銀の姫はその双肩に運命をのせて
密室デート
「グリフィンさまは、朝がお早いのですね」

 今朝も、グリフィンのお迎えは早かった。着替える前に来た。化粧も最低限、髪もとりあえず軽く結っただけ。女性の支度は時間がかかるものなのに。
 そして、眠い。
 厭味のひとつでも言いたくなったので、それとなくほのめかしてみたが、まったく通じなかった。

「夜明け前から作業だからな」
「作業? ああ、馬のお世話ですか」

「うん。あいつらは、人間みたいに夜だらだらと過ごさない。暗くなったら、寝る。明るくなったら、起きる。おかげで俺も健康になった。厩舎暮らしになってからは、かぜのひとつもひかなくなった」
「それはようございました」

「朝餉と昼餉も、こちらに運ぶよう言いつけてある。今日は、暗くなるまで使えるぞ。集めただけで、読んでいない文献もたくさんしまってあるんだ、ふふふっ」

 文献を当たるには人手が必要なのではと思い、ディアナはアネットを連れて来ようとしたが、グリフィンはディアナの提案を断った。書庫内には貴重な資料が多く、王から特別に許された者しか出入りができないらしい。

 つまり、ふたりっきり。

 馬王子のグリフィンと陽が暮れるまで一緒なんて、ディアナは少し心配だった。グリフィンは寡黙だ。キールや王太子がお喋りなせいもあるが、きっとしだいに会話もなくなって、なんとも微妙な暗ーい雰囲気になるに違いない。


 収蔵殿の一角に、書庫はあった。

「異国人に、書庫の使用許可が出たのはこの国で初めてかもしれない。少なくとも、俺の知っている範囲では。お前、相当気に入られているぞ、王に」

 みだりに見せてはならない場所だろうことは、簡単に想像がつく。この中には、国のマル秘文書なども、管理されているはずだ。

「きっと、グリフィンさまとご一緒なので、お許しが出たのでしょう」
「いいや、王はディアナをこの国に繋ぎとめておきたい一心だ。王太子の妃に置くのを失敗したから、余計に」
「さあ、どうでしょうか。私、というより銀鉱脈を探しているだけでは」

 答えようがない。ディアナが黙り込むと、グリフィンもさっと話題を変えた。

「中は広くて少し暗い。いったん入室したら、防犯のために中からカギをかけるが、いいな」
「内側からですか」
「ああ。俺らが書庫の奥で調査をしている間に、不届き者が入ってくるかもしれないだろ。未然に防ぐためにも必要なんだ。休憩したくなったら、その都度俺に言ってくれ」

 待って。施錠をしたら、ディアナはグリフィンと密室状態ではないか。逃げられない。状況が分かっているんだろうか、鈍感第二王子。

 なにかの拍子に急に本が倒れてきて、ディアナがよろめいた先にグリフィンがいて、接近にどきどきしちゃっても、助けも来ないし、呼べもしない。こんな性格だが、なんと言ってもグリフィンは美形王子。若いふたりは、見つめ合ううちに思わず……いやいや、妄想が過ぎる。

 ディアナは頭を横にぶんぶんと振って妄想を否定した。相手は、冷酷で鈍感な馬王子。調べものをさっさと終えれば、日暮れどころか朝餉前に終わるかもしれない。どきどきするだけ損、どきどきしたほうが負け。

「がんばります」

 ディアナは自分に気合いを入れた。ついでに、馬王子の美点でも見つけてしまおうかぐらいの勢いで。

「よし、では行こうか」

 外は晴れているのに、書庫の中は薄暗かった。書物を守るためとはいえ、灯りもつけられない。うっかり油をこぼしてしまったら、大変なことになる。読みたい資料は、小さな窓のそばに寄せて確認するしかない。

「姫さんは書庫の中が初めてだから、目がなじむまで、つないでやろう」

 ディアナの了解も得ずに、グリフィンはディアナの白い手を取った。まさかの展開に、ディアナは体ごと勢いよく引っ張られ、王子の胸に顔をくっつけてしまった。

「あ、ご、ごめんなさいっ!」
「いや、別に」

 急いで離れようとするディアナに、グリフィンは切なそうな視線を流し、ほほ笑んだ。顔立ちが整っているから、笑顔そのものはすてきなのだ。至近距離のせいか、ディアナはグリフィンにどきりとした。ま、まさか、調査そっちのけで、いきなりの超展開?

「あ、明るいうちから……って、まだ夜が明けたばかりなのに」
「なに言ってんだ。俺はただ、薄化粧のほうがいいなあって、思っただけだ。若くて肌もきれいなんだし、それぐらいが娘らしい。いつも、厚く塗りすぎだから。姫という身分とはいえ、仮面みたいになっているぞ」

 け、化粧のこと、ですか。ディアナはがっくりと肩を落とした。いや、期待していたわけではない! なのに、こんなに肩が落ちるなんて。ディアナは、先走ってしまう自分の思考回路に戸惑った。

「こっちだ。足もとに気をつけて、段がある」
「はい」

 踏み外して色艶展開なんて、冗談じゃない。ディアナは苦笑をこらえながら、慎重過ぎるぐらい慎重に、段を越えた。グリフィンの、剣になじんでいる手は固くて冷たいけれど、しっかりディアナの手のひらを包んでくれていた。安心感がある。

「ここだ。古今東西、馬に関する記述を集めた。俺のいない間に書庫へと運び込まれた本もあるから、天馬の記述を見落としている可能性はじゅうぶんにある」
「……あの、王子。指で、壁一面の書棚を指差していません? これ全部、確認するんですか、今日だけで?」
「ああ。素晴らしき仕事だろう」

 銀の国に帰って、母に相談したほうが早い気がしてきた。
 背丈よりもはるかに高い天井まで、ずらりと積み上げられた資料の前で、ディアナの手をほどいた王子は、さっそく書物を広げたはいいが、脱線しまくりだ。

「おおう! 伝説の馬、サラフィールの血統書がここに挟まっていた! なんということ」
「なるほど、あの父と母とでは、血が近すぎる。違う組み合わせを考えなければ、生まれてくる仔馬が虚弱体質になってしまいそうだ」
「うん、ふむふむなるほど。馬を褒める方法、叱る方法」
「ああ、あの地方の牧草は体調不良に効くのか。ふ、ふふふ」

 明らかに、王子は天馬とまるで違う記述ばかりに目を惹かれていた。ディアナはやんわりと注意しても、一向に反省しない。ディアナそっちのけで、自分の興味がおもむくがままに次々と書物を漁ってゆく。
 従者が運んできた朝餉にも手をつけず、グリフィンは書庫の虜となった。

「姫さん、こっちの窓のそばで、書物を確かめなさい。ああ、あまりたくさん広げると片づけが大変だ」

 と言いつつも、嬉々として思いっきり書物を床に並べているのはグリフィンだった。楽しみにしていたおもちゃを手に入れた、無邪気な子どものような笑顔で。そんなに明るい顔をされたら、意見もできない。
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