今宵、貴女の指にキスをする。
「楠先生、お待たせいたしました」

 円香の隣りにいた堂上は、小走りで楠に近寄った。
 その様子は、"大物小説家の担当者”然で、自分との扱いの差に円香は少しだけ顔を歪める。

 でも、堂上がそういう態度を楠にするのは当たり前なのかもしれない。
 なんと言っても楠はA出版を支える大黒柱的存在だと言っても過言ではないからだ。

 ベストセラーを何本も世に生み出し、今連載しているシリーズだけでもかなりの冊数を売り上げている。
 堂上はA出版の社員として、至極当然なことをしているということだ。

 そんな超売れっ子作家とこうしてプライベートで会うことができるなんて……
 堂上に感謝である。

 円香が楠のファンだと知っていたから、こうした場を設けてくれたのだろう。
 特別仕様の取材旅行の締めには、できすぎなほど素晴らしい。

 堂上と楠、二人のやりとりを少し離れて見ていると、堂上が手招きしてきた。
 こちらに来いと言っているのだろう。
 ドキドキする胸の近くでギュッと手を握りしめると、円香はゆっくりと楠に近づいた。
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