幼い私は…美人な姉の彼氏の友達の友達に恋をした

4、殴った側と殴られた側


 息子の啓介を保育園に預けてから、涼介も仕事に向かわなければならない。

 本日の出勤は午後からでいいと妻の海にも言われているし、本来なら久しぶりに会った友人の要と少し早い昼食をした後に、出勤する予定だったが、今はもう仕事に行きたかった。

 明らかに気落ちししている涼介に、保育園の先生らはソワソワしながら話かける。


「あのー、桂川さん。今日はいつもの素敵な笑顔が曇ってますよ!」

「ミナ先生の言う通りですよー、私も桂川さんが心配ですっ」

「桂川さんの悩みなら、この里奈りなが聞きますよ!夜は空いてますか?」

 イケメン代表とも言える好青年風の桂川 涼介は、保育園の先生達プラス園児の母らのアイドルだった。

 妻もいて息子もいて、家庭円満の自分に何故こうもアプローチしてくるのか、涼介は日々疑問に思っていた。

 男でも女でもあわよくば禁断の恋を、と憧れているのだ。

 一般的な考えからズレている桂川夫婦はもはや異様だった。

 涼介は海と夫婦になって父になった瞬間、男ではなく父親になった。それは海も同じ考えで、親になればもう『男』に『女』に戻るのはおかしいという考えだった。

 もちろん夜の営みはある。それは男女ではなく夫婦の会話の延長のようなモノ。快楽ではなく互いの身体を確認し共有する意図があった。

 自分でも気づかない身体の変化。ちょっと声がかれてる? 風邪かな。こんな場所に黒子が新しく出来てる! 大きくなるようなら病院いこうか。あれっ?このシコリ今までなかったよ、痛くはない? など。小さな発見が大きな病への抑止力になる。

 二人は運命共同体になったのだ。



(はぁー、僕とセックスしたいって顔に書いてある。セックスしたいなら、旦那さんとすれば良いのに。なんだろう…汚いな)

 ぷりぷり可愛い先生達の見た目に惑わされない涼介は、彼女達から発せられる濃厚なアプローチに寒気がしていた。


「友人を待たせているので、失礼いたしますね。啓介を宜しくお願いします」

 されたアプローチは丸っと無視し、当たり障りのない返答だけを彼女達に返した。しかし女豹は目ざといものだ。女を甘くみてはならない。


「あらっ、桂川さん。車、新しくなさったの?」

 車にあまり興味がない女性でも、流石に高級車だと分かったのだ。

 肉眼では保育園の外に横づけしている車のメーカーまでは分からないが、そのフォルムが一般車ではなく大型スポーツカーだと判別出来た。

 他の先生らも目の色が変わったのが瞬時に理解でき、涼介は正直に話すことで回避する。

「僕の車じゃないですよ、古い友人の車です。園児たちが待っていますよ。僕はいきますね」

 言いながら走り出す。物理的に離れてしまえば会話は途切れる。毎度の熱烈アプローチで変な精神力と体力を使った涼介は、今後はやはり妻に行ってもらおうと心に決めた。

 違うこと(先生達からのアプローチ)に気をとられていて、涼介は般若(要)の実態を忘れていた。


 逃げ込むように車に乗り込んだ涼介。先程とは違い、後部座席ではなく助手席にその身を滑りこませた。


「ふぅー。要、お待たせ」

「……涼介、歯をくいしばれ」

 条件反射で言われたように歯をくいしばって、要の方を見た瞬間、脳髄が揺れた。

 そこは優しさか? 利き手と反対の左拳を選び、なおかつフロントガラス側ではなく車の座席側へと殴られたから、右頰以外には痛さはない。

 骨が折れるほどの強さでもない。ないが、思考能力を奪っていくほどは強い。目の前がチカチカし、口の中は血の味が広がっている。
 まだ呆然と動かないでいる涼介に、要は手際よくシートベルトをつける。


「悪いな、嫉妬だ。手加減したから許せ」

「………(手加減するより、殴らないで欲しい)」

 身体をシートに預けたままジト目で、訴えかける涼介を無視し車を走らせる。

 睨んでいても要からは返答を得られないので、涼介は仕方なく窓の外に顔を向け、ぼんやりと街並みを眺めていた。



「お前は優しい。俺だってそれは納得している。だがな、その優しさは時として刃となると覚えておけ」

 まるで独り言のように呟かれた台詞に、涼介は意識を要に向ける。

 要は極端に言葉数が少なく、生産性のない話は口にするなと言わんばかり。

 秘密主義とは言わないが、こう…話しかけるな! 聞いてくるな!お前に聞く覚悟はあるのか!? と全てにおいて高圧的な態度が通常モードの為、余程のことでなければ理由を聞きづらい。

 今まさにそれだ。

 ベラベラ話すタイプでないのは承知の上だが、過去最高に意味が分からない。涼介は殴られた頬に熱がこもってきたのを感じ、自分の先行きが不安になっていた。

「降りるぞ」

 完結にまとめられた台詞に、ズキズキと疼く頬に手を置きながら、ドアを開き外に出るが、足がもつれ転倒しそうになる。しかし転倒はしなかった。

 力強い腕が涼介を支えているからだ。


「軟弱な奴だ、鍛えろ」

「…無茶を言わないでよ。要とはそもそも骨格からして違う。僕は生粋の日本人なんだから……っい、て、て、て、て…」

「ふんっ、言い訳は虚しいぞ」

「言い訳じゃなくて、事実だから…」


 身長だけでなく、肩幅も涼介の倍はある。腕の太さからして違うだろう。殴られた理由は聞いた。『嫉妬』だと、涼介の何に嫉妬か…。

 考えられるのが、妻である海の事だ。

 間違いなく海と結婚できた涼介への嫉妬と、今更ながらに気づく。要は本心をなかなか言わない。海との結婚式でも御祝儀を100万も包んでくれた。

 海と婚約が決まった時に報告した一番の友人 大輔も、実は海に好意を寄せていたと後に知った。

 これほどのハイスペックを持つ要も、友人に対してとても誠実だった。涼介と海が結婚してからは家に遊びにこなくなり、連絡もしなくなった。

 海の産んだ啓介を見て、嫉妬に駆られたのは仕方ない。海はそれほど素晴らしい女性だからだ。

 おもむろに店の前に止めた高級車。ボーイらしき人にポイッと車の鍵を投げ、涼介をつかんだまま歩き出す。

「どこに行くのかな?」

「飯を食うんだよ、後、頬を冷やさなきゃ腫れるぞ」

「……う、ん。…ありがとう、ごめんな」

「何故、お前が謝る? 殴ったのは俺だ」

「確かに殴ったのは要だけど、僕は確かに幸せ過ぎるから…ごめん」

「謝るな、俺がさらに惨めになるだろう」


 話はそれで終了となった。海を好きで、誰とも結婚せず最近は恋人さえいない要に、心の中で再度謝罪する。

(要、ごめん。でも誠実な要が僕は好きだよ。要が本気で海を奪おうと落としにかかったら僕に勝ち目は無かったはず。要は男の僕から見ても魅力的だから…。
でも僕の気持ちを知ってるから要から海にアプローチは一度もしてない。
 殴られるくらいは仕方ないよな、後のサポートもしてくれるし。要こそ、優し過ぎるよ)


 言葉が足りないのは、新たな勘違いを生む。それを早く気づいてもらいたい。

 全ては我が道を行く要が悪いのだ。要が皆を〝そう〟思わす態度を取り続けるのが、陸とのすれ違いの原因になっている。

 全員の勘違いとすれ違いは、更に拗こじれ拗ねじれ、正解からほど遠くになっていく。



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