梅雨前線通過中
 美緒が思い当たる人物は、ただひとりしかいない。

「金谷君?」
 
 恐る恐る近づいて声をかけると、改札口に向けて広げられていた傘が反転した。
 婦人用の雨傘とは不釣り合いなサラリーマンが、恥ずかしそうに傘を閉じる。

「気づいてもらえてよかった」

 男性がくるんと傘をスナップで巻き止め、柄を差し出した。
 受け取ったそれは、間違いなく美緒の忘れ物だ。ならば彼は、金谷に間違いない。
 一週間前のうすっらとした記憶を辿り、さらには小学生時代の面影を探して、ようやく確信をもった。
 
「こんなに暑い中、わざわざ待っていてくれたの?」

 礼を言うよりも先に疑問がわく。
 金谷は答えの代わりに、空いた手で照れくさそうに汗ばむ首筋をかいた。

「いつから? もっと早い電車に乗っていたらどうするつもりだったの」

「うちの会社、プレミアムフライデーを導入しているんだよね。だから、いつもの電車よりずっと早いのに乗れたから……」

「だったら、連絡をくれればよかったのに」

 声音に非難じみたものを感じたのか、金谷が口早に弁解する。

「ごめん! なんか、ストーカーみたいだった? そんなつもりじゃなかったんだ。ただ――ほんと、ごめん」

「じゃあ」と言って改札に向かううな垂れた背中を、慌てて美緒は追いかけた。

「金谷君、違うの。ちょっとビックリしちゃって。こっちこそごめんなさい。ありがとう」

 振り返った金谷に下げた頭を起こす。

「ほんと言うとね。この傘、お気に入りだったの」

「雨の日の夜でも目立つ、いい色だよね」

「うん。すぐにわかった」

 傘を差していなかったら、美緒は金谷の前を通り過ぎていたかもしれない。
 そう白状すると、金谷は夜空を仰いだ。
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