ユウジン

1.
一ヶ月の滞在の最後の二日間は自分のために使うと決めていた。大沢 匠は、最後の滞在地となったバンクーバーの繁華街からバスでほんの10分程、滞在しているホテルから歩いていける程の海岸沿いのギフトショップのウィンドウを覗いた。
ウィンドーに飾られた虹色に並ぶロングネックストラップは使い道が多そうだ。大沢は、目に留まった幅七ミリほどのターコイズブルーのネックストラップがある男の首にピタリと吸い付くところを想像した。男性にしては幾分細めの、伸びたままの柔らかい毛足が掛かる首筋に、革の持つ特有の油分を持ったしなやかさで、ぴとっと、くっつく。あるいは革の毛羽立った裏面が彼の首筋を擽るのかもしれない。
大沢はウィンドーを向いたままドアを開けた。
皮革製のストラップはところどころ革独特の皺を刻み、ターコイズブルーのものはその皺の部分だけが深い青色で、それは深遠な海の色のように美しかった。血の色のような赤、大地を思わせる茶色、情熱を搾り出したような濃いピンク色、夜の始まりのような紫・・・・。綺麗に並んだフックから、迷わずにターコイズブルーを選んだ。それから紫色を手に取り、少しだけ迷って、最初の自分の勘に従ってターコイズブルーにする。
『名前を入れるわよ。』
と、店員が大沢に声をかけた。長身の大沢よりもさらに頭ひとつ高い。彼のクルクルと愛らしいパーマは自然のものだろうか。
『すぐ出来るの?明日こっちを発つんだけど』
『すぐよ。30分くらい。』
『そう、じゃぁ、お願いしようかな。』
『マサヒト、M、A、S、A、H、I、・・・』
改めて彼の名前を口にすると、まるで初めて彼を呼んだような気がした。その名が彼の名前の一部であるようには思えない。恋人であった時期よりも、先輩後輩として、同僚として一緒にいた時間が長いから、彼のことを下の名前で呼んだことなどなかった。恋人になった今でも。彼を抱くベッドの中でさえ、呼びなれた上の名前を「さん」付けで呼ぶのだった。

きっかり30分、程近いカフェで時間をつぶしてギフトショップに戻った。出来上がりを確認する。レーザーで焼いた彼の名前が、海のような青に沈んでいる。
「マサヒト・・・・」
ひとさし指で、そっと撫でる。その指はまるで、恋人の頬を撫でるように、恋人の背骨をなぞるように、慈しみ深かった。焼いた文字がまるでまだ熱を持っているように感じる。彼の名前がこんなに美しい名前だったなんて、と改めて思うのだった。
小箱に入ったレザーストラップをギフトラッピングしてもらい、大沢はしゃりしゃりと鳴るビニール袋を手に店を出た。海沿いの町を走る車は街中を走る車と同じ車種でもエンジン音が違うように聞こえる。黒い大きなスポーツトラックをやり過ごして、大沢は道を渡った。砂を刷いた階段を降りて砂浜へ降りていく。長い前髪が潮風に揺れた。目を細めて地平線を見つめる。あと一晩。そしたら日本に帰れる。恋人が待っている、日本に。
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