもオーディションや伴奏募集に応募しているが、なかなか仕事が貰えないこと。

そして今日、やっと貰えた演奏会の仕事を「有名ピアニストを押さえることが出来たから」という理由でキャンセルされてしまったこと。

「…先方は凄く謝って下さったし、もともと私は仮押さえだったので仕方ないんですけど…。明日の為に頑張っていただけに、何か心が折れてしまって…」

話している内に、目に涙の膜が張っているのが分かるが、寸での所で堪える。

「せっかく親に高い学費出してもらって音大行ったのに、何やってんだろうなぁ自分…みたいな。まぁ…そんな感じです」

「それはお辛かったですね。お仕事お疲れ様でございました」

「すみません、私情をべらべらと…。それに私以上に大変なピアニストは沢山いますし、ただの甘えなんですよねぇ」

「いいえ。水民様が辛いと感じられたことに変わりはありませんし、甘えてなどおりませんよ。他の方がどうであろうと関係ございません」

富戸の言葉にまた夢子の涙腺は再び緩くなる。唇を噛んでなんとか押し止める。

「…ありがとうございます」

「いいえ、こちらこそお話し下さりありがとうございます。そのお蔭で御提案も決まりました」

コホン、と富戸が咳払いをする。

「本日は、『泣き寝入り』を提案させて頂きます」

「な、泣き寝入り!?」

まさかのワードに夢子は驚いた。

「泣き寝入りと聞くと不穏な響きに聞こえますが、その字の通り『泣きながら眠りにつく』という意味もございます。
人間は泣くと、自律神経が交感神経優位から副交感神経優位になります。そのため気分がリラックスして眠りに落ちやすくなると言われているんです」

何がそのためなのか分からないくらいちんぷんかんぷんな話だが、要は泣くと眠りが誘発されるらしい。

「あくまで『そう言われている』という段階ではありますが、気持ちを押さえ過ぎるのは良くありません。たまには気がすむまで泣くのも良いかと思いますよ」

まるで夢子が泣くのを我慢しているのを分かっているかような物言いに、瞳から雫がポタリと零れ落ちる。

「うっ、ぐすっ。あ、ありがとうございます…」

一度決壊した涙腺からみるみる涙が溢れだす。手の甲で拭いながらすすり泣く。

「今夜は思う存分泣いてお休みになって下さい。明日の朝、水分補給と目を冷やすのをお忘れないように」

それでは、と電話を切りかける富戸に夢子は「あの!」と声をかけた。

「あのっ…可能ならこのまま寝るまで切らないで貰えませんか…?」

「え?しかし…」

「別に何も話さなくて良いので!い、今一人になりたくないっていうか…」

無茶な要望に語尾が小さくなる。
冷静に考えれば、泣いている人間が自分が寝るまで通話状態にしろ。など非常識極まりないドン引き案件だ。
しかし、再三言うが夢子はこの時酔っ払っていたのである。

「…かしこまりました。当サービスには御提案の後お切りするものと、お休みになられるまでお繋ぎするものがございます。このまま通話状態にさせて頂きます」

「うぅ…。す、すみません…」

その後は枕に顔を埋めてひたすら泣いた。今まで心に溜め込んで、誰にも言えなかった仕事での事を洗い流した。

どれくらいそうしていたかは分からないが、いつの間にか眠っていたらしく気が付いたら翌日だった。しかも時間は昼すぎ。久しぶりにめちゃくちゃ寝た。

目はパンパンに腫れていたが、家でゆっくりする予定なので問題はない。
水タオルで目を冷やした後、ミネラルウォーターをグビグビ飲んだ。

「…ま、焦ってもしょうがない。少しずつでも仕事頑張ろ!」

昨日までどん底だった心はようやく浮上の兆しを見せた。
通話は知らない間に切れていたけれど、眠る寸前に聞いた気がする、

「お休みなさい。良い夢を」

あのテノールの声は夢か、それとも。
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