銀の姫はその双肩に運命をのせて
 キールはしぼりたてのオレンジジュースをふたつ買ってくると、休憩しようと階段の隅に座った。

「足、痛くない? 歩き通しだったから。帰りはだっこしてあげるよ」
「だいじょうぶ。まだ歩けます」
「なにも欲しがらないんだね。きみみたいな女の子、初めてだ」

 ものをねだってほしかったのか。ディアナは初めて知った。

「わたしが仲良くなった女の子たちはみんな、あれが欲しい、これが欲しいとうるさいほどだったけれど、きみは立派なお姫さまだもんね」
「見るだけでもじゅうぶん楽しいです、王子。じゃなかった、キールさま」
「キール、だよ。『さま』は要らないって。わたしは見るだけではいやだなあ、欲しいものには触れたいし、手にしたい。そばに置いて、愛でたいし」

 そう言ってキールは手を伸ばし、ディアナの頬に触れた。

「わたしが欲しいものは、きみだよ。どうすれば、もっと笑ってくれるかな。もっと喜んでほしいのに」
「よ、喜んでまいす、とても。市で見るもの聞くもの、全部初めてですもの。大絶賛、拍手喝采」
「首飾りとか、髪飾りとか。たくさん、服を作ろうか? 靴でもいいよ。花でも、絵でもいい。もっときみが見たい」

 濡れた瞳で迫るなんて、反則だ。ディアナは後退しようとしたが、背中は壁にくっついていた。これ以上、逃げられない。

「ディアナ、目、閉じて」

 ちょっと待って! こんなところで年下王子に迫られる覚悟なんて、正直持ち合わせていないのに。助けて、誰か! もう、だめ?

 モーっ。

 ……両腕を王子に押さえ込まれたとき、頭上でなにか妙な音がした。

「も、もー?」

 見上げれば、白と黒の斑点。

「うし……」

 ディアナの座っていた階段上に、牛がいた。現実の状況に気がついたらしく、キールもディアナの体を解放した。

「牛馬のセリがはじまるようだね。見に行きますか」
「ええ、行きますとも! 私、楽しみでした」

 スカートの裾をひらひらと軽やかに翻して、ディアナはとんとんとんと勢いよく階段を上った。

 段を上りきったところは舞台のようになっており、そのまわりにはセリに参加している多くの人がいた。ちょうど、舞台上に馬がひかれてゆくところだった。

「値を決める場所だよ。一番いい値段を申告した人が、その馬を買ってゆく。気になる馬がいたら遠慮なく言って。城に連れて帰ろう。ほら、あの芦毛馬なんて、光の加減で毛並みが銀色っぽくない?」

 太陽の光に晒された体が、きらきらと輝く。確かに、銀灰色めいたつやを放っている。

「でも、翼がありません」

 天馬を見たら、きっと直感で分かるはず。じっと眺めても心に響かないということは、目の前の馬は天馬ではないらしい。
 心に響く一頭はいなかったが、馬も牛もよく手入れが施されていて、とてもうつくしかった。見飽きることはなかったけれど、これだという馬には出会えなかった。

「だいたい全部のセリを見たけど、ディアナ。まだ残るのかい? そろそろ、お昼にしようよ」

 ディアナは王子に促されて遅めの昼食をとることにしたが、未練があった。
 昨日と今日だけで、百頭以上を見たというのに、それらしき予感はひとかけらもない。母は、天馬がいそうな方角まで感じ取れたと言っていたのに。もしかしたら自分には、銀の天馬を見つけることができないかもしれない?

「気にしないで。ディアナの国だって、今は天馬が不足しているんだろう? 巣篭もりして、子作りしているのかもよ。もう少ししたら、小さい天馬があちこちに飛び交う、なんてこともあるよきっと」

 ディアナの重苦しい心を取り除こうと、キールは明るく目配せを送った。早く見つけたいという焦りが、裏目に出ているかもしれない。ディアナは頷いて笑顔を作った。

「そう、笑って。きみはかわいいんだから。セリ市が見下ろせる卓を用意したよ」

 ディアナはキールのやさしさに、すっかり感服した。年下だと思っていたのに、しっかりしている。さすがは大国の王子。華奢な町の少年の姿をしていても、どことなく仕草が優雅だし、落ち着いている。あわててばかりの自分が恥ずかしい。

「乾杯」

 ふたりはレモン入りの炭酸水で乾杯した。グラスは陽を反射させて、きらきら輝いている。

「外で食べるのって心地いいよね。空が見えて、そよぐ風を頬で感じる」
「はい」

 緊張しているディアナの気持ちをほぐし、会話が途切れないように配慮も怠らないキールを、ディアナは尊敬した。
 もしかして、これでよかったのかもしれない。王太子との結婚が流れ、新しい出逢いがあって。

「ほら、今考えごとしたでしょ。木いちごのジャムが顎にこぼれたよ」

 まるで子ども扱い。キールは左の人差し指で顎についたジャムをすくい取ると、そのままぺろっと口に入れて舐めた。

「おいしい」
「や、やだ。キールさまったら」
「また。名前。『さま』は、要らないよ」
「はい……キール」
「まだきっとべたついていると思うから、顎を拭いてあげようか。口で吸ってもいいんだけど」
「いいえ! じ、自分で、できます!」

 ディアナはナプキンで顎を急いで拭った。
 視界には入らないけれど、王子の護衛が近くにいるはずだ。今日のできごとはすべて、王にも報告されるのだろうし、精神上よろしくない雰囲気を続けていては、ディアナの緊張がもたない。

「ディアナはからかうと、実に面白い反応をするね。こういうときは、なにごとも鷹揚に、男性に任せたほうが盛り上がるんだけど。顔、真っ赤だよ」

 落ち着け、自分。ディアナは懐の中に隠してある守り刀の上に手を置いた。

「見せて」

 キールはディアナに迫った。

「守り刀を持っているでしょ、そこに」
「え、ええ。でもこれは」
「ちょっと見るだけ。減らないよ」

 守り刀を渡すのは、夫にだけである。ディアナはためらった。

「銀の国から来たディアナの守り刀なら、きっとすばらしい細工だろうね。お願いだよディアナ、ほんの少し。わたしは古今東西、ありとあらゆる刀を研究しているんだ。ほんのちょっとだけでいいからさ」

 キールの目は必死に訴えている。嫌いではないし、断ったら失礼になるかもしれない。

「誰にも、言わないでいてくれますか。私の刀を、見たこと」
「当然だよ。そうだ。先に、わたしのを見せようか」

 ごらん、キールが取り出したのは、柄の部分にいくつもの珍しい宝玉が埋め込まれた刀だった。紅の鞘も目が醒めるほどうつくしい。

「飾りはまあまあだけど、ごく最近打ったものだから新しいんだ。由緒とか、まったくないし」
「こんなに素晴らしいお品を見せてもらったあとに、私の刀なんて見せられません」
「ものの価値は、他人が決めることだよ。いいから、広げて。なんなら、ディアナの胸に手を突っ込んで、取ってあげてもいいよ」

 急かされて、ディアナは仕方なく卓の上に刀の袋をそっと置いた。刀袋も銀糸で作られている。キールは珍しそうに、口笛を吹いた。

「我が国特産物の、銀細工です」

 明るい陽の下でまじまじと眺めるのは、ディアナも久しぶりだった。鞘にも柄にも、銀の装飾。見るだけと約束したはずのキールが、ディアナに顔をくっつけるようにして刀の柄に見入っている。

「馬、が山肌を登っている? ああ、天馬が銀脈を駆けている図柄だね」
「天馬が?」

 確かに、指摘されたようによくよく注意すれば、そう見て取れた。

「これは見事だ。銀って酸化しやすいのに、一片の曇りもない。ディアナの手入れもいいんだね。こんないい細工、見たことがない。それにここ、なんだろ。柄の中になにか入っているね。カラカラと音がする。開けてみてもいい?」

 頷いたディアナを確認したキールは、そっと柄の中を開いた。

「へえ。小さなものがしまえるような蓋がついている。これは、薬かな」

 銀の小さい丸いもの。一応警戒して、キールは触らずに指摘した。

「銀の国で使っている、万能薬です。身に災難が振りかかってきたときに、飲むようにと」
「へえ、万能薬。用意がいいんだ、ディアナ。飲んだこと、ある?」
「はい。どんな病にもよく効きますから、国ではよく使います。でも、とっても苦いので……あまり、おすすめできません」
「ははは、飲まないで済むほうがいいね。わたしも苦いのは嫌いだ。なにごとも、甘くなくっちゃ」

 キールは鞘を奪い、刀身をむき出しにした。よく鍛えられた鏡のような刃が、ふたりの顔を映し出す。

「きれいだ。ずいぶん、製錬術が発達しているんだね、ディアナの国は。これだけの刀を作れるなんて、正直驚いたよ。うっとりするような刀。ルフォン以上だ。銀の国の技術と、我が国の兵力があれば、無敵だな」
「どうして、それほど軍備を気になさるの? 第二王子も馬を育てているし、調練に余念がないし」
「ルフォン王はね、近々勢力拡大を考えているんだよ。手はじめにきみの国を婚姻で併入し、隣国のアランフィールドには戦力で……おっと、この先はまだ言えないけど。まあ、私も刀の蒐集に忙しいから、詳しく知らないし」

 この国は拡大路線を敷こうとしていることを、ディアナは知った。将来、いくさがあるのだろうか。

「わたしのと、交換しない?」

 唐突に話を変えたキールに、ディアナは動転した。

「こここ、交換ですって!」
「遅かれ早かれそういう仲になると思うし、気に入ったよ銀細工、この意匠」
「でしたら、我が国元の職人の手による細工の刀を運ばせます。もちろん、新品を。この刀は、私の夫となる人にしか渡せません」
「やだ。ディアナの刀がいいんだもん。わたしは刀を集めているんだ。ディアナのをもらえたら、ちょうど三十振りになる」
「さ……三十?」

 聞き間違いかと、ディアナは大きな声で返した。

「うん、三十ね。大変だったよ」
「待ってください、あの、それって、今までに女の子から守り刀を二十九振り、もらったってことです、か?」

 未婚の女子にとっては、命の次に大切な守り刀をキールは二十九も所有しているという。

「もちろん、ただではもらっていないさ。納得してもらって、わたしのスペアの守り刀と交換したんだ。でも、ディアナの刀さえあれば、もうほかの刀はいらないや」
「納得……って。スペアの守り刀、って」

 三十人いればひとりやふたり、キールの豪華宝石短刀に惑わされるかもしれないけれど、基本的に刀の交換は婚礼の儀式のひとつ。ということは、幼い顔をして、この王子、三十人近くと結婚を言い交わしたということ?

「まあ、今までのは刀を得るための、体を張った方便だったからね。本気はディアナひとりだけだよ」

 刀を集めるためなら、どんな嘘も行為も働くのというのか。十五歳にして、三十人ってどうなの。ディアナは落胆した。グリフィンの趣味を知ったとき以上の、衝撃である。

「刀は渡せません。キールさまが、女性を騙して刀を得ようとする人だなんて」

 ディアナは颯爽と刀を袋にしまい、立ち上がった。

「先に帰ります」

 背後でキールがなにか叫んでいたが、ディアナの耳には入らない。振り返らずに、ディアナは城に逃げ戻った。
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