次期国王は独占欲を我慢できない
 なぜ、ラウルと黒尽くめの青年を、無理矢理分けて見ていたのだろう。
 なぜ、共通点を見つけては、否定していたのだろう。
 アリスは、自分が恥ずかしくなった。
 どちらの彼も、彼なのに。
 アリスが見てきた姿は、どちらのラウルも真実なのだ。
 黒尽くめの青年が、素顔を見せず名前を名乗らなかったのは、故意かもしれない。でも、それが何だって言うのだ。
 髪の色や名前が、そんなに大事だろうか。確かに彼がこの国の王子だということは、とてつもなく大きく、重い事実だ。それは、考えただけでも足が震えるくらい。でも、考えるからいけないのだ。
 アリスの心には、もう排除できないのでくらいの大きさで、彼が居座っている。アリスは、この事実を、この想いを伝えなければ、と思った。
 ラウルは、ラウル王子殿下としては、アリスに好意を伝えたことはないけれど、そんなことよりも、アリスはアリスの気持ちを伝えなければ、と強く思った。
 どこに行けば彼に会えるのかなんて、わからない。だけど、ここでこうして、当事者のいないところで、身を引く引かないの押し問答をしているのは、無意味だ。

「では、私はこれで失礼します」

 そう言って踵を返す。
 彼女たちの間の問題を暴いてしまったことは申し訳ないが、それはもう彼女たちの問題だ。だが、勿論そう簡単には解放してはくれないようだ。

「……お待ちなさい……!」

 先程とは違った、地を這うような唸るような声に、アリスも足を止める。
 振り返ると、射殺さんばかりにアリスを睨みつけるアリソンと目があった。

「わたくしをここまで侮辱して……!あなた、ただじゃ済ませませんわよ……!」

 さすがのアリスも、アリソンの形相に息を呑む。だが、間違ったことを言ったとは思わない。アリスは後ずさりそうになった足を、グッと踏みとどませると、アリソンを正面から見返した。
 ふたりの間に、ピンとした空気が張り詰める。その空気を断ち切ったのは、まったくの第三者だった。

「あら、どう済まさないと言うのかしら」

 涼やかな声が響く。
 ハッと我に返り、声のした方を見ると、そこにはメアリ妃殿下が立っていたのである。
 アリスは驚きながらも礼をし、腰を落とした。
 一方のアリソンは、明らかに動揺していた。

「妃殿下……!な、なぜこちらに……!」
「日課の散歩よ。今日は月が綺麗だもの。それが、来てみればこんな汚らしい欲望にまみれた場に出くわしてしまったわ」

 汚らしい、と表現されたアリソンはグッと唇を噛みしめる。
 アリスに向けていた目から剣呑とした光は消えていたが、いつものお人形のような穏やかさは取り戻せなかった。

「ですが……いつもは東の庭園の方ですのに……」

 確かに、東の庭園の方がメアリの部屋から近い。その上、東の庭園はメアリが故郷を懐かしんで、領地から木や草花を取り寄せ作らせたメアリのための庭園だった。

「あら、よくお調べになっているのね。でもね、あなたにそんな風に言われる筋合いはなくてよ?わたくしはいつでも好きな時、好きな庭園に参りますわ」

 お生憎さま、と続けたメアリに、アリソンは慌てて礼をとる。

「も、勿論でございますわ。わたくしはただ……」
「ただ?――王妃ごっこをして、侍女仲間をいびるのにわたくしが来ない場所を選んだはずだった?」
「そ、そんなことはございません!わたくしは……!」

 釈明しようとするアリソンに、メアリはすげなく手を振る。

「もう、いいわ。アリソン・フォンテーヌ。あなたと、あなたのご家族の目的はわかっておりました。他の侍女にあなたの協力をさせるよう働きかけていることもね。ですが、それはラウルがひとりでなんとかすればいいだけの話。あの子の考えもありますから、わたくし達は傍観しておりました。でもね……」

 メアリは言葉を止め、ゆっくりと歩きだす。そして、アリソンの目の前までやって来ると、手にした扇をアリソンの顎に当て、上を向かせた。

「ベアトリスの侍女にまで傍若無人な振る舞いをするのは、見過ごせないわ。聞けばあなた、他の王族に仕えている侍女や侍従を見下し、なにかあれば父親の名を出して従わせようとしたわね?そして、自分はまるでラウルのお妃候補のように振る舞う……。あなた、それはやり過ぎよ?」
「も、申し訳、ございません……。わたくしはただ、王族の方々に仕える以上、もっと誇りを持つようにと……」
「偉そうに振る舞い他者を蔑むことと、誇りを持つことはまったく違います。わたくしの世界を汚(けが)したこと……あなたこそ、ただじゃ済ませませんわよ?」

 目を見開き、ガクガクと震えだしたアリソンは、メアリにすがりつくように謝罪したが、メアリは素っ気なくそれを制した。

「ナディア、彼女を連れて行きなさい。わたくしの使いが行くまで、彼女を部屋から出さないように」
「か、畏まりました」

 ナディアともうひとりの侍女は、アリソンを左右から抱え込むようにして連れ出した。
 残されたアリスもその場を去ろうとしたが、メアリがそれを引き止める。

「さて、アリス。あなたはわたくしの話し相手になってくださる?」
「は、はい」
「まず、変なところを見せてごめんなさいね。あんな女でも、ラウルが妃に選ぶ可能性がないわけではなかったので、少し様子を見ていたのよ。でも、それがかえって彼女を暴走させたのね。断るでもなく、相手にしない、というあの子のやり方もうまくなかったかもしれないわ。あの手の子は、察する、ということが出来ないから」

 なんとも返答に困る話をされ、アリスは頷くことも否定することも出来ない。だが、それは必要なかったようで、またメアリが話しだした。

「陛下は国政を担いますけれど、妃は王宮内を統治するのよ。それがこの国の王妃の仕事。わたくしの縄張りを荒らしたのだから、彼女にはそれなりの措置を取るわ。王妃というものはね、ただ着飾って貴族や有力者とキャッキャウフフと楽しくお話しているだけでは務まらないのよ」
「はい」
「勿論、今回のようになにかを画策する者も現れるわ。とてもじゃないけれど、ただこの立場に固執しているだけでは、務まらないわ。それは陛下もそう。行き詰まったり、悩んだり、大切な人を失ったり、でも同じ立場でものを見る人は他にいないの。陛下のお仕事も、わたくしの役割も、たったひとりで、生きている間ずっと続くことなのよ。……お互いの理解と愛。そして支えがなければ、やっていけることではないわ」
「はい……」
「ラウルの妃になる人にも、それを強いることになるの。あの子が悩み、なかなか一歩を踏み出せない気持ちもわかるわ」
「はい……」

 メアリの話を聞いているうちに、アリスは目頭が熱くなるのを感じた。

 彼は、たったひとりなのだ。今、この時も。

「わたくしは、社交界デビューの年に、初めて訪れた王宮で陛下と出会ったわ。そのことは知っていて?」
「はい。伝説の恋物語だと、平民の間でもよく知られています」

 メアリは、社交界デビューの挨拶のため来ていた王宮で、当時王子だったローランに見初められた。
 国中の貴族が見ている中、突然のプロポーズ。その後もローランは猛アプローチを続け、地方の一子爵令嬢だったメアリは、誰もが羨む王妃となった。

 皆の憧れですよ、と言うと、メアリはふふっと笑った。

「憧れて頂いているところ、申し訳ないのだけれど、真実は少し違うのよ」
「そうなのですか?」
「ええ。初めて会ったご挨拶の場で、突然求婚されたのは本当。でもね、その後はとても長かったのよ」
「どういうことでしょうか」
「わたくしね、実は親が決めた婚約者がいたの」

 メアリは遠くの月を見ながら、昔を思い出すように語り出した。

「実家の子爵家は、貴族とはいっても領地の整備もままならない程、貧乏だったの。それで、金銭の援助を条件に、豪農の息子を婿にすることになっていたのよ。だから社交界デビューというのも形だけだったの。そんな時に陛下にお会いして……正直、戸惑ったわ」
「婚約していた方を想っていらしたのですか?」

 メアリはアリスを見るとふっと自嘲気味に笑うと、再び月に視線を戻す。

「いいえ。彼はとんでない女好きでね。財力に物を言わせて沢山の女性に手出ししていたの。心から軽蔑していたわ。彼はその手で、わたくしとも関係を持とうとした。――勿論、なんとか断ったわ。まだ社交界デビューもしていない。社交界デビューしないと、貴族社会では一人前と認められない。って、とにかくなんとか先延ばしにしたくて、そんなことを言ったの。彼は、貴族社会のことなんて知らないから、渋々わたくしの手を離してくれた。――怖かったわ。掴まれた腕に痣が残って、それを見るたびに思い出して、吐いたわ」

 腕に痣――アリスは思わず、自分の腕をさすった。それは数日前まで、自分の腕にも残っていたものだ。
 あの時アリスは必死だったが、それでも掴みあげられた痛みや恐怖を思い出す。あれも、メアリも知っているのだ。

「なかなか手に入らない女なんて面倒だと、諦めてくれるのかと思ったのだけれど、違った。彼は、貴族の娘という肩書と、わたくしの容姿に興味があったのね。その時まで待ってやると言ったのよ。陛下から求婚された時、救われたと思ったと同時に……怖かったわ」
「なぜ、ですか?」
「よく知りもしない小娘よ?彼もまたわたくしの容姿しか見ていないのかしら、こんなことを思うのは恐れ多いことなのだけれど、あの男と一緒なのかしら、って思ったの」
「王妃殿下……」
「陛下は、わたくしの心が恐怖で縮こまっているのを、見抜いていらしたわ。だから、ずっと待ってくださったの。わたくしの心が解れて、陛下に歩み寄るのを、近くで辛抱強く待っていてくださったのよ」

 ローランの愛は本物だったのだ。だが、傷ついたメアリの心がそれを受け入れるのは、少し時間がかかった。それでもローランはじっと待った。自分の人となりを知ってもらい、メアリが心を許してくれるその日を、じっと待ったのだ。

「でもね、あの方慎重すぎて。最後にはわたくしの方から迫ったのよ」
「えっ!?」
「こんな話をするのは初めてだわ。どうか、内緒にしておいてね。あの方、わたくしに優しすぎて、自ら愛を与えるだけで、わたくしには求めようとしなかったの。その行為がわたくしを傷つけるかもしれないと、怖かったのですって。そういうもどかしい優しさを、ラウルも受け継いでしまったかしら」
 
 アリスの瞳を、一筋の涙が滑り落ちる。
 
 ラウルに会いたい。
 会って、好きだと、一緒にいたいと、伝えたい。この手で触れて、温もりを感じたい。

「ラウルに、会いたいのね?」
「……はい」

 しゃくりあげるように泣き出したアリスの肩を、メアリはなだめるように優しく叩く。

「あの子が踏み出せずにいたら、あなたが背中を押してあげて。アリソンに言ったさっきのあなたの言葉、とても良かったわ。あなたになら、ラウルを任せられる。あの子を、ひとりの人間として、幸せにしてくれるかしら?」
「……はい……っ」

 アリスは何度も何度も、頷いた。
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