新妻ですが、離婚を所望いたします~御曹司との甘くて淫らな新婚生活~
ニカッとまた太陽のような笑顔を見せた菊池が手羽先揚げにかぶりつく様子を、横目でひそかに眺める。

知らないのだ、この男は。

自分のこんな幸せの裏で──闇々のうちに涙を流していた女性が、いたことを。

その、悲痛な涙を目の前で見届けたのは……他でもない、俺であったことを。



「ほんと、今の俺がこんなに充実してるのは、ほのかと出会わせてくれたミヤのおかげだなー」



そんな事情を知る由もなく、菊池は今まさに俺が考えていた人物の名前をさらりと口にする。

一瞬、ビールジョッキを持ち上げる手が止まりかけた。



『……越智くん、このことは、誰にも言わないで。ほのかと菊池くんには、絶対、教えないで……』



あの夜、俺の腕の中で泣きじゃくりながら──大切な人たちの幸せを願い、自らの恋心が暴かれることに怯えていた彼女の姿が、脳裏によみがえる。

けれども何事もなかったように、手にしたジョッキの中身を飲み干す。



「……そうだな。宮坂に、感謝しろよ」



彼女は今、泣いていないだろうか。笑ってくれているだろうか。

もっともらしい理由がなければ顔を見ることも叶わない、この関係がもどかしい。

まさか自分がひとりの女性相手にこんなことを思う日がこようとは、考えもしなかった。

昔から少し特殊な家庭環境で育ったため、恋愛に対しドライな感情しか持てなかった俺が、今までになく執着心のようなものを覚えたただひとりの女性。
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