私の中におっさん(魔王)がいる。~黒田の章~

* * *

 目が覚めると、見慣れない天井があった。

(ここは、天幕の中?)

「気がついた?」

 ぼんやりする意識の中で、妙に明朗な声が届いた。
 首を傾けると、

「クロちゃん!」

 私は跳ね起きた。

「急に起きない。体に障るよ!」

 クロちゃんにそう窘められて、私はベッドの中に戻されそうになる。
 でも私はそれに抵抗した。
 私はクロちゃんの腕を掴む。
 目に焼き付けるようにクロちゃんを見つめた。

「なに?」

 嘘じゃない。夢じゃない。ちゃんといる。――ここにいる。
 訝しがりつつ照れる彼を見て、ほっと胸をなでおろした。
 生きていた。生きててくれてた。
 その事実に、涙腺が緩んだ。
 ぽろぽろと涙が零れ落ちた。

「ちょ、大丈夫?」

 クロちゃんが戸惑いながら手で私の涙を拭ってくれる。
 私はその手を取った。
 そのまま頬にくっつける。

「無事だったんだね」
「うん。キミのおかげ」
「え?」

 クロちゃんはやわらかく笑んだ。

「致命傷ではなかったんだけど、腕がざっくりやられててね」

 言いながらクロちゃんは袖をまくって、腕を見せた。
 二の腕をなぞりながら半周させた。
 傷は見当たらないけど、そこを切られたということなんだろう。

 さらに、クロちゃんは自分の胸に手を当てて、上から下になぞった。
 ちょうど胸からお腹のオヘソら辺までだ。

「胸もこの辺りまで切られててさ。ちょっと動ける状態じゃなかったんだよね。部下が発見してくれたとこだったんだけど、キミが魔王の力で治癒してくれなかったら、ちょっとヤバかったかも知れない」
「……よかった」

 私は心底安心した。
 無事でほんとに良かった。

「でも、どうして私が魔王の力使ったって分かったの?」
「あんなこと出来るのキミしかいないだろ?」
「あんなこと?」
「約五千人の命を救ったことだよ」

――え?

「白い光に当たった者全ての傷が癒えたの。中には死にそうだった者でも今はピンピンしてるよ」
「そんなに?」
「キミのことだから、全員助けたいとか思ったんだろ?」

 クロちゃんに訊かれて気づいた。
 まったくそんな事、考えてもみなかった。

「ううん……まったく」
「え?」
「私、クロちゃんが見つけられないから、視界に映るものを癒やそうと思ったけど、まったく他の人のことなんか考えてなかった」

 それどころか、翼さんのことも、クロちゃんの部下のことも、風間さんも、雪村くんのことも、誰一人のことも考えてなかった。

「私、クロちゃんのことだけ考えてた」

 多分、他の人がどうなろうが関係なかった。
 クロちゃんが無事でいてくれれば、それだけで良かった。

「薄情だね、私」

 苦笑が零れると、クロちゃんがベットに腰掛けた。

「そんなことない」

 やさしい眼差しで、私を見つめる。

「ぼく、今すごく嬉しい」

 フードを軽く引っ張って、私の手を優しく握った。

「ゆりは誰にでも優しいけど、ぼくだけを見てれば良いのにって、ずっと思ってたんだ。だから、ぼくだけを心配してくれて……嬉しいよ」

 クロちゃんのキレイな瞳が、薄く閉じられて、長いまつげが目元につくころ、やわらかな唇が私の唇に届いた。

 薄情でも良い。
 誰に好かれなくても良い。
 クロちゃんが生きて、私のそばで笑ってくれるだけで、それだけで……。
 私は笑ったり、泣いたりできる――。







 ―――― ――――― ―――――

――竜王書より――。

 北丁(ほくちょう)六百五十年。
 美章国、猿間近の平原にて、白い光を観測す。
 四方に飛び散った光の中心に空に浮かぶ魔王の姿あり。
 光は、地上を包み直線状の光となって、魔王に収束。
 光に包まれた約五千の兵の命を救いたもうた。
 これ以後、魔王の確認は取れず。

 魔王降臨未だなし。


           ――竜王書簡・夕弦。

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