偽婚

選択



夏がきた。

神藤さんはチョコカフェのオープンに向けて奔走していて、今まで以上に忙しそうにしていたが、でも私はもう、寂しいとは思わなかった。


神藤さんは、どんなに疲れて帰ってきても、私との時間を大切にしてくれていたから。



「ただいま。ほら、土産だ」


帰宅して早々に、神藤さんは私に箱を手渡した。



「何?」

「試作品のチョコ」

「わぁ、嬉しい!」

「でもそれ全部、ボツなんだと。ショコラティエ様はこだわりが強くて、苦労するよ」


神藤さんは、やれやれという顔をする。

私は箱の中から、チョコの一粒をつまんでみた。



「何これ、すっごいおいしい! ほのかにオレンジの香りがするよ!」

「だろ? 俺はそれでいいと思ったんだけど、何がダメなんだかなぁ」

「ってことは、お店に並ぶのは、これよりずっとおいしいチョコってことだよね? ますます楽しみじゃん」


私の言葉に、がっくりと肩を落とす、神藤さん。



「お前は、ほんとポジティブだよな。少しは俺の気苦労をねぎらえっつーの」

「でも、おいしい方がいいじゃん。お客さんだって喜ぶよ。そしたら神藤さんも嬉しいでしょ? その時は、気苦労なんて、きっと簡単に吹っ飛んじゃうはずだよ」

「そういうこと言ってるんじゃないんだけどな、俺は」
< 172 / 219 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop