Before dawn〜夜明け前〜
「お忙しいところ、すみません、九条さん。
桜木いぶきと申します。
そこに控えているのは、秘書の黒川です。
こんな大きなビルですから、ざっとでいいですよ。黒川がビル内の配置、覚えてくれますし」

いぶきがそう言うと、九条はまるで鈴でも転がしたように、コロコロと笑った。

「時間なら大丈夫ですから、早速参りましょう」


まるで春の陽だまりのようなふんわりとした雰囲気の九条。いつも笑顔の彼女は、どこへ行っても声をかけられる。嫌味もなく、まるで天使のよう。育ちの良さを感じる物腰。そのくせ、ムダのない行動。仕事も出来るに違いない。

いぶきは彼女と並んで歩きながら、そんなことを思った。

黒川は、2人と少し距離をおきながら、建物内のセキュリティなどをチェックしつつ、ついてくる。


「桜木先生は、アメリカ暮らしは長いんですか?」
「10年です」
「日本に戻られる予定はないのですか?」
「向こうで仕事もしていますし、今さら」

ちょっと冷たい言い方になってしまった。
自分とは正反対の九条に、知らず嫌悪感を抱いていたことに気づく。会話を続ける気がない。

「九条さんは、こちらのお勤めは長いんですか?以前、拓人…いや、副社長と会った時には、確か、北村さんという方が担当でしたが」

二人の後ろから、黒川が声をかけた。
いぶきが会話する気がないのを察して、フォローしたのだ。

「今年で三年目なんです。
副社長の担当は、まだひと月です。
北村さん、妊娠されてもうすぐ産休に入りますので。今、必死で引き継ぎをしているところなんですよ」

「そうなんですか。
じゃあ、大変ですね。副社長に付き合っていたら、毎日帰りが遅いんじゃないですか?ご家族も心配でしょう」

「父は、私が仕事をする事に反対で。見合いして結婚しろってうるさくて。
一条副社長の秘書ならばって、渋々仕事させてもらってるんです。
副社長も父の事はよくご存知なので、なるべく早めに帰してくれます」

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