私の中におっさん(魔王)がいる。~黒田の章~

 * * *

 ぼくは、ゆっくりと目を覚ました。
 太陽が沈みかけていたのに、すっかり昇っている。
「イタッ!」
 体中のあちこちが痛み、少し動かすだけで激痛が走る。それでも暫く動かずにいたら、歩ける程度にはなった。
 ぼくは、時間をかけて崖を上った。
 崖から落ちる前、あの梓と蓮の後ろに、紅い旗が立っていた。紅い旗は、功歩軍の証だと蓮に習ったことがある。だけど離れていたし、確信はない。
 もし万が一功歩軍だとしても、梓は強い。
 能力者でもあるし、蓮だって槍の腕はピカイチで男にだって負けないんだ。
 旗の近くに立っていたのはせいぜい五、六人に見えた。
 それくらいの相手なら、あの二人が負けるはずがない。
 今頃ぼくを探してくれている――。
 ぼくはそう信じて疑わなかった。

 崖の上に手をかけた時、嫌な予感がした。
 ぬるっとした液体に触れたんだ。
 恐る恐る、手を戻して窺い見ると、手のひらは真っ赤な色をしていた。
 だけど、ぼくはそんなはずはないと言い聞かせた。
 これはきっと鬼どもの血なのだ――と。
 
 早鐘が鳴る。心臓がドキドキと脈打った。
 嫌な予感がした。とても嫌な感じだった。
 ぼくは振り切るように頭を振って、意を決して崖の上に躍り出た。
(ああ――)
 蓮はぼくの目の前にいた。
 
 自分の愛槍で首を貫かれ、木に打ち付けられるようにして、蓮はぼくを見ていた。
 空ろな、なんの光も映していない眼で。
 梓はぼくの足元に、投げ出されたように転がっていた。
 梓は滅多打ちにされたように、体中に切り傷をつけて、顔までズタズタで、胸にぽっかりと穴を開けていた。
 梓は鎧を身に着けていたけど、蓮は裸だった。
 姉と同じだ。
 
 きっと、梓は手に負えないから先にさっさと殺してしまい、連は鬼どもの慰み者にされたのだ。
 その後、首を一突きに……。
 二人のそばに、三体の鬼の死骸が転がっていた。
 二人が抵抗した跡だろう。
 ぼくはしばらく黙ってその光景を見ていた。
 涙も出なかった。
 ぼくの中に在ったものは、自分への怒りと、鬼どもへの執着だけだった。

――功歩の人間を根絶やしにしてやる。

 ぼくは、再び復讐を誓った。

 * * *

 それから二年、ぼくは美章中を旅して回った。
 功歩軍の進行状況を調べては、鉢合わせするように出向き、片っ端から殺して回った。と言っても、軍本部とぶつかる事はしなかった。
 そんな事をすれば、根絶やしにする前に自分が死ぬ事ぐらい分かっていたから。

 ぼくの能力は、それは便利な物だった。
 自分の意思で自分の血液を操る場合、切り傷をつけなくても体から出し入れができ、その際体が傷つく事はない。
 形状も自由に変える事が出来た。
 自分の血液のみならず、他人の血液も操れる。
 少し負傷させれば、そこから出血多量になるまで血を引き出したり、その血を使って人体を貫いたりもできる。
 つくづく人殺しに向く能力だ。
 
 それでも死ぬような思いも何度かした事があった。
 特に、能力者同士の戦いの時は注意が必要だった。
 旅する過程で、ぼくは白星がなんなのかも知った。
 
 初めは、ぼくは功歩の人間じゃない! 一緒にするな! という思いが強かったけど、段々どうでも良くなっていった。
 美章の人間も大嫌いになったからだ。
 大嫌いな人間に、何を思われようが言われようがどうでも良かった。
 それでも容姿をさらしていると罵倒され、情報収集に支障が出るから、ぼくはフードを目深に被るようになった。
 時には明確な殺意で刃物を振り下ろされたこともあったしね。
 
 ところで、ぼくは旅をして気づいたことがある。
 ぼくはとんだ〝坊ちゃん〟だったんだってことだ。
 ぼくは、姉と村の皆に愛情を注がれて、差別されることなく暮らし、村から出てはいけないと規則を作って守られ、蓮と梓と東條に匿われ、大切にされて生きてきた箱入り息子だった。

 外の世界は、醜く過酷だ。
 戦争孤児が溢れ、町ではお稚児が客を引いていく。
 ぼくが東條に保護されていなかったら、能力者じゃなかったら、きっと同じ道を歩んでた。
 そして、ケツの穴を広げられるよりもひどい目に遭わされ、いつかは殺されていただろう。――この容姿のために。

 ぼくは、皆に守られていた弱くて甘ったれた坊ちゃんだった。
 姉にクローゼットの中に隠され、庇われ、蓮と梓の足を引っ張った。
 ぼくはクソみたいな人間だ。
 そんなクソみたいな人間でも、できる事がある。
 
 ぼくは美章を旅して回りながら、功歩軍の風使いの情報も掻き集めた。
 そいつがいる隊が蓮と梓の仇だからだ。
 必ず仇をとって、そして功歩の全てを壊してやる。
 
 そして、その時はついにやってきた。
 風使いの男が見つかったのだ。
 
 ぼくは年齢を偽り、美章の募兵に志願した。
 そして希望通りにその戦地へと配属された。
 
 見裂ヶ原――。
 そこが、ぼくの復讐の舞台だ。


 * * *


 黒田の話を聞いて、ゆりは茫然としてしまった。あまりにも壮絶で、あまりにも哀しくて。
 黒田は、黙って遠くを見ていた。ゆりには、昔を想い出しているようだったし、何も考えていないようにも見えた。その表情からは、辛さは感じられない。でも、きっと辛いとゆりは思う。

 思わずゆりは、泣きたくなった。だが、泣いたら黒田に失礼な気がして、彼女はぐっと気持ちを堪えた。
 私がもし、お姉さんや梓さんのような目に遭ったら、考えただけでもおぞましいし、怖いとゆりは追想して、同時にこの世界ではそれは三年前まで当たり前の光景だったのだと自覚した。
 そしてそれは、この世界だけじゃない。
 ゆりがいた世界にも、内紛があって多くの人が虐殺されたことがある。それは今も続いている。ゆりは、イヤだな。戦争なんてと思っただけで、そこでどんな目に遭った人がいるかなんて今の今まで考えたこともなかった。

 その事実に気づいて、ゆりは急に後ろめたい気分になった。
この世界に来て、今日まで、戦争のセの字も感じずに来た。ここでの暗しは、勝手は違えど平和そのものだったからだ。
 だが、凛章は治安が良いだけで、いまだに復興できていない町や村があるかもしれない。
 そして、そこに住む人々の中にも、心や体が癒されていない者がいるんだと、ゆりは黒田を見つめた。

(そう……。クロちゃんのように……)

 大切な人を目の前で失った黒田は、どんなに苦しかっただろう。
 稲里の集落の者に差別され、罵倒された『白星』という意味を知った時の彼の気持ちは、どんなものだっただろう?
(きっと、私だったら、哀しくて、怒ったと思う。自分が心底憎いと思う人と同じだなんて言われたら……)
 ゆりはそう考えて、ハッとした。
(ああ、そっか……)
 そしてまた泣き出したくなった。涙で視界が滲む。でも、上を向いて堪えた。

「ごめんね」

 声が震えなかったのが、なんだか少し救いに思えた。
 突然の謝罪に、黒田は意識を戻したように、ゆりを振り返った。

「え?」
「私、クロちゃんに酷いこと言った。クロちゃんの容姿が好きだって」
「ああ」

 黒田は思い出したような声を上げた。
 まるで全然気にしていなかったようだった。
 思わず訝るゆりに、黒田はちょっと苦笑して、

「ぼくはさ、確かに自分の姿形は嫌いだけど、美章の人間に罵倒されるのはもう何とも思わないんだよ」
「え?」
「だってぼく、美章の人間のこと、何とも思ってないから。何とも思ってないやつに何を言われたって何にも響かないよ。虫に何か言われたとしても、別に腹は立たないだろ? ああ、虫が何か言ってるや~。話せるなんて立派だね。って、そんな感じに思うだけでしょ?」

 明るく飄々とした調子の黒田だが、本音を言えば、別の感情もあった。
 美章の人間に差別されても気にしなくなったわけではない。

 黒田は、いつか復讐してやると心根で決めていた。
 だからこそ、世界を壊してやる――という本音が、あの時に漏れたのだ。
 それを、彼はゆりに語りながら自覚した。
 今までは、漠然とした思いがあっただけで、本当はずっと人間自体に憎悪していたのだ。

「でも、私が初めてクロちゃんのフードとった姿見た時……」
「うん。だからさ、キミは違ったって事なんだよ」
「え?」
「……ぼくがあの時、キミが踏み込んで来るのを拒んだのは、キミが白星という意味を知って、ぼくを否定したら……。そう思うと、ちょっと怖かったんだよね」

 そう言って、黒田は少し恥ずかしそうに笑んだ。
 視線を外して、罰が悪そうに耳を掻く。
 ゆりに、他の者達と同じように白い目を向けられたら、同情されたら……そうなるのが怖かった。
 だから黒田はあの時、自分の話題を出して欲しくはなかったのだ。

「何も知らないままでいて欲しかったんだ。ぼくの事も、この世界の事も、何も知らないままで……」

 だけど、ゆりは踏み込んできた。
 同情ではない――黒田を好きだから関わりたいのだと言ってくれた。
 だから、黒田はゆりを受け入れた。
 それでも、自分のしてきた事を全部話せば、ゆりは逃げて行ってしまうのではないかという恐れがあった。

 平和な世界からやってきた少女は、自分の戦歴をどう思うだろうか?
 恐ろしい、汚らわしいとは思わないだろうか?
 今も、そんな不安は尽きない。

「私、クロちゃんには悪いけど、この世界の事もクロちゃんの事も、もっと知りたいと思ってるよ」

 突然、意志の強い声が黒田の耳に届いた。

「知った上で、この世界も、クロちゃんも好きだって言いたいもん。
 そりゃ、知ってどうなるかなんて分かんないよ? でも、少なくとも今の話を聞いて、クロちゃんを嫌いになる要素はどこにもなかったよ」

 黒田の中で、暖かいものがわっと湧き出た。ぎゅっと口を結んで、泣き出しそうになるのを堪える。
 ゆりの胸にぶら下がった黄色い石を見つめた。
 その視線に気がついて、ゆりは石を手に取った。

「それさ、姉ちゃんがくれたんだ」
「え?」
「行商に行く時に皆がぼくの面倒を見てくれたけど、ぼくはやっぱり寂しくてさ。駄々を捏ねた日があったんだ。その時にくれたんだよ。これで、いつも一緒だねって。お母さんから貰った物だから大切にしなさいよって」

 姉の形見だなんて重いかなと、ゆりを慮ってずっと言わなかった事を自分でも驚くほど、明るく懐かしんで告げられた事に、黒田は内心で驚いていた。
 ゆりは、まじまじとペンダントを見つめた。

(そうか、これはお姉さんの形見だったんだ……。あの時捨てなくて良かった)

 ゆりは泉で泣いた後、福護石を泉に投げ捨てようと思った事がある。
 だが、思い留まって止めたのだ。
 心底安堵した。
 あの時捨ててしまっていたら、悔やんでも悔やみきれなかっただろう。
 
 同時に、あの時の黒田の自分への思いは、自覚していないながらも本物だったのだと知って嬉しさがこみ上げた。

「私、大切にする」

 ペンダントを見つめながら、噛み締めるように呟いたゆりに、黒田は静かに頷いた。

「うん」

 やっぱり自分は、この娘が好きだと、ぽつりと思った。
(もしもあの人に、好きな人が出来たんだと報告したらどんな顔するのかな?)
 黒田はふと思った。
 そして、少しだけ切ない気持ちで、自身の〝父〟を追想したのである――。


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