花のようなる愛しいあなた

◇竹千代◇

8月。
徳川家に待望の男児が誕生した。
徳川家の長男は竹千代(たけちよ)と名付けられた。後の家光(いえみつ)である。
「これで徳川家のお家はますます安泰でございます!」
江戸は大いに沸いた。

江戸から知らせを受けた時、淀殿は使者に祝辞と祝いの品をいくつか持たせたが、豊臣から使者を送ることはしなかったし、誰も出向こうともしなかった。
挨拶は目下の者が出向いて行うものとされていたからだ。
徳川家は、豊臣家に使いの者を寄越した上で
「そちらからも挨拶来てくださいね」
と催促するような融和政策を取っていたが、
豊臣家は使いの者に返事は持たせるものの
「何で格下の徳川家なんかにこっちが出向かなくちゃいけないんだ」
と徳川の催促をばっさり切り捨てる対策を取っていた。

家康は事あるごとに周囲に嘆いて見せた。
「豊臣と徳川は一つじゃ。
両家で力を合わせて国をまとめていくことが肝要じゃ。
なのに、それが分かってもらえないとは悲しいのう…」
そんな家康の態度に世間は同情した。

「徳川家があれだけ譲歩しているのに、豊臣家の何と高飛車なことよ…」
「使者くらい遣わすのが礼儀なのではないのでは?」
「徳川家にご嫡男が産まれて焦っているのでは?」
家康はこうして世論を味方につけていった。

その同時期の8月14日。
京都の豊国神社では秀吉の7回忌が行われた。
完子が輿入れした時と同様規模の大きな祭礼で、市民は大いに沸いたという。
「しかしやっぱり、豊臣だな」
「器がでかいし、やることが潔いいよな!」
「地方は徳川家に任せといて、京は豊臣が管轄すればいいのに」
こんな二元制を提唱するものが現れ始めた。
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