私にオカマと馴れ合う趣味はない
ああ、気分はもうだだ下がりだ。はっきり言って興醒め。
なんかもう、残念だ。顔と声はもろ好みなだけに、より一層残念だ。
「なんだか運命感じない? あたし達、仲良くなれると思うの。あ、恋愛的な意味じゃないわよ? お友達として、ね」
私の気持ちも知らずに、オカマはやたらと上機嫌だ。運命がどうとか気色悪いことを語り出したオカマを尻目に、私は黙って髪飾りを外してポケットにしまった。
「ちょっと! なんで外しちゃうの!? そんなにあたしとお揃いが嫌!?」
「嫌に決まってるでしょ、変な誤解されたら堪ったもんじゃないわ」
言いながら、スタスタ歩いて距離を取る。
私にオカマと馴れ合う趣味はないんだよ。
いや、別にオカマを蔑視しているわけじゃないよ? それは断じてない。
ただ、率先して関わるかといえば話は別。ある程度学校に馴染んでからならともかく、入学して間もないこの時期にオカマと仲良く歩いてたら皆ドン引くこと請け合いだもの。最悪、三年間友人がこいつだけ、なんて事態になりかねない。彼氏なんて、夢のまた夢の話になってしまう。
「三年後に出直してくれば?」
「在学中は関わるなと!?」
「三年後もたぶん拒否するけど」
「それはもう、生涯関わるなってことじゃない!?」
「わかんないわよ? 十年後の同窓会とかでなら…………ごめん、やっぱ今のなしで」
「十年後でも嫌だったのね!?」
「まあ…………じゃ、そういうことで」
「どういうことよ!? あ、ちょっと待って置いてかないでよぉ!」
スタスタ歩きながら自己嫌悪。何、今の無駄にテンポいい会話。
私はあんたと仲良く漫才をする気はないのよ。
「待って、ってば! もう、自己紹介くらいはしましょうよ!」
諦めの悪いオカマだ。そろそろいい加減に勘弁してほしい。
早足で距離を取ろうにも、あちらのほうが歩幅が広い。身長百八十センチメートル越の長身のオカマは脚も長いらしい。
無視して歩き続けていると、オカマはこちらの返答を待たずに勝手に名乗り始めた。
「あたしは吉野(よしの)天晴(たかはる)。釜(かま)浦(うら)中出身よ~」
無視。
徹底して無視。
無視あるのみ。
大事なことなので三回言いました。
「…………もう、ちょっとはリアクションとってくれてもいいんじゃない? つれないわねぇ」
「…………」
「自分で言うのもなんだけど、結構ツッコミどころのあるプロフィールでしょ? ほら、『釜浦中って……オカマの巣窟か何か?』とか」
「…………」
「あ、別にそんなことないわよ? 少なくとも、オカマだって公言しているのはあたしだけだったから」
「…………」
「まあ、怪しいなって感じのは何人かいたんだけど。ほら、なんとなく同族のニオイが、ね」
「…………」
「……ここまで一貫して反応がないと、流石にちょっと虚しくなってくるわ」
「…………」
よし、いい感じね。あんたに恨みはないけれど、このまま諦めて頂戴。私の平穏な高校生活のために。
視界の端に映るオカマは、私が無視し続けたせいで少し俯き気味だ。顔の造形がいいだけに、瞼を伏せがちに憂う様子がなかなか様になっている。
……そんなにしゅんとされると罪悪感が湧くんだけど。一マイクロメートルくらい。
特殊な性癖を持つ人間っていうのは、どうしても避けられるものだから。
この初対面のくせにやたらぐいぐいくるオカマもひょっとしたら寂しかったのかな、なんて。
…………別に、同情なんてしてないわ。根拠も何もない、ただの無責任な考察よ。
そっと振り返ると、オカマの唇が微かに震えたように見えた。
「じゃあ、次はあなたの番ね♪」
「めげないな! …………あっ」
直前のちょっとしんみりした空気はなんだったのか。満面の笑みで私の肩を叩くオカマに、私は脊髄反射かというレベルで高速かつ全力のツッコミを入れた。
そして全力で後悔。私がつい反応してしまったのを見るや否や笑みを深めてくるオカマ。絶対に確信犯だ。……本当、なかなかいい性格をしてるわね。
それにしても、あれだけ徹底的に無視してやったのに全然堪えた様子がないなんて…………こいつのハートは強化ガラス製か!
これが鋼や金剛石ではなく、あえて強化ガラスというのが性質(たち)が悪い。ぱっと見ただの脆いガラスを装っておいて、実態がコレなのだから。
一度でもこいつに罪悪感を抱いたことが悔やまれる。むやみに私の良心を痛ませたとして慰謝料を請求したい気分だわ。
ちなみにここまで、一貫して無表情。これ以上余計な反応をしてこいつを喜ばせるなんて御免だし。
「まただんまり? 諦めが悪いわね」
「…………その言葉、そっくりそのままお返しするわ」
しつこい、とも言うわね。
言うなれば、十年間放置し続けた台所の油汚れ並のしつこさ。
やだ、汚い。
「なんでそんな汚物を見るような目でこっちを見てるのよ……?」
「え、だってあんた汚物…………あ、ごめん。勘違いだったわ。忘れて」
「何をどう勘違いしたらそうなるの!?」
汚物を連想していたせいで、ついこいつと汚物を混同してしまった。
「まあ、いいわ……。それより、いい加減に名前教えて頂戴よぉ。教えてくれるまで何年でもつきまとうわよ?」
うまい具合に話を逸らせていたのに、なんか強引に戻された。
しかも、堂々のストーカー宣言。
私は眉をひそめた。
「その言い方は卑怯だわ……」
「ふふふ、なんとでもお言いなさい! 私はなんとしてもあなたに名前を教えてもらうって決めたのよ!」
最近よく見かける横暴系ヒロインですか、それは。それは二次元の可愛いヒロインだから許されるのだと思うんだけど。
オカマがやっても、ただただ気持ち悪いだけだわ。そして迷惑。
でも、そんなこと言われたら、やっぱり怖いしもう名乗るしかない………………。
――と言うとでも思ったか、卑怯者め!
「通報します」
「ちょ、なんでそんな発想になるのよ!?」
ポケットからスマホを取り出して「11」まで打ってやったら、本気で焦った様子のオカマにスマホを奪われた。
……必死なのはわかったけど、もう少し丁寧に扱ってほしい。防護フィルムだって完璧じゃないんだから、無駄に長い爪をカツカツぶつけるのはやめて頂戴。画面に傷がつく。
「名前を教えてくれればいいだけじゃない。どうしてこう話を大きくしようとするのよ?」
不服そうに唇を尖らせるオカマ。
どの面下げてそれを言うか!
私はスマホを奪い返しながらオカマをジト目で睨んだ。
「……あんたさ、わかってて言ってるでしょ?」
「へ?」
「『教えてくれるまでつきまとう』って言葉は、『教えてくれればつきまとはない』っていう保証はしてないわよね?」
「そ、れは…………」
追求した瞬間に思い切り視線を逸らしたところを見ると、やっぱり図星か。
だから言ったのよ、「その言い方は卑怯だわ」って。
まったく、油断も隙もありゃしない。
「まあ、いまどき児童書でも使われるレベルの屁理屈に近い言葉遊びに引っかかるほど、私は馬鹿じゃないけど」
「…………それ、言外にあたしの頭が児童レベルだって言ってる?」
「さあね。自分で考えたら? あんたの脳みそがちゃんと高校生レベルならそれくらいわかるでしょ?」
冷たく言ってやれば、今度こそオカマは項垂れたようだった。
ここで引き下がってくれればいいけど、そう簡単にはいかないわよね……。この程度で諦めてくれるような相手なら、私はこんなに苦労してないわけだし。
さて、次はどんな手でくるか…………。
ちらりと隣を一瞥すると、何かを決意したようなオカマがガバリと顔を上げたところだった。
そして、何を思ったのか私の前方に回り込んでくる。
「お名前を教えてください! お願いします!」
「え、ちょ……!?」
私は酷く狼狽した。
この往来で、あろうことかこいつは土下座しだしたのだ。
登校時間ど真ん中。周囲には私達と同じ制服を着た人の姿多数。
当然注目を浴びる。
驚きの視線。「なんだなんだ」と騒ぎ立てる声。
それらはやがて、私に対する非難へと変化していく。
「こんなところで土下座させるなんて」「神経を疑う」「多少顔がよくてもあれはない」「背の高いオカマ可哀想」…………エトセトラ。
ちょっと、冗談じゃないんだけど!? こんな高校デビューは嫌!!
「何考えてんの!? ねぇ、やめてよ!?」
「お願いします!」
「それはこっちの台詞なんだけど! お願いだから、もうやめて……!」
そうこうしている間にも状況は悪化してきているのだ。
「あいつ、土下座させたうえに何か怒鳴ってるぞ」「最低」……って、土下座は私がやらせているわけじゃないし、これは怒声じゃなくて半ば悲鳴なんですけど!?
「名前教えてください!」
「わかった! わかったから! 本当にもうやめてよ……!」
もうやだ。こいつの執念怖い。怖すぎ。
計算なのか無計画なのか知らないけど、ほとんど知り合いがいないこの状況で私の社会的地位を落としにくるとかなんなのもう。信じられない。
「本当!? 本当に教えてくれる?」
「しつこい! あんたがそう仕向けたんでしょうが!」
もう我慢の限界。叫びながら思い切りその頭を殴ってやった。
何が「本当!?」よ! オカマのキラキラ笑顔なんてもらっても、ちっとも嬉しくないわ!
ああ、もう最悪だ。今日は厄日か。厄日だ。
オカマがガバリと起き上がって、ニコニコしながらまた私の隣に並ぶ。
……本当、その無駄に整った顔が見る影もなくなるまで踏み潰してやりたいわ。幸い、周囲の野次馬連中は「なんだあいつ、殴られて笑ってるぞ」「マゾか、驚かせやがって」「よく見れば、黒髪のほうが悲愴な面してるぜ」「マゾの被害者だったのか」と、概ね評価を修正してくれている。ここで多少マゾのオカマを蹴ってやったところで問題はなさそうだ。
隣を見れば、私の腹の中を知らないオカマはやっぱり超いい笑顔。目の前に餌を差し出された犬みたい。
「さっきも言ったと思うけど、一応もう一度あたしも自己紹介しておくわ。釜浦中出身の吉野天晴よ」
…………はぁ、殴りたい。
「……仲(なか)町(まち)中出身の坂牧(さかまき)咲(さ)月(つき)」
「咲月ちゃん! 可愛い名前ねぇ!」
ほら、教えた途端にこれだ。耳元でキャーキャー騒いでうるさいのなんの。
何より私は、こいつに下の名前で呼ぶことを許可した覚えはないんだけどな……?
「羨ましいわぁ、その中性的な名前! ほら、あたしなんて『天晴』じゃない? 親からもらった名前に文句はつけたくないけれど、正直もうちょっと女の子らしい名前がよかったのよね。何の因果か、あたし達みたいなオカマって逆に男くさい名前になることが多くって。そんな素敵な名前を授かるなんて、咲月ちゃんは幸せものね!」
…………閻魔大王様でも誰でもいいから、誰かこいつの舌を引っこ抜いてくれないかしら?
「いいなぁいいなぁいいなぁ咲月ちゃん! あ、そうだ! ねぇ咲月ちゃん、あたしいいこと思いついちゃった! 咲月ちゃん、あたしのことなんだけどさ、できたら『はるちゃん』って呼んでくれないかしr」
「黙れ天晴」
感嘆符ばっかり続けるな、うざい。
「はるちゃん」とか、死んでも呼ばないから。
「あら、うふふ! 咲月ちゃんが初めてあたしの名前を呼んでくれたわ!」
「…………ポジティブもここまでくると害悪ね」
「そうなの! あたし今、とっても前向きな気分! きっと、咲月ちゃんが名前を教えてくれたからね!」
「………………」
天晴……あんた、演劇部にでも入るつもり? ここは舞台の上じゃないんだから、くるくる踊りながら喜びを表現する必要はないのよ? 寧ろ表現するな。自粛しろ。
…………これ、私が名乗ったせいなの?
「……注目浴びてるんですけど」
「あら、きっと咲月ちゃんが可愛いからよ」
天晴は本格的に頭がお花畑状態らしい。半ば本気の殺意を込めて睨んでも、気付いた様子すらない。
「あんたが目立つ行動ばかりとるからでしょう」
「そうかしら? その前から好奇の視線はあったと思うけど」
わかっていてあれだけ騒いでいたのか。
こいつは馬鹿なのかある種の大物なのか…………たぶんただの馬鹿ね。
私は思い切り溜め息を吐き出した。
「わかってるわよ。そこはしょうがないわ。オカマだもの。割り切るしかない。私が言いたいのはそういうことじゃなくて、ただでさえ偏見されやすいのに、わざわざ余計に目立つことをするな、ってことよ」
「あー……あはは…………」
「笑い事じゃないから。高校デビューは死活問題なのよ? 入学してからの一週間、いや、早ければ三日間で、これからの三年間の八割が決まるの。それを、こんな…………!」
言葉にするとなおさら遣りきれない気持ちになって、どうしようもなく叫び出したい衝動に駆られる。怒りやら何やらで全身震えだしそうだ。
悪目立ちに悪目立ちを重ねた現状。
そしてその悪目立ちは現在進行形。
…………今すぐ転校したい。
「ご、ごめんね咲月ちゃん。あたし、咲月ちゃんがそこまで思ってたなんて気付きもしなくて」
天晴はその長身を縮こませて、申し訳なさそうに俯いた。本気で反省しているのがわかるから、これ以上怒る気にもなれなくて虚しい気持ちだけが残る。
「はぁ………だいたい、天晴だって他人事じゃないでしょうに」
「え?」
「悪目立ちして孤立するのは、あんたも同じでしょ? どうするつもりなのよ、これから」
天晴は、考えもしなかったというように、ぱちくりと瞳を瞬かせた。
それから、ふわりと笑う。
「あたしは、咲月ちゃんと仲良くなれればいいかな、って思ったのよ」
「え?」
「小学一年生じゃないんだから、友達百人目指してるわけでもないし。というか、あたしがオカマである以上、それは難しいでしょう? 目立たないようにおとなしくしてたって、結局は偏見されるもの。だったら、今以上の悪目立ちは覚悟の上で多少強引なことをしてでも、本当に仲のいい友達を一人作りたいなって思ったのよ」
…………やっぱり、天晴は卑怯だ。
いまさらになって、そんないい話ふうにまとめようだなんて。
そんな、困ったような優しい顔で笑うなんて。
「ごめんなさい。あたしの我儘で咲月ちゃんを振り回しちゃって」
こんなオカマに、私が絆されるなんて。
「…………あんた、馬鹿じゃないの」
「ええ、そうね………。咲月ちゃんの都合なんて、微塵も考えていなかったんだもの」
「違うわよ、馬鹿」
私は、なるべく天晴を見ないように、なるべく天晴から私の顔が見えないようにそっぽを向いた。
「あんたが殊勝な態度をとるなんて、気持ち悪いのよ。それだったら、傍迷惑にキャーキャー騒いでいてくれたほうが、百倍マシだわ」
「咲月ちゃん……!」
「…………」
…………うわ、なんだこれ。想像以上に恥ずかしい。我ながら、安っぽいツンデレヒロインにしか思えない。
「咲月ちゃん、顔赤い?」
途端にニヤニヤしだした天晴が心底憎い。こいつさえいなければ、私はこんな黒歴史を演じることもなかったのに。
「うるさい。やっぱり一生黙ってて」
「やだ、咲月ちゃんったら。可愛い」
「お願いだから黙って死んで」
「ツッコミが過激! でもいいわ! あたし気付いたの! それが咲月ちゃんの愛の形だって……!」
「断じて違うから」
なんだか振り出しに戻ったみたいだわ…………。
私はげんなりとして、溜め息をついた。
これ以上、私の黒歴史を掘り下げられても困る。どうにか話題を変えないと。
そういえば、気になっていたことが一つある。
「…………どうして私なのよ」
「ん? なんのこと?」
「友達のこと。一人でいい、っていうのはわかったけど、私に声をかけた理由がわからないわ。まさか、本当に髪飾りがお揃いだったからじゃないでしょう?」
結構本気の疑問だ。私と仲良くなって天晴にメリットがあるとは思えないし。私が逆の立場なら、絶対に私には話しかけない。
「ああ、それのこと。髪飾りも嘘じゃないけど、…………そうね、やっぱり運命を感じたからかしら」
「はあ?」
「ほら、類は友を呼ぶ、って言葉があるじゃない。咲月ちゃんとは仲良くなれると思ったのよ」
「あんたと同類って…………寒気がするわね」
それが事実かどうかは置いておいて、かなり本気でこいつと同類っていうのは嫌だ。
たぶん今の私の顔は、ゴキブリを足の裏で潰してしまったあとより嫌悪感で歪んでいるだろう。
「咲月ちゃん…………流石にそんなゴキブリを踏み潰したかのような顔をされたら傷つくんだけど」
以心伝心とか本気でやめてほしい。慣用句通り「苦虫を噛み潰したよう」って言えばいいのに、どうしてわざわざゴキブリをチョイスしたのよ。
これじゃ本当に「類は友を呼ぶ」だ。
「…………ゴキブリを噛み潰したような気分だわ」
「何その聞いたことないレベルの最悪な気分」
うぇ、気持ち悪い。強烈な例えすぎて、うっかり想像しちゃったわ。夢に見そう。
「なんか本気で気分悪そうだけど、大丈夫?」
肩貸そうか、なんて天晴に気を遣われる。なんだかんだうるさいけど、基本はいいやつよね、こいつ。
…………元凶に心配されてどうする、私。
「大丈夫よ、もう学校近いし」
「そう? 遠慮なんてしなくていいのよ?」
「遠慮なんてしてないわよ。どっちかといえば…………拒否?」
「咲月ちゃんの愛が相変わらず辛辣すぎる」
「あんたの人の域を越えたポジティブも相変わらずね」
なんだろう、天晴がうざいのもそれを邪険に扱う私も何も変わっていないはずなのに、不思議と和やかな雰囲気だ。
十年来の熟練された夫婦漫才みたいな、安定感…………安心感?
「うわ…………」
「ちょっと待って。そんな嫌そうな顔されることした覚えないんだけど」
天晴の抗議の声に返事をする余裕は今の私にはない。
だって、気付いてしまった。
私も天晴も変わっていないのなら、何も変わっていないのなら、最初からこうだったってことなんだって。
天晴がやたら私にこだわるわけだ。無自覚だったのは私だけだったんだから。
悔しいけど、どうやらあいつは私よりも私の無意識をわかっていたらしい。
認めざるをえないわ。
私は最初から、こいつとの距離感が嫌いじゃなかった。
見えないものさしで測るようなことをする必要もなく、自然とすっぽり収まった感じ。
この年になると、もう滅多にないことだ。
非常に認めがたいことではあるけれど、天晴の言った「運命」なんて言葉も、意外と的を射た話だったのね。
「ねぇ、咲月ちゃん。無視はやめて? 悲しくなっちゃう」
「勝手に悲しんでればいいじゃない」
「うふふ、その毒舌、ずっと聞いてると癖になってくるわ」
「オカマでドМとか、もう終わってるわね」
「社会的に?」
「そうね。あと、人生とかその他諸々」
「……それ死んでるって言わない?」
心底どうでもいい会話をテンポよく続けながら、私はふと思い立ってポケットから髪飾りを取り出した。
天晴に声をかけられてすぐに外してしまった、あの桜の髪飾りだ。
天晴とお揃い、か…………。
私は掌の上のそれを数秒間見つめて、悩んだ挙句、朝に家を出たときと同じようにつけ直した。
気恥ずかしさはあったけれど、もう他人の目は気にならなかった。
「あら、咲月ちゃん! お揃いの髪飾り、つけてくれる気になったのね」
「……別に。買ったばかりの髪飾りをあんたを理由につけないのも、馬鹿らしいと思っただけよ」
そういうことにしておいて頂戴。
勘の鋭い天晴なら、きっと私の本心にも気付いてしまうんだろうけど。
友愛を言葉にするのは、天晴の役割。
私はそれを面倒くさそうにあしらえばいいの。
それが私の「愛の形」なんでしょう?
「うふふ、そういうことにしておくわ」
「……自分に都合のいい妄想を信じて疑わないあんたの頭を、私はひょっとして尊敬すべきなのかしら?」
「咲月ちゃんが尊敬してくれるなんて嬉しいわぁ」
「私は『尊敬すべきか?』と訊いただけで、『尊敬する』と言った覚えはないんだけど」
「うふふふふ」
もう校門が見えてきた。いかにも生徒指導担当、って感じの先生が立っていて、こちらを見て呆けた顔をしている。オカマが連れ立って歩いてくるんだから当然ね。
歩き慣れない道のりって長く感じるものだけど、今日はやけに短く感じた。
……なかなかに濃い朝だったものね。
まあ、このくらいはもう気にしないことにしよう。じゃないとこれから身がもちそうにない。
「天晴」
隣を歩く高校生活最初で最後かもしれない友人に、ぶっきらぼうに呼びかける。
「なぁに?」
「高校デビュー、失敗したら、責任取ってよね」
一瞬目を見開いて、すぐに笑みを深めた天晴は、私の言いたいことをちゃんと理解してくれただろう。
「もちろん、咲月ちゃんの友達として、ずっと傍にいるわよ」
天晴の笑顔に、桜の髪飾りがよく映えた。
「馬鹿、ずっと傍をうろちょろされたら、いくらなんでもうざいでしょうが」
「つまり適度にうろちょろしろと?」
「…………さあね」
とりあえず、高校三年間友達がこいつ一人だけでも退屈はしないで済みそうだ。
相変わらずの好奇の視線の中、私は冷めた顔に口元だけ薄く笑みを浮かべて校門をくぐった。
なんかもう、残念だ。顔と声はもろ好みなだけに、より一層残念だ。
「なんだか運命感じない? あたし達、仲良くなれると思うの。あ、恋愛的な意味じゃないわよ? お友達として、ね」
私の気持ちも知らずに、オカマはやたらと上機嫌だ。運命がどうとか気色悪いことを語り出したオカマを尻目に、私は黙って髪飾りを外してポケットにしまった。
「ちょっと! なんで外しちゃうの!? そんなにあたしとお揃いが嫌!?」
「嫌に決まってるでしょ、変な誤解されたら堪ったもんじゃないわ」
言いながら、スタスタ歩いて距離を取る。
私にオカマと馴れ合う趣味はないんだよ。
いや、別にオカマを蔑視しているわけじゃないよ? それは断じてない。
ただ、率先して関わるかといえば話は別。ある程度学校に馴染んでからならともかく、入学して間もないこの時期にオカマと仲良く歩いてたら皆ドン引くこと請け合いだもの。最悪、三年間友人がこいつだけ、なんて事態になりかねない。彼氏なんて、夢のまた夢の話になってしまう。
「三年後に出直してくれば?」
「在学中は関わるなと!?」
「三年後もたぶん拒否するけど」
「それはもう、生涯関わるなってことじゃない!?」
「わかんないわよ? 十年後の同窓会とかでなら…………ごめん、やっぱ今のなしで」
「十年後でも嫌だったのね!?」
「まあ…………じゃ、そういうことで」
「どういうことよ!? あ、ちょっと待って置いてかないでよぉ!」
スタスタ歩きながら自己嫌悪。何、今の無駄にテンポいい会話。
私はあんたと仲良く漫才をする気はないのよ。
「待って、ってば! もう、自己紹介くらいはしましょうよ!」
諦めの悪いオカマだ。そろそろいい加減に勘弁してほしい。
早足で距離を取ろうにも、あちらのほうが歩幅が広い。身長百八十センチメートル越の長身のオカマは脚も長いらしい。
無視して歩き続けていると、オカマはこちらの返答を待たずに勝手に名乗り始めた。
「あたしは吉野(よしの)天晴(たかはる)。釜(かま)浦(うら)中出身よ~」
無視。
徹底して無視。
無視あるのみ。
大事なことなので三回言いました。
「…………もう、ちょっとはリアクションとってくれてもいいんじゃない? つれないわねぇ」
「…………」
「自分で言うのもなんだけど、結構ツッコミどころのあるプロフィールでしょ? ほら、『釜浦中って……オカマの巣窟か何か?』とか」
「…………」
「あ、別にそんなことないわよ? 少なくとも、オカマだって公言しているのはあたしだけだったから」
「…………」
「まあ、怪しいなって感じのは何人かいたんだけど。ほら、なんとなく同族のニオイが、ね」
「…………」
「……ここまで一貫して反応がないと、流石にちょっと虚しくなってくるわ」
「…………」
よし、いい感じね。あんたに恨みはないけれど、このまま諦めて頂戴。私の平穏な高校生活のために。
視界の端に映るオカマは、私が無視し続けたせいで少し俯き気味だ。顔の造形がいいだけに、瞼を伏せがちに憂う様子がなかなか様になっている。
……そんなにしゅんとされると罪悪感が湧くんだけど。一マイクロメートルくらい。
特殊な性癖を持つ人間っていうのは、どうしても避けられるものだから。
この初対面のくせにやたらぐいぐいくるオカマもひょっとしたら寂しかったのかな、なんて。
…………別に、同情なんてしてないわ。根拠も何もない、ただの無責任な考察よ。
そっと振り返ると、オカマの唇が微かに震えたように見えた。
「じゃあ、次はあなたの番ね♪」
「めげないな! …………あっ」
直前のちょっとしんみりした空気はなんだったのか。満面の笑みで私の肩を叩くオカマに、私は脊髄反射かというレベルで高速かつ全力のツッコミを入れた。
そして全力で後悔。私がつい反応してしまったのを見るや否や笑みを深めてくるオカマ。絶対に確信犯だ。……本当、なかなかいい性格をしてるわね。
それにしても、あれだけ徹底的に無視してやったのに全然堪えた様子がないなんて…………こいつのハートは強化ガラス製か!
これが鋼や金剛石ではなく、あえて強化ガラスというのが性質(たち)が悪い。ぱっと見ただの脆いガラスを装っておいて、実態がコレなのだから。
一度でもこいつに罪悪感を抱いたことが悔やまれる。むやみに私の良心を痛ませたとして慰謝料を請求したい気分だわ。
ちなみにここまで、一貫して無表情。これ以上余計な反応をしてこいつを喜ばせるなんて御免だし。
「まただんまり? 諦めが悪いわね」
「…………その言葉、そっくりそのままお返しするわ」
しつこい、とも言うわね。
言うなれば、十年間放置し続けた台所の油汚れ並のしつこさ。
やだ、汚い。
「なんでそんな汚物を見るような目でこっちを見てるのよ……?」
「え、だってあんた汚物…………あ、ごめん。勘違いだったわ。忘れて」
「何をどう勘違いしたらそうなるの!?」
汚物を連想していたせいで、ついこいつと汚物を混同してしまった。
「まあ、いいわ……。それより、いい加減に名前教えて頂戴よぉ。教えてくれるまで何年でもつきまとうわよ?」
うまい具合に話を逸らせていたのに、なんか強引に戻された。
しかも、堂々のストーカー宣言。
私は眉をひそめた。
「その言い方は卑怯だわ……」
「ふふふ、なんとでもお言いなさい! 私はなんとしてもあなたに名前を教えてもらうって決めたのよ!」
最近よく見かける横暴系ヒロインですか、それは。それは二次元の可愛いヒロインだから許されるのだと思うんだけど。
オカマがやっても、ただただ気持ち悪いだけだわ。そして迷惑。
でも、そんなこと言われたら、やっぱり怖いしもう名乗るしかない………………。
――と言うとでも思ったか、卑怯者め!
「通報します」
「ちょ、なんでそんな発想になるのよ!?」
ポケットからスマホを取り出して「11」まで打ってやったら、本気で焦った様子のオカマにスマホを奪われた。
……必死なのはわかったけど、もう少し丁寧に扱ってほしい。防護フィルムだって完璧じゃないんだから、無駄に長い爪をカツカツぶつけるのはやめて頂戴。画面に傷がつく。
「名前を教えてくれればいいだけじゃない。どうしてこう話を大きくしようとするのよ?」
不服そうに唇を尖らせるオカマ。
どの面下げてそれを言うか!
私はスマホを奪い返しながらオカマをジト目で睨んだ。
「……あんたさ、わかってて言ってるでしょ?」
「へ?」
「『教えてくれるまでつきまとう』って言葉は、『教えてくれればつきまとはない』っていう保証はしてないわよね?」
「そ、れは…………」
追求した瞬間に思い切り視線を逸らしたところを見ると、やっぱり図星か。
だから言ったのよ、「その言い方は卑怯だわ」って。
まったく、油断も隙もありゃしない。
「まあ、いまどき児童書でも使われるレベルの屁理屈に近い言葉遊びに引っかかるほど、私は馬鹿じゃないけど」
「…………それ、言外にあたしの頭が児童レベルだって言ってる?」
「さあね。自分で考えたら? あんたの脳みそがちゃんと高校生レベルならそれくらいわかるでしょ?」
冷たく言ってやれば、今度こそオカマは項垂れたようだった。
ここで引き下がってくれればいいけど、そう簡単にはいかないわよね……。この程度で諦めてくれるような相手なら、私はこんなに苦労してないわけだし。
さて、次はどんな手でくるか…………。
ちらりと隣を一瞥すると、何かを決意したようなオカマがガバリと顔を上げたところだった。
そして、何を思ったのか私の前方に回り込んでくる。
「お名前を教えてください! お願いします!」
「え、ちょ……!?」
私は酷く狼狽した。
この往来で、あろうことかこいつは土下座しだしたのだ。
登校時間ど真ん中。周囲には私達と同じ制服を着た人の姿多数。
当然注目を浴びる。
驚きの視線。「なんだなんだ」と騒ぎ立てる声。
それらはやがて、私に対する非難へと変化していく。
「こんなところで土下座させるなんて」「神経を疑う」「多少顔がよくてもあれはない」「背の高いオカマ可哀想」…………エトセトラ。
ちょっと、冗談じゃないんだけど!? こんな高校デビューは嫌!!
「何考えてんの!? ねぇ、やめてよ!?」
「お願いします!」
「それはこっちの台詞なんだけど! お願いだから、もうやめて……!」
そうこうしている間にも状況は悪化してきているのだ。
「あいつ、土下座させたうえに何か怒鳴ってるぞ」「最低」……って、土下座は私がやらせているわけじゃないし、これは怒声じゃなくて半ば悲鳴なんですけど!?
「名前教えてください!」
「わかった! わかったから! 本当にもうやめてよ……!」
もうやだ。こいつの執念怖い。怖すぎ。
計算なのか無計画なのか知らないけど、ほとんど知り合いがいないこの状況で私の社会的地位を落としにくるとかなんなのもう。信じられない。
「本当!? 本当に教えてくれる?」
「しつこい! あんたがそう仕向けたんでしょうが!」
もう我慢の限界。叫びながら思い切りその頭を殴ってやった。
何が「本当!?」よ! オカマのキラキラ笑顔なんてもらっても、ちっとも嬉しくないわ!
ああ、もう最悪だ。今日は厄日か。厄日だ。
オカマがガバリと起き上がって、ニコニコしながらまた私の隣に並ぶ。
……本当、その無駄に整った顔が見る影もなくなるまで踏み潰してやりたいわ。幸い、周囲の野次馬連中は「なんだあいつ、殴られて笑ってるぞ」「マゾか、驚かせやがって」「よく見れば、黒髪のほうが悲愴な面してるぜ」「マゾの被害者だったのか」と、概ね評価を修正してくれている。ここで多少マゾのオカマを蹴ってやったところで問題はなさそうだ。
隣を見れば、私の腹の中を知らないオカマはやっぱり超いい笑顔。目の前に餌を差し出された犬みたい。
「さっきも言ったと思うけど、一応もう一度あたしも自己紹介しておくわ。釜浦中出身の吉野天晴よ」
…………はぁ、殴りたい。
「……仲(なか)町(まち)中出身の坂牧(さかまき)咲(さ)月(つき)」
「咲月ちゃん! 可愛い名前ねぇ!」
ほら、教えた途端にこれだ。耳元でキャーキャー騒いでうるさいのなんの。
何より私は、こいつに下の名前で呼ぶことを許可した覚えはないんだけどな……?
「羨ましいわぁ、その中性的な名前! ほら、あたしなんて『天晴』じゃない? 親からもらった名前に文句はつけたくないけれど、正直もうちょっと女の子らしい名前がよかったのよね。何の因果か、あたし達みたいなオカマって逆に男くさい名前になることが多くって。そんな素敵な名前を授かるなんて、咲月ちゃんは幸せものね!」
…………閻魔大王様でも誰でもいいから、誰かこいつの舌を引っこ抜いてくれないかしら?
「いいなぁいいなぁいいなぁ咲月ちゃん! あ、そうだ! ねぇ咲月ちゃん、あたしいいこと思いついちゃった! 咲月ちゃん、あたしのことなんだけどさ、できたら『はるちゃん』って呼んでくれないかしr」
「黙れ天晴」
感嘆符ばっかり続けるな、うざい。
「はるちゃん」とか、死んでも呼ばないから。
「あら、うふふ! 咲月ちゃんが初めてあたしの名前を呼んでくれたわ!」
「…………ポジティブもここまでくると害悪ね」
「そうなの! あたし今、とっても前向きな気分! きっと、咲月ちゃんが名前を教えてくれたからね!」
「………………」
天晴……あんた、演劇部にでも入るつもり? ここは舞台の上じゃないんだから、くるくる踊りながら喜びを表現する必要はないのよ? 寧ろ表現するな。自粛しろ。
…………これ、私が名乗ったせいなの?
「……注目浴びてるんですけど」
「あら、きっと咲月ちゃんが可愛いからよ」
天晴は本格的に頭がお花畑状態らしい。半ば本気の殺意を込めて睨んでも、気付いた様子すらない。
「あんたが目立つ行動ばかりとるからでしょう」
「そうかしら? その前から好奇の視線はあったと思うけど」
わかっていてあれだけ騒いでいたのか。
こいつは馬鹿なのかある種の大物なのか…………たぶんただの馬鹿ね。
私は思い切り溜め息を吐き出した。
「わかってるわよ。そこはしょうがないわ。オカマだもの。割り切るしかない。私が言いたいのはそういうことじゃなくて、ただでさえ偏見されやすいのに、わざわざ余計に目立つことをするな、ってことよ」
「あー……あはは…………」
「笑い事じゃないから。高校デビューは死活問題なのよ? 入学してからの一週間、いや、早ければ三日間で、これからの三年間の八割が決まるの。それを、こんな…………!」
言葉にするとなおさら遣りきれない気持ちになって、どうしようもなく叫び出したい衝動に駆られる。怒りやら何やらで全身震えだしそうだ。
悪目立ちに悪目立ちを重ねた現状。
そしてその悪目立ちは現在進行形。
…………今すぐ転校したい。
「ご、ごめんね咲月ちゃん。あたし、咲月ちゃんがそこまで思ってたなんて気付きもしなくて」
天晴はその長身を縮こませて、申し訳なさそうに俯いた。本気で反省しているのがわかるから、これ以上怒る気にもなれなくて虚しい気持ちだけが残る。
「はぁ………だいたい、天晴だって他人事じゃないでしょうに」
「え?」
「悪目立ちして孤立するのは、あんたも同じでしょ? どうするつもりなのよ、これから」
天晴は、考えもしなかったというように、ぱちくりと瞳を瞬かせた。
それから、ふわりと笑う。
「あたしは、咲月ちゃんと仲良くなれればいいかな、って思ったのよ」
「え?」
「小学一年生じゃないんだから、友達百人目指してるわけでもないし。というか、あたしがオカマである以上、それは難しいでしょう? 目立たないようにおとなしくしてたって、結局は偏見されるもの。だったら、今以上の悪目立ちは覚悟の上で多少強引なことをしてでも、本当に仲のいい友達を一人作りたいなって思ったのよ」
…………やっぱり、天晴は卑怯だ。
いまさらになって、そんないい話ふうにまとめようだなんて。
そんな、困ったような優しい顔で笑うなんて。
「ごめんなさい。あたしの我儘で咲月ちゃんを振り回しちゃって」
こんなオカマに、私が絆されるなんて。
「…………あんた、馬鹿じゃないの」
「ええ、そうね………。咲月ちゃんの都合なんて、微塵も考えていなかったんだもの」
「違うわよ、馬鹿」
私は、なるべく天晴を見ないように、なるべく天晴から私の顔が見えないようにそっぽを向いた。
「あんたが殊勝な態度をとるなんて、気持ち悪いのよ。それだったら、傍迷惑にキャーキャー騒いでいてくれたほうが、百倍マシだわ」
「咲月ちゃん……!」
「…………」
…………うわ、なんだこれ。想像以上に恥ずかしい。我ながら、安っぽいツンデレヒロインにしか思えない。
「咲月ちゃん、顔赤い?」
途端にニヤニヤしだした天晴が心底憎い。こいつさえいなければ、私はこんな黒歴史を演じることもなかったのに。
「うるさい。やっぱり一生黙ってて」
「やだ、咲月ちゃんったら。可愛い」
「お願いだから黙って死んで」
「ツッコミが過激! でもいいわ! あたし気付いたの! それが咲月ちゃんの愛の形だって……!」
「断じて違うから」
なんだか振り出しに戻ったみたいだわ…………。
私はげんなりとして、溜め息をついた。
これ以上、私の黒歴史を掘り下げられても困る。どうにか話題を変えないと。
そういえば、気になっていたことが一つある。
「…………どうして私なのよ」
「ん? なんのこと?」
「友達のこと。一人でいい、っていうのはわかったけど、私に声をかけた理由がわからないわ。まさか、本当に髪飾りがお揃いだったからじゃないでしょう?」
結構本気の疑問だ。私と仲良くなって天晴にメリットがあるとは思えないし。私が逆の立場なら、絶対に私には話しかけない。
「ああ、それのこと。髪飾りも嘘じゃないけど、…………そうね、やっぱり運命を感じたからかしら」
「はあ?」
「ほら、類は友を呼ぶ、って言葉があるじゃない。咲月ちゃんとは仲良くなれると思ったのよ」
「あんたと同類って…………寒気がするわね」
それが事実かどうかは置いておいて、かなり本気でこいつと同類っていうのは嫌だ。
たぶん今の私の顔は、ゴキブリを足の裏で潰してしまったあとより嫌悪感で歪んでいるだろう。
「咲月ちゃん…………流石にそんなゴキブリを踏み潰したかのような顔をされたら傷つくんだけど」
以心伝心とか本気でやめてほしい。慣用句通り「苦虫を噛み潰したよう」って言えばいいのに、どうしてわざわざゴキブリをチョイスしたのよ。
これじゃ本当に「類は友を呼ぶ」だ。
「…………ゴキブリを噛み潰したような気分だわ」
「何その聞いたことないレベルの最悪な気分」
うぇ、気持ち悪い。強烈な例えすぎて、うっかり想像しちゃったわ。夢に見そう。
「なんか本気で気分悪そうだけど、大丈夫?」
肩貸そうか、なんて天晴に気を遣われる。なんだかんだうるさいけど、基本はいいやつよね、こいつ。
…………元凶に心配されてどうする、私。
「大丈夫よ、もう学校近いし」
「そう? 遠慮なんてしなくていいのよ?」
「遠慮なんてしてないわよ。どっちかといえば…………拒否?」
「咲月ちゃんの愛が相変わらず辛辣すぎる」
「あんたの人の域を越えたポジティブも相変わらずね」
なんだろう、天晴がうざいのもそれを邪険に扱う私も何も変わっていないはずなのに、不思議と和やかな雰囲気だ。
十年来の熟練された夫婦漫才みたいな、安定感…………安心感?
「うわ…………」
「ちょっと待って。そんな嫌そうな顔されることした覚えないんだけど」
天晴の抗議の声に返事をする余裕は今の私にはない。
だって、気付いてしまった。
私も天晴も変わっていないのなら、何も変わっていないのなら、最初からこうだったってことなんだって。
天晴がやたら私にこだわるわけだ。無自覚だったのは私だけだったんだから。
悔しいけど、どうやらあいつは私よりも私の無意識をわかっていたらしい。
認めざるをえないわ。
私は最初から、こいつとの距離感が嫌いじゃなかった。
見えないものさしで測るようなことをする必要もなく、自然とすっぽり収まった感じ。
この年になると、もう滅多にないことだ。
非常に認めがたいことではあるけれど、天晴の言った「運命」なんて言葉も、意外と的を射た話だったのね。
「ねぇ、咲月ちゃん。無視はやめて? 悲しくなっちゃう」
「勝手に悲しんでればいいじゃない」
「うふふ、その毒舌、ずっと聞いてると癖になってくるわ」
「オカマでドМとか、もう終わってるわね」
「社会的に?」
「そうね。あと、人生とかその他諸々」
「……それ死んでるって言わない?」
心底どうでもいい会話をテンポよく続けながら、私はふと思い立ってポケットから髪飾りを取り出した。
天晴に声をかけられてすぐに外してしまった、あの桜の髪飾りだ。
天晴とお揃い、か…………。
私は掌の上のそれを数秒間見つめて、悩んだ挙句、朝に家を出たときと同じようにつけ直した。
気恥ずかしさはあったけれど、もう他人の目は気にならなかった。
「あら、咲月ちゃん! お揃いの髪飾り、つけてくれる気になったのね」
「……別に。買ったばかりの髪飾りをあんたを理由につけないのも、馬鹿らしいと思っただけよ」
そういうことにしておいて頂戴。
勘の鋭い天晴なら、きっと私の本心にも気付いてしまうんだろうけど。
友愛を言葉にするのは、天晴の役割。
私はそれを面倒くさそうにあしらえばいいの。
それが私の「愛の形」なんでしょう?
「うふふ、そういうことにしておくわ」
「……自分に都合のいい妄想を信じて疑わないあんたの頭を、私はひょっとして尊敬すべきなのかしら?」
「咲月ちゃんが尊敬してくれるなんて嬉しいわぁ」
「私は『尊敬すべきか?』と訊いただけで、『尊敬する』と言った覚えはないんだけど」
「うふふふふ」
もう校門が見えてきた。いかにも生徒指導担当、って感じの先生が立っていて、こちらを見て呆けた顔をしている。オカマが連れ立って歩いてくるんだから当然ね。
歩き慣れない道のりって長く感じるものだけど、今日はやけに短く感じた。
……なかなかに濃い朝だったものね。
まあ、このくらいはもう気にしないことにしよう。じゃないとこれから身がもちそうにない。
「天晴」
隣を歩く高校生活最初で最後かもしれない友人に、ぶっきらぼうに呼びかける。
「なぁに?」
「高校デビュー、失敗したら、責任取ってよね」
一瞬目を見開いて、すぐに笑みを深めた天晴は、私の言いたいことをちゃんと理解してくれただろう。
「もちろん、咲月ちゃんの友達として、ずっと傍にいるわよ」
天晴の笑顔に、桜の髪飾りがよく映えた。
「馬鹿、ずっと傍をうろちょろされたら、いくらなんでもうざいでしょうが」
「つまり適度にうろちょろしろと?」
「…………さあね」
とりあえず、高校三年間友達がこいつ一人だけでも退屈はしないで済みそうだ。
相変わらずの好奇の視線の中、私は冷めた顔に口元だけ薄く笑みを浮かべて校門をくぐった。