海の底にある夢【完】


「ブレストもキリアスも素直じゃないよな。本当は行ってほしくないくせにいってらっしゃいと言うし、守りたい女一人に対して後悔を抱えたまま世話するなんてさ。惹かれてるんだろ、エアに。だがそれは後悔から生じた罪滅ぼしだってことに気づいているか?」

「そんなわけない…!」

「いいや、そんなわけある。おまえ、こいつが網に引っ掛かった後、置いて行こうとしただろう。得体の知れない女に俺が処置を施すのも変な目をして見ていた。あのとき何を考えていたのか当ててやろうか?」

「……言うな。言うんじゃない。そこに本人がいるんだぞ」

怒ったように眉を吊り上げるキリアスはその赤い瞳に暗い悲しみを隠していた。
それが今、全身に伝染して見えた。

「もし俺が死んだらこいつのせいにしよう…だろ? 海には微生物が無数に存在する。それらは魚介類のエサになるものもあるが、中には人間に害がある種類もいる。俺が寄生虫かなんかに感染した場合はエアに責任を押し付けようとした。違うか?」

「…やめろ」

「あともう一つ。これは俺も許していないんだがな。キリアス。おまえ、エアに毒を盛っただろう。普通なら即死する量だったと聞いている。確かに俺は漁から城に帰ったと同時に高熱を出して丸二日寝こみはした。だが死んでいない。生きている。俺の知らないところで勝手なことをするな」

「…俺だって必死だったんだ」

エアが目を覚ましたのはディレストが起きてから三日後、つまり海から発見されてから五日経った日だった。

ディレストが寝込んでいる間、キリアスは生きた心地がしなかった。
このまま死んでしまったらと幾度も考えてはやめ、また想像した。
しかしいざ彼が目を覚ましたとき、キリアスは己の浅はかな行為を嘲笑した。
彼女にはなんの罪も無かったのだ。

両親がおらず自らの命を投げ出そうとした彼女の経緯を聞かされたが、最初は信じられなかった。
しかし毒の効果が薄いことに気が付き、さらにはその効果すらすぐに治まった。

浮世離れした容姿と、無垢な感情。
真っ白で純粋な穢れのない彼女は彼にとっては毒だったのかもしれない。
あるいは、蜜か。

いつの間にか彼女に固執している自分がいることに気が付き、キリアスは困惑した。

「必死だったんだ…以前も、今も」

もう、何に必死だったのかよくわからないが。

「キリアス、頭を冷やせ。半年間の留守はおまえとブレストに任せる。これが俺の最後の我儘だ…俺はエアを連れて旅に出る。残りの人生に色を与えたい。俺にとっても価値のあることだ。社会勉強ができるしな…戻ったらもう必要以上の視察は行かないと約束する」

「……わかり、ました」

「三か月後に出ようと思う。それまでブレストには公務の指導をしておくから安心しろ」

そうして、キリアスはその日、進めていたあることを一切しなくなった。
有給休暇の申請である。

(七か月半から半年…一か月半残るのか)

彼女の笑顔は未だ見たことがないが、その一か月半の間で一度でもいいから見られればいい。
と、彼は破いた申請書を切なく目を細めながら眺めた。

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