新妻ですが、離婚を所望いたします~御曹司との甘くて淫らな新婚生活~
『別に俺は……優しいってことは、ないと思うけど』

『優しいよー。今のも、……“あのとき”も』



くすくすと笑いながら、私が彼を特別に優しい人だと認識した出来事を思い浮かべた。

だけどそれは、同時に自分の恥ずかしい記憶を掘り返すことになるので、早々に霧散させることにする。



『……本当か? 辛いなら、無理して輪の中にいなくても……』



未だ釈然としていない険しい表情ながらも、越智くんがそんなことを言う。

ほら、優しい。私は『本当に大丈夫だよ』と返してから、少し考えた。

そして、持っていたサコッシュバッグから小さなメモ帳とボールペンを取り出し、さらさらと走らせる。

今度は不思議そうな顔で様子を眺めていた彼に、手を止めた私はそのページを掲げて見せた。



『越智くん、スマイルスマイル!』



そう言って自分でも、ニッコリ上げた口角を人差し指でつつく。

越智くんは私が向けたメモ帳を見るなり、堪えきれない様子で噴き出した。



『ふは、宮坂のそれ……めちゃくちゃ久々に見た』



口もとにあてていた片手を外しながら、彼が言う。

目論見通り越智くんが笑ってくれたことにこっそり安堵した私も、自然に顔をほころばせた。

私が描いて見せたのは、勤め先の銀行のマスコットである【マネリン】というキャラクターだ。

ベースは招き猫のような感じで、手にはがま口財布を持っているこのマネリン。

まだ入行前研修を受けていた頃、私がレジュメにこっそり落書きしていたのを、たまたま隣の席だった彼に目撃されたことがあったのだ。

あのときの越智くん、やたらとツボって笑っていたから……今もこれを描いて見せたら、笑顔になってくれるかなって思ったんだ。
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