さよなら、センセイ
5.兄の呪縛


「あ、母さん。今日レッスンだったんだ?」


ヒロの母は、ピアノを教えている。
と言っても、昔からの知り合い達に請われて教えているだけなので月に数回だが。


母の後ろで生徒の男性がヒロに手を振っていた。
定年間近というその男性は、もう20年越しの生徒だ。
教育の現場で働く彼は忙しく、あまりレッスンが受けられない。それでも、ピアノが好きで時間を見つけてはやってくる。


「聞いたわよヒロ、一位ですって?
おめでとう、すごいのね」

母は生徒を見送って、競技会で一位になったことをヒロに尋ねた。
今のピアノの生徒に聞いたようだ。

「やっぱり。それであの人、今日レッスンだったんだな。

そうなんだ、これ、見て」

一位の賞状を見て泣きそうなほど母は、喜んでくれた。

「恵さんのおかげかしら」

「あぁ、俺に自信をくれた。
ホント、教師に向いてるよ」

ヒロが母と話していると、いきなり秀則が現れた。

「どうしたの、母さん。大きな声あげたりして」

ヒロは久しぶりに見た兄に驚き、とっさに机上の賞状を裏返した。
が、それがかえって秀則の目を奪う。

「なんだこれ。

へぇ、ヒロが一位。…おめでとう」
秀則の口元は笑っているが、目は全く笑っていない。ヒロの優秀な成績は全て気に入らないのだ。

「たまたまだよ。まーこれで引退だし、記念になった」

ヒロはそう言うと秀則の手から賞状を取り上げて、自室へと引き上げた。



「おい、ヒロ。久しぶりに顔を合わせたんだ。少し、話をしようぜ」

秀則は、ヒロの後をついてくる。
ヒロは怪訝そうに、でも兄を自室へと入れた。

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