龍神愛詞
7・本当の強さ
紅龍は砂漠の真ん中にいた。
ここで龍王を待ち構えていたのだ。
名前の通り、紅の身体。
あちこちに泥と血の塊がこびり付いている。
数え切れない程の大小様々な傷。
古いものから新しいものまで見うけられる。
よく鍛えられた筋肉。
翼は他の龍族よりも小さめだ。
だが急な身体の移動、機敏さが望まれる日々の戦いの中。
その小回りの効く小さな翼の方が有利といえた。

もうすぐ龍王と本当の力で戦える!!
近づいてくる龍王の気。
空気が大地が怒りのため震えていた。
龍王の怒りが悲しみが伝わってくる。
猛烈な殺意の塊が真っ直ぐ向かってくる。
我を忘れる程の怒りに囚われ、暴走は激しさを増すばかりだ。

それと正反対に紅龍の顔は喜びで溢れていた。
じわじわと迫りくる高揚感。
来る!
もうすぐ来る!!
今か今かと待ちわびる。
そしてとうとうその姿を目で捕らえた。

・・・これが龍王・・・
龍王の周りには凄まじい風。
そして稲光りを伴う気迫。
大地が大気が空が龍王の怒りに同調して嵐を連れて来た。
龍王の気によって天候をも味方に付ける力。
凄まじい破壊力。
これだ!! 
これを待っていた!!!
その怒り狂った龍王の見て、さも嬉しそうに高笑いをする。


龍王のありったけの殺意に満ちた怒り。
・・・素晴らしい力・・・
・・・これぞ究極の強さ・・・
・・・敵うはずがない絶対的な力の差・・・
それは最初から理解っていた事。
俺は赤龍の国で強さの頂点、皇帝の座に就いた。
もう国内では、だれも相手になる者はいない。
自分をも超える存在。
後はこの世にただ一人。
それは龍王のみ。
だからこそ身体全てでそれを感じたかった。
この瞬間をどんなに待ち望んだ事か。
自分の望みが、叶った瞬間だった。

龍王は紅龍を見つけると躊躇なく突撃してきた。
紅龍の身体が大きく傾く。
旋回した龍王が急速に近づく。
怒りに身を任せ赤いオーラが荒々しく燃え上がる。
二度目の突撃。
しかしそれを、紅龍はすれすれの所で何とか交わす。
どうも頭に血が上り正常な判断が出来ないようだ。
突撃だけの単調な攻撃が続く。
だから旋回するまでに、間があると思って油断した。
次の突撃は体勢を立て直す事なくやって来た。
真後ろからの突撃。
紅龍は反撃する間もなく吹き飛ばされた。

力の差は歴然だった。
紅龍の大きな身体はこの葉の様に大きく宙を舞った。
そして受け身も出来ずに、真っ逆さまに地上に激突した。
たった三度の短い交戦の中、気が付かない程に深手を負っていた。
全身が痺れて使いものにならない。
龍王に触れる事さえ、かすり傷さえ与える事は出来なかった。
圧倒的な力の差。
勝負は呆気ないものだった。
これが現実。
それでも紅龍は満足だった。
肌に感じる、心臓を伝わるびりびりとした龍王の力。
自分よりも強い力を見せつけられた高揚感。
満足感だけが紅龍の心を占める。
そして、しばし目を閉じる。

戦いは終わった筈だった。
しかし、怒りで我を忘れた龍王
抑制の無くなった力の暴走。
理性を失くし、辺りを憎悪と憤怒が充満する。
こうなったら誰もこの暴走を止める事は出来ない。
怒りが憎悪が膨らみ続けていく。
なぜ怒っているかさえ忘れて、ただ怒る好意のみが取り残される。
空が空気が震えていた。
大地が裂け、幾重にも亀裂がはしる。
いなびかりが光る。
龍王の有り余る膨大なる力。
今にも爆発しそうな勢いで、その力は抑えを失って広がり続ける。

2匹の龍の戦いを遠い場所から見守っていた翡翠。
蒼龍と共にその行く末を見守っていた。
しかし戦いが終わっても、一向に止む事のない龍王の暴走。
苦しそうに、ただ理性を忘れて暴走し続ける。
・・・龍王!!!・・・
・・・全てを忘れてしまったの?・・・
身体が、心が辛そうに咆哮を続ける龍王。
止める術を失くした姿。
もはや自分では感情を制御できないでいた。

・・・助けてあげたい。・・・
・・・助けなければ!!・・・
・・・止めなければ・・・
・・・龍王自身が傷ついてしまう!!!・・・
・・・戦いは終わったんだよ。・・・
・・・私はここにいるよ。・・・
大きな壁、重い何かに押しつぶされそうな苦痛に耐える。
呪に抗う事への代償。
感情の波が来るたびに激痛が襲ってくる。
しかし龍王の存在が。
縛られた身動きの出来ない筈の私の本能を揺さぶらせる。
呪に抗い激痛に耐えてもなお、私の感情は龍王を助けたいと願う。
翡翠は歩み始める。

それに気付く蒼龍。
「近づいたら危険だ!」
しかし翡翠の顔を見て蒼龍は、止めようとした手が止まった。
真剣な瞳の奥のもっと奥。
呪で抑え込まれている筈の感情をも覆す強い気持ち。
見据える先。
いま見えている者は龍王のみ。
小さな身体にどこからこんな強さが出てくるんだ。
ちっぽけな弱い人間の筈なのに。
翡翠の気迫にただ立ち尽くす。
今の蒼龍にはには見守る事しか出来なかった。
翡翠と龍王の間に立ち入る事の出来ない聖域。
・・・行くな・・・
静止の言葉をぐっと飲み込む。
見守る蒼龍は、熱い思いと拳を握りしめる。

それともう1つ。
じっと見つめる視線。
紅龍は、翡翠の動向にくぎ付けにされていた。
そして龍王との戦いの高揚感が一気に冷めていくのを感じた。
翡翠を見た途端、崩れ去るもの。
それは自分の今まで望んできた強さへの形。
見せつけられる衝撃的な事実と現実。
今まで思っていた純粋なる力による強さ。
だが、それは間違っていたというのか?
それ以上の強さが目の前にある。
ずっと変わる事のない強さ。
変化する強さとは違うもの。
今までの考えを根本的に覆すもの。
長い間追い求めていた強さへの憧れ。
それが今ここにある。
紅龍は動けない身体を自力で何とか動かし、翡翠の姿を目で追う。

龍王の攻撃する光の玉が容赦なく雨の様に降り注ぐ。
凄まじい音と熱風。
飛び散る石の破片が砂となり凶器になる。
しかし不思議な事に、翡翠に直接当たる事はない。
どれも寸前の所を避けて後方へと消えていく。
まるで光の玉の1つ1つがまるで生きているかの様だ。
翡翠のすぐ横をかすめていく。
怖くない。
怖くはない。
龍王は全ての感情を忘れている訳ではない。
荒れ狂うこの場所。
龍王と翡翠の長い離れた距離。
例え離れていても龍王は、翡翠を認めている。
それは龍王の攻撃が直接当たらない事がその証拠。
これは龍王の意志。
我を忘れても心のどこか、僅かにも翡翠への想いがそうさせている。
傷つけたくないという、本能が働いているしか思えなかった。

しかし吹き抜ける凄まじい風の刃。
直接攻撃は当たらないがそれ以外の衝撃には防ぐ術はない。
人間という生き物のこれは弱さ。
いつしか容赦なく小さな傷を翡翠の身体に与えていた。
翡翠の身体から血がいたる所から流れだす。
血液が外へと流れすぎて、気を遠くなる。
それでも前へ前へ。
爆風によろけながらも、龍王の下に近づいていく。

スーはすでに全身に多数の傷を負っていた。
重い身体を引きずり今にも倒れそうな姿。
それでも諦めずにただ前に進んでいく翡翠。
傷だらけの小さな身体。
服は最初から朱い色だったかの様に全身真っ赤に染められていた。
呪に抗いながら、傷の激痛に耐えながら。
それでも前へ前へ少しでも前へ。
それを悲痛な面持ちで見守る青龍。
何度も止めようとしたか。
大声を出して追いかけようとしたか。
引き留めようと考えたか。
それを止めたのは、スーの想いを考えての事。
スーが今望む事。
スーの願い。
それは全て龍王に繋がっている。
俺はぐっと奥歯を噛みしめ、力いっぱい拳を握る。

その姿。
その懸命さ。
小さいはずの翡翠の身体がとても大きく見えた。
たかが人間の娘、か弱き人の子の筈なのに。
翡翠の強さ、内面の強さ。
何ものにも囚われない、勇気。
龍王を助けたいというとてつもなく大きく、強い心。
強い器の持ち主。
何なんだ。これは。
これぞ本当の強さ。
力ではない。
心の強さ。
誰にも覆せない強い想い。
紅龍は認めざる得ないと思った。
根本から自分の考えが間違っている事に気付いた。
今まで見た事も考えさえも及ばなかった事。
俺の知らない世界にはこんな強さがあった。
強欲なまでの強さへの探究心。
・・・もっとあの女の事を知りたい。・・・
翡翠の中に、自分が追い求めていもの。
求めて止まなかった理想の強さ。
本当の強さを見た。

そしてやっとたどり着いた。
龍王の翼も全身も心も全てを擦り減らした姿。
すでに声さえ出なくなっていた。
ただ膨大な力を放出するだけの機械のような存在。
目は見開かれたまま私を見つめる。
見ているけど、捕らえない瞳。
固まったまま反応がない。
私は手を思い切り伸ばし龍王の耳元に触れる。
「もう・・やめ・・て。
わたし・ここ・・・にいる・よ。
煌(コウ)!!!」
・・・煌・・・龍王の本当の名前・・・
翡翠は強い風に飛ばされないようにしがみつく。
そして鼻先を優しく抱きしめた。

・・・ひ・す・い・・・


よかった!
龍王が反応してくれた。
消滅!!!
瞬なる出来事。
今までの凄まじい負の力は一瞬のうちに消滅した。
激しい憎悪と怒り。
辺りに充満していた恐怖の塊が消えた。
急に辺りは何もなかったかの様に、静寂を取り戻した。
今までとは一転、優しい気が辺りを包む。
荒んだ心に傷ついた身体に安らぎを与えていく。
翡翠が存在するだけで、こんなにも周りが穏やかになっていく。
癒させていく空気。
癒されていく心。

だが龍王は本当の姿のまま動かなかった。
いや動けなかったのだ。
力を出し尽くした龍王には、人の形になる力さえ残されてはいなかった。
私の呪に抗ってまでも止める事の出来ない、龍王への感情。
真っ直ぐな想い。
その想いを込めて口づける。
龍王の眼が光を取り戻す。
戻っていく感情。
包み込まれる優しさ。

翡翠は耳元で囁く。
「煌・・こう・・・わたし・・はここ・に・・いる・よ。」
煌。こう。龍王の本当の名前。
大切な命の名前。
龍王もまた翡翠にその名前を教えていた。
命さえも捧げる程の存在。
命以上のかけがえない存在。
翡翠は龍王にとって、それほど大切な存在だった。

翡翠は自分の腕から流れ出る血を自分の口に含む。
自分だけでは飲み込む力さえ残されてはいない。
だから自分の口から直接、龍王の口の中に流し込む。
何度も口移しで血を含ませていく行為。
・・・生きて欲しい・・・
翡翠の涙と共に流し込まれる血液。
巫女の血。
呪われたこの血。
呪術師の長である父と、濃い巫女の血を持っていた母の間に産まれた私。
強い血を作る為にこの世に産まれてきた。
私のこの血のせいで、今まで幾つもの争いを呼んできた。
自分の存在は戦いしか呼ばない。
いっそ・・死さえ望んだ事もあった。

その中で出会った龍王との出逢い。
私の悲しみさえ、包んでくれた大きさ。
不器用だけれど、決して裏切る事がないと感じさせてくれた。
ずっと側においてくれた。
何も言わず、手を握っていてくれた。
私は嬉しかった。
孤独だと思っていた。
寂しいとさえ言えなかった。
そんな私を包み込み、安らぎをくれた。
居場所を与えてくれた。
今だけは、自分の血に感謝する。
自分の血が龍王の中で混じり合い力となる。
それだけで嬉しかった。
龍王の為なら私の血を全部あげても構わない。
この身の全てを捧げても構わない。

口の中にとても温かい物が流れ込んできた。
一口飲み込むごとに力が戻っていくのがわかる。
満たされていく力。
癒されていく心。
徐々に覚醒していく。
味覚が嗅覚が、身体の機能が目覚めていく。
この口の中に流れ込むもの。
これは血??。
誰の?
それも甘くて柔らかくて優しい味。
私はゆっくりと眼を開ける。
そこには、身体中傷だらけの弱弱しいの翡翠の姿があった。
スーは自分の血を私に口移しで与えてくれていたのだ。
あの女の気持ち悪い口づけとは、まったく違う感触。
もっと、もっとと切望、欲望が叫ぶ。
与えられるだけのなすがままの俺の身体。
スーを確認すると本能が動き出す。
スーの血を身体を心を全てを食べつくしたい。
俺はいつの間にか、むさぼる様にスーの唇を吸い尽くしていた。

スーの血の驚くべき力。
私は人の姿になれる程に回復をした。
と同時に翡翠の身体が力を失う。
とっさに倒れ込んだ身体を支える。
「すぐに呪から解放してあげるからね。」
私は手を翡翠の頭に軽くのせる。

「龍王の名においてここに命じる。
命名翡翠の呪の言の葉。
””あらがうな”” 自由な意志の解放
””あいすること”” 翡翠へのわが命とともに歩む未来
嘘偽りない愛。
変わる事の愛をここに誓おう。
これまでの囚われたことわりより全てを消滅せよ
全てを解放せよ」
一度だけ翡翠の身体は大きく震えた。

支える腕の中で、翡翠が弱々しくも眼を開けた。
その眼には今までとは違う光が差し込んでいた。
翡翠の眼の中に久しぶりに、自分の姿が映し出せれた。
嬉しさで喜びが身体の底から湧き出てくる。
欲望のままに今度は私から口づける。
全てを食い尽くす様に。
長い長い口づけ。
想いを移し込むように。
こんなに愛おしい想いを今だかつて知らない。
自分自身にも分からないこの熱い想い。
翡翠にだけに向けられる感情。
私はやっと自分を取り戻した。
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