この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。【完】
 文字習得が恐ろしい程に早かったのも、きっと理由はローマ字のような法則性を見つけたからだけじゃない。ずっと使い続けていた文字だったから、馴染みやすかったんだと思う。

 例えるなら、記憶の引き出しにしまってしまったものが中々見つからない、と言ったところだろう。

 頭の鈍痛が未だに治まらない。少し頭が熱っぽい。のぼせてしまったように。

 でも少しずつ、身体の感覚が戻ってきて、私は薄くまぶたを開けた。

「……っ、……アリサ?」

 傍にいる人が、心配そうな声で私の名前を呼ぶ。
 見上げた先は天蓋。いつの間にか私は、王太子妃専用の寝室で横になっていた。ゆっくりと呼ばれた方を向くと、夫・が青白い顔をして私を伺うように見ていた。

「アリサ?大丈夫か?今医者を……っ?」

 立ち上がろうとした彼の腕の部分を掴む。穏やかな海の色をした瞳が、驚いたように見開かれる。

 言うつもりだった。ずっと言いたくて、首を長くして待っていた。

 でも支離滅裂だ。彼はもう知っているのに。
 無意識に、自分が記憶を失う前に取りたかった行動をしていた。
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