龍神愛詞
2・呪と言の葉

そしてあれから五年の月日が流れた。
今では自分に刃向う敵は誰もいなくなった。
短いようで長い月日の中で膨大な力を半ば強引に周りに見せつけてきた。
私の力を認めさせる為に。
自分の力を知らしめる為に。
早く彼女を自分の元に取り戻す為に。

逆らう事を許さない。
絶対的な力。
力でねじ伏せる圧倒的な力。
奪われた者は我が手で奪い返す。
大切な者をもう一度我が手に。
断固として、揺るがない願い。
誰にも反抗をさせる意志さえ与えない。
絶大な力を見せつけ、反論を許さない存在。

今では恐怖し、私の前で話をする者さえいなくなった。
みんな私の目を見ず、恐怖に脅え萎縮する者たち。
それでいい。
反論する事は許さない。
彼女さえ私の側に帰ってくるのなら。
彼女のあの光輝く笑顔を独り占めできるのなら。
私はその日の為に生きてきたのだから。

龍の理性を保たせているもの。
それは人間の遺伝子、血の存在。
野生の力だけでは龍族は滅んでいただろう。
それを繋ぎとめたのは、人間の豊かな感情。
表情豊かな、暖かな想い。
理性を力を得る為に、本能のまま昔から龍は巫女に子供を産ませていた。
か弱き者に宿る命。
それは種を絶やさない為の行為。

今の龍族の中で子供を宿す事の出来る異性はいない。
彼女は子孫を残す為、人間から生贄として選ばれた巫女の家系だった。
そしてその変わりに人間は龍族から守られる事となる。

龍王の子供を産むだけの存在。
龍族と巫女との間には稀にしか女は産まれない。
人間をただの生き物としてしかみていない貴族たち。
その目的の為だけに、自由を束縛された巫女たち。
龍の国では、巫女たちの扱いは酷い物だった。
前の龍王である父は、巫女を奴隷の様に使い、何人もの巫女たちが命を落とした。

しかし。
・・・私は父とは違う・・・
彼女を酷い目に合わせるなどと出来るわけがない。

そしてやっと彼女に逢える!!
私の身体の全てが熱く、激しく高鳴っていた。
この日をどんなに待ち望んでいたか。
どんなに待ち焦がれ、願ってきたか。
そして今日。
待ちに待ったこの日がやって来た。
どんなに待ち望んだ事か。

彼女を半ば監禁していた者たち。
あの頃とは逆の立場。
逆らえないほどの絶大な力を持った私の命令。
とうとう彼女を解放したのだった。
彼女を戻さなければどうなるか?
逆らえば死を意味するという事実。
自分の命と彼女では、答えは明白だった。

人々が騒ぎ始める。
やっと到着したようだ。

大広間。
少し落ち着いた色合いの朱い絨毯。
龍の鱗を真似た模様が幾重にを織り込まれている。
その上にそれとよく似た朱い色の細長い絨毯が道を作るように、部屋の奥まで続いている。
左右に、たくさんの家臣たちが行儀よく並ぶ。
その先に一段と高い場所、細長い絨毯の行き着く先。
龍の頭が形造られた豪華な金色の椅子に静かに龍王が座っている。
そこにいるだけで、強い力を誇示している龍王の存在感。
座っているだけなのに、この威圧感。
今か今かと、じっと入り口を見ていた。

ドアが大きく開かれた。
自分の目の前に彼女と一人の男が現れた。
大きな布をすっぽりかぶり、金色の刺繍が施された紐を後ろに結んでいる。
口には豊かな髭が綺麗に切り添えられていた。
隣の彼女は、同じく大きな白い布を頭からかぶっていた。
そして腰には鮮やか組み紐で結ばれていた。
長い髪を後ろで結いあげた姿。。
少し大人になった彼女は、女性としての美しさをも感じさせた。
想像していた以上に綺麗に、成長した姿。
彼女は少し伏し目がちに歩く。
連れてきた男に、強引に引っられる様に連れて来られた。
歩くたびに靴についた小さな鈴が響く。

目の前まで来ると、男に無理やり床に頭を擦りつける形で頭を押さえつけられる。
「約束通り連れてきました。」
なすがままの彼女。
悲鳴一つもあげる事はない。
あんなに力強く引っ張られて痛いだろうに。
そしてあの傲慢な男の態度。
私は男を睨み、それ以上の言葉を黙らせる。

私は自ら椅子から降り、彼女の側に近づく。
その行動にどよめく者たち。
私はそれを人睨みで沈黙させる。
恐怖で顔色を失う者。
龍王の逆鱗に触れない様に皆一応に頭を下げた。

人の気配を感じた彼女が顔を上げた。
久しぶりに目があった瞬間、何も宿していない目に驚く。
光のない死んだような淀んだ瞳。
自分を映していない感情のない表情。
あの頃の光輝く笑顔はなく、まるで別人のようになってしまっていた。

一体何があったというんだ。
五年という月日は、彼女をこんなにも変えてしまうものなのか。
会えなかった時間に、翡翠の身に何かあったに違いない。
あんなに待ち望んでいた笑顔は今はもうない。
数百年、長ければ数千年は生きるといわれている龍族。
龍族にとっては、たかが五年という短い時間の流れ。
しかし人間にとっては、長い刻の流れ。

「スー」
耳元で彼女にそう呼んでみる。
昔みんなからその愛称で呼ばれていた。
少しは反応してくれる事を願いを込めて。
しかし全く反応はなく、自分の事を呼ばれているのさえ分からない。
自分を映し出すでもなく、遠くを見つめる瞳。
何かに魂を囚われた瞳。

「返事をしなさい!」
連れて来た男は私のすぐ横で、無謀にも乱暴に彼女に手をあげようとした。
いつもそうやって日常茶飯事に暴力を奮っていたのだろう。
振り上げた手に何の躊躇もない。
彼女に危害を加えようとする、この男に怒りを感じた。
私はすかさず振り上げた腕を掴み、いとも簡単に身体もろとも放り投げる。
男の身体は大きく飛ばされ壁に激突した。
激痛で動けない男。

私はそれには全く興味を示さず、彼女を軽々と抱きかかえた。
彼女の暖かな体温が抱えた腕に伝わってくる。
触れられた事の喜びで、先ほどの男の行動などすっかり忘れてしまった。
やっとこの腕に戻ってきた。
ただただその喜びだけで、身体が震えた。
私はそのまま自室へと向かった。

自室に戻った私は、抱きかかえたままベッドの上に座った。
その間、嫌がる事も寄り添う事もなく腕の中にいた彼女。
私は両手で彼女の頬に触れ自分の方へ向かせる。
光のない目を見つめる私。
「ひすい、翡翠。私がわかる?」
この上なく優しく、問いかける。
だが同じく、何も反応してくれない。

翡翠。
彼女の本当の名前。
命の名前。
本来本当の名前は知られてはいけないもの。
名付けた親にのみが知っているもので、兄弟さえも知らされる事はない。
また名付けた者がそれを悪用すれば、その魂は呪いに囚われ命を落とす。
本当の名前で命令されれば、呪によって知られたものに支配されるからだ。
彼女の様子からして、名前で支配されている事が想像できた。

普通なら命の名前と命令は組してひとつ。
命の名前を言った時点で呪は解け、その命令は崩れるもの。
だが本来の名前を呼んでも反応がない。
この呪を解く為には、名前の他に言の葉が混じっているようだ。
強い術師が本来の呪の他に違う言葉も混ぜてしまったようだ。
命の名前と2つの言の葉。
それほどまでにして、翡翠にどんな命令をしたんだ。
言の葉が分からない以上、今はどうしてやる事も出来ない。
私は優しく翡翠を抱きよせた。
抱き返す事もないが今の私には、こうしてあげる事が精一杯だった。

その日から私は片時も翡翠を離さなかった。
離れていた時間を少しでもうめたい。
翡翠に近づきたい。
今まで私がこんなにも何かに執着する事なかった。
周りの貴族たちは、みんな驚いていたが意見をする者は一人もいなった。
私は色々な言の葉で問いかけてみた。
しかし全く反応を示してくれない。
それでも翡翠の側にいれるだけで満ち足りた時間だった。

数か月が過ぎても好転する気配はなかった。
さして私は気にとめる事もしなかった。
しかしさすがに黙認してきた者たちから意見が出始める。
会議中も、いつものように翡翠は私の膝の上で静かに座っていた。
一言も話さず、じっと聞いていた龍王。
それをいい事に調子にのったのか、ポツリポツリと本音が飛び交う。
他の巫女と交代した方がいいのではないか?
何かに取りつかれた様な巫女では気味が悪い。
もっと他に巫女はいるだろう。
あの巫女でなくてもいいだろう。
翡翠を非難する言葉が聞こえてきた。

・・・こいつらは、なにを勝手なことばかり!!・・・
・・・私の巫女は翡翠だけだ!!・・・
怒りをそいつらにぶつけようと身を乗り出した時、いつもと違う事に気付いた。
何かが私の袖を軽く引っ張る感触を感じた。
その方を見ると、驚いたことに翡翠が私の袖を掴んでいたのだ。
自ら何か行動を示したのは初めての事だった。

私は翡翠を見つめ返す。
「どうしたの?」
翡翠を驚かせないように、優しく言葉をかけた。
その穏やかな龍王の表情に周りの者たちは、驚いていた。
無表情。冷酷無比な龍王が笑っている?!
それを無視して、翡翠に笑いかける。

「こ・こに・・いたい。」
久しぶりに聞く翡翠の声。
他の者には聞こえない。
小さいが確かに聞こえた。
絞り出すような擦れた声。
少し舌足らずの口調。
ゆっくりとしたリズム。
「周りの者が巫女の交代の話をしたから、不安になったの?」
瞳は変わらず淀んだままだったが、翡翠の首が小さく頷いた。
「またどこかに連れて行かれると思って不安になった?」
また頷く。
今までにない、反応。
呪は解かれてはいないが、それを抗うほどの意志。
翡翠の精一杯の抵抗。

私は人目もはばからず強く翡翠を抱きしめ、腕の中に閉じ込めた。
翡翠のとても小さな身体はすっぽりと私に包まれる。
なんと愛らしい事か。
何も心配はいらないというのに。

「心配しないで、ずっとここにいていいんだよ。」
袖を握っている手の上から優しく包み込む様に握る手。
小さな手が私の手で隠れて見えなくなった。
なんと小さな身体、か弱き人であることか。
少し力を強くすれば、いとも簡単に砕け散るだろう。

どれぐらいそうしていただろうか?
私の腕の中で安心したように、いつの間にか眠ってしまった翡翠。
その寝顔を穏やかな気持ちで見つめる。
やっと自分の腕に戻ってきた。
待ち望んだ希望がこの腕の中にある。
全身全霊をかけて守ってみせる。
翡翠という存在そのものを。
誰にも傷つけさせはしない。

青龍の国に行く!!

呪からの解放。
その手がかりを掴むため、翡翠が監禁されていた国、青龍の国に行く事を決意する。



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