それなら私が女王になります! ~辺境に飛ばされた貴族令嬢は3回のキスで奇跡を起こす~

 ティーカップ片手に幸せな気分に浸っているとヘンリーが突然現れた。

「ヘンリー? 寝たんじゃないの?」

 私の問いかけにヘンリーは、ばつが悪そうに顔を横へそらす。
 
「う、うるせえ! 俺の勝手だろ!」

 声が裏返っている。昔から何かを隠している時の癖だ。
 そこで私はかまをかけてみた。
 
「ははぁん。もしかしてジェイのことが気になって眠れなかったんでしょ?」

 大きく目を見開いたヘンリーは顔を真っ赤にして私に叫んだ。
 
「そんなわけないだろ!! ば、バカを言うのもほどほどにしろってんだ!」

 図星に違いない。

(必死に隠そうとしちゃって……。いくつになっても強情なんだから)
 
 ……と自分のことは棚に上げながら、私は再びティーカップに視線を戻して言った。
 
「ジェイならマインラートさんと作戦室にいるわよ」

「姉さん抜きで作戦を立ててるのかよ」

「そうよ。戦争のことなら彼に任せておけば上手くいくわ」

 そこで話を切った私は紅茶を口に含んだ。
 オレンジの清涼感が私の頬を緩ませる。
 でもヘンリーは私の様子が気に食わなかったようだ。眉をしかめて口を尖らせた。
 
「姉さんはあいつを信じられるのかよ!」

「信じる? どういうこと?」

「あいつはジュスティーノ殿下の殺害を企てた罪人なんだろ! そんなヤツに自分と町の命運を預けてしまっていいのかよ!!」

 ずんと胸に響く言葉だ。
 しかし頭で考えるより先に、私の口からついて出てきたのは鋭い声だった。
 
「ジェイは罪人なんかじゃない! それ以上、彼を悪く言うつもりなら許さないわよ!」

 ヘンリーを叱りつけるなんて生まれて初めてだ。
 面食らったヘンリーは口を半開きにしている。
 しかし彼はすぐに険しい表情に変えて怒声をあげた。
 
「誰がなんと言おうと、俺は信じないからな!! あんなヤツに……」

 何かを言いかけたままヘンリーは食堂を飛び出していった。
 荒々しくドアを閉めた音があまりにも大きくて、思わず目をつむってしまった。
 直後に不安が脳裏をよぎる。
 
(ヘンリー……。まさかジェイに何かするつもりじゃないでしょうね!?)

 少しでも曲がったことが嫌いで、カッとなりやすい性格の彼のことだ。
 ジェイがここにいる理由に納得がいかなければ何をしでかすか分からない。
 
「ヘンリー! 待ちなさい!」

 そう叫んだが当然彼は戻ってこない。
 私は残りの紅茶を一気に飲み干した。
 
「ごちそうさまでした」

 ティーカップをテーブルに置いた後、ヘンリーを追って食堂を出たのだった。
 
………
……

「へんっ! 情けねえ声出しやがって! 高名な天才軍師様のお出ましと聞いてやって来たが、どうやらとんだ勘違いだったようだな!」

 ヘンリーの高い声が廊下にまで響いてきた。
 部屋はまだ先で、中の様子は分からない。
 しかし挑発的な言葉からして良くない雰囲気なのは間違いない。
 私は駆ける足を早めた。
 
「何がおかしいって言うんだよ! 笑いたいのはこっちの方だ! 姉さんが目を輝かせてお前のことを話すものだから、どんなにすげー奴か期待してた俺が馬鹿だったぜ」

(もうやめなさい!)

 心の中で叱りつける。すると私の気持ちが通じたかのようにマインラートさんの声が聞こえてきた。

「ヘンリー様。少し口が過ぎるかと」

 次の角を曲がれば作戦室だ。
 
(でもこのまま私が割って入ったら、どうなるだろう……?)

 浮かんできた疑問に足が止まる。
 ヘンリーがジェイに突っかかっていれば、私はジェイの肩を持つことになる。
 自然とヘンリーを孤立させてしまうだろう。
 そうなるとヘンリーは余計にかたくなにジェイに反抗するのは目に見えている。

(少し様子を見た方がよさそうね)

 そこで私は部屋の様子が分かるところで身をひそめることにした。
 幸いなことに部屋のドアは開けっ放しになっており、三人の姿がしっかりと目に入る。
 ヘンリーは背を向けているため表情が分からないが、ジェイは何事もないかのように穏やかな笑みを浮かべている。

(きっとヘンリーはこの表情が気に食わなかったのね)

 小刻みに肩が震えているから、かなり腹を立てているのは確かだ。顔も真っ赤に染まっているに違いない。
 ジェイはヘンリーの前に立つマインラートさんの肩をポンと手を乗せた。
 そしてマインラートさんに下がるように目で合図をした後、ヘンリーの目の前までやってきた。
 
「申し遅れました。ヘンリー殿。俺はジェイ・ターナー。以後、お見知りおきを」

 とても落ち着いた声。でも迫ってくるような威圧感が全身から放たれている。
 少し離れたところにいる私がごくりと唾を飲みこんでしまったのだから、ヘンリが一歩だけ後ずさりしたも仕方ない。
 それでも彼は、

「……ヘンリー・ブルジェ……。この町の領主、リアーヌ・ブルジェは俺の姉だ」

 たどたどしく自己紹介した。

(偉いぞ! ヘンリー! ジェイの威圧感に負けなかったわね!)

 いらぬところに感心してしまうのは、姉としての悲しいさがだ……。
 するとジェイは目を細めて表情を和らげた。
 張り詰めていた威圧感が消え、まるで抱きしめるような優しさに場が包まれる。私は口をぽかんと開けてすっかり見入ってしまった。
 一方のヘンリーは横に顔をそむけた。頬が真っ赤に染まっているが、怒りではなく気恥ずかしさによるものだろう。

(やっぱりジェイはすごいわ。変幻自在に場の空気を変えてヘンリーを手玉に取ってる……。戦略だけじゃなく、交渉の天才とたたえられたのもうなずけるわ)

 私が唖然としているうちにヘンリーの強がる声が聞こえてきた。
 
「と、ところで、何か『いい作戦』は思いついたのかよ?」

「いえ、まだ」

 ジェイがため息まじりに答えたのに対し、ヘンリーは首をすくめた。
 
「へんっ! 思いつきっこねえよ! だって勝てるわけねえんだから!」

「ほう。なぜそう思うのでしょう?」

「町の防御も手薄なら、兵もしょっぱい。勝てる要素なんてあるわけねえだろ!」

「ふむ。言われてみればその通りかもしれませんね」

 綿毛のように柔らかなジェイの口調に対して、ヘンリーの口調はかなり攻撃的でとがっている。
 でもヘンリーのいら立ちの矛先はジェイではなく、『他の何か』に向いているみたいね。
 だってジェイにつかみかかろうとするような素振りはないのだから。
 
(ヘンリーは何にいら立っているんだろう?)

 ジェイは温厚な顔でヘンリーの言葉を待っている。
 するとヘンリーは、ぶっきらぼうな口調で続けた。
 
「ああ、負けだ! 負け! たとえここに神様がいても、この戦は勝てっこない! 姉さんは処刑されてしまうんだ! それはもう運命なんだよ!」

 『姉さんは処刑されてしまうんだ!』という文句に、雷に打たれたかのような衝撃を覚えた。

(まさかヘンリーは……)

 ヘンリーは続けた。とても物悲しそうな横顔をこちらに向けて――。
 
「姉さんが何をしたって言うんだよ……。何も悪いことしてないのに」

 これでヘンリーがいら立っていた理由がはっきりした。
 
(私だ……。私のことが心配でヘンリーはいら立っていたんだ……)

 リーム王国に宣戦布告されてから約二週間。
 ヘンリーは死に物狂いで頑張っていた。
 剣の稽古。門の修繕。兵たちの調練……。
 
――なんでもほどほどがいいんだよ。

 が口癖だったヘンリーがなぜあんなにも真剣だったのか……不思議でならなかった。
 それも全て私を死なせたくないという理由だったのだ。

 心が震え、目頭が熱くなる――。
 
 一方のジェイはヘンリーの両肩に手を乗せた。
 そして力強い口調で告げたのだった。
 

「心配しなくても大丈夫だ。リアーヌ殿のことは俺が守る」
 

 再び私の全身に電撃のような強い衝撃が走る。
 こらえていた涙がぽろぽろとこぼれだした。

「リアーヌ殿だけじゃない。ヘンリー殿のことも、この町の領民たちのことも、俺が守ってみせる」

 一点の曇りもない約束の言葉に涙がとめどなく流れ落ちる。
 私はジュスティーノ殿下とジェイとの間にどんなことがあったのかは知らない。
 なぜ彼が投獄され、皇都を追われ、そしてこの町にたどり着いたのかも分からない。
 でももはやそんなことなんて、どうでもいいと思えた。
 それくらいに透明な情熱が感じられたのだ。
 しばらくした後、ジェイはヘンリーから一歩だけ離れた。
 そして頬をかきながら苦笑いを浮かべた。
 
「しかし、この状況はあまりにもよくないな」
 
「でもみんなのことを守ってくれるんだろ。どうするんだよ」

 ヘンリーの口調は相変わらずぶっきらぼうだけど、先ほどまでのトゲはない。
 ジェイはニヤっと口角を上げると、さらりと答えた。
 しかしそれは滂沱として流れる涙すら止まってしまうほどに、驚きの内容だった――。


「なら負けるしかありませんね」



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