レテラ・ロ・ルシュアールの書簡
* * *
それから、瞬く間に半年以上の月日が流れたけど、目覚しい変化はなかった。
相変わらず魔竜を葬る方法が見つからない。
マルが言うには、魔竜を倒すにはやはりその生体の仕組みを知るしかないそうだ。でも、それは未だに見つかっていない。
だけど僕は、毎日が楽しかった。
僕は通訳から解放されたということもあって、毎日、紅説王とマルの研究所に出向いている。普段の紅説王は、衣冠束帯ではなく、地味な着物を着ていた。
僕は普段着の王と、実験オタクのマルが、ああだこうだと議論しては、熱心に研究に打ち込んでいる姿をメモ帳に記していったり、街にも繰り出して、どんな様子なのか記録する日もある。
実は、本日がその日なのだ。
僕は街に降りて、人ごみの中を散策していた。
当たり前だけど、条国の町並みはルクゥ国と違っていた。
月国は石畳が普通だけど、条国は均された土で、建物はルクゥ国は石造りだけど、条国は木材だった。
異国情緒漂う町並みを見ていると、わくわくしてくる。僕は、道の端に避けて、胡坐を描きながら、メモ帳にスケッチを描いていた。
こういうときは、小さいサイズが仇となる。
「もっと大きい紙を持って来れば良かったなぁ。条国にも売ってるかな?」
僕は独り言を呟いて、辺りを見回した。すると、それに答える声が。
「あるよ。ほら、そこの店」
僕は一瞬肩を竦ませて振り返った。いつの間にか隣にみつあみを結った少女が座っていた。僕より年下の、十五歳かそこらの年齢。薄茶の髪に、浅葱色の着物が映える。
少女は赤茶の瞳をにこりと細めた。
その瞳は赤希石(せっきせき)によく似てる。赤希石はルクゥ国の下の方、南の地方の一部、シクラで取れる宝石で、わりと貴重な石だ。赤色の中に茶色が多く含まれていて、緋色に近い。シクラでは婚約者に送る風習があって、恋人の石と呼ばれている。
そんなことをやんわりと思い出しながら、彼女の瞳を見ていた。すると、少女は僕の先を指差した。
僕はつられて振り返る。すると、筆の絵が描かれた看板が軒下から吊るされている建物があった。
「見えた?」
「あ、うん。あそこがそう?」
向き直って尋ねた僕に、少女はまたにこりと微笑む。
「えっと、教えてくれてありがとう。君は?」
「わたし、晃(ひかる)。ごめんね。びっくりしたでしょ?」
「あ、うん。まあ」
「お兄さんがたまに町で絵を描いてるの見かけてたの。何を描いてるのか気になって。こっそり覗いちゃってたの。随分前から隣にいるのに、全然気づかないんだもの」
晃はくすくすとおかしそうに笑う。僕は、気恥ずかしくなって頭を掻いた。
さっきまで弟も一緒にいたんだけど、と言って、彼女は一瞬だけ視線を街中へ投げた。そして、僕に向き直って、愛想良く笑んだ。
「お兄さん、外国の人でしょ? 顔立ちとか、服装とか、この辺じゃ見かけないもの」
「うん、そう。ルクゥ国の人間だよ」
「そうなんだ。ルクゥ国ではそういう格好なんだね」
晃は物珍しそうに視線を上下に動かした。僕は、自分の服装を見やる。今日もさほど代わり映えはない。黒のシャツに、チェック柄のジレ。黒のキュロットに、黒のタイツと革靴。黒で統一しただけだ。
「僕にしてみれば、条国の方が珍しいけどな」
「それって、お互い様ね」
楽しそうに晃はふふっと笑った。
その笑顔を見た瞬間、僕の胸はきゅんと締め付けられた。
(……なんだ、これ)
僕は、どぎまぎする胸を押さえながら、晃を見つめた。
晃は小首を傾げながら、にこりと微笑む。
僕の胸はまた締め付けられた。不思議な事に、その感覚は、苦しいのに嬉しかった。
体温が一気に上昇したのを感じる。そのとき、
「あ~! いた、いた!」
突然聞こえてきた。騒がしい声に振り返ると、人中にマルと陽空が立っていた。
僕は火照った頬を押さえた。
「マル。どうしたの?」
声が思いがけず裏返る。
「どうしたの。じゃ、ないでしょ。会議の時間、とっくに過ぎてるんだけど。皆探し回ってるよ」
「あっ!」
僕は慌てて立ち上がった。
「ごめん。僕、行かな――」
晃を振り返ると、晃の手を陽空が握っていた。
(いつの間に!)
彼女を立たせようとしているというのは分かったけど、僕は何故だがすごくイラっとして、その手を叩きたくなった。よりによって、陽空とは。
「会議に出ずに、女の子と仲良くデートったぁ、やるねぇ。お前も」
「違う! そんなんじゃ――」
「お嬢さん、名前は?」
自分で話題を振っておいて、陽空はそれを無視して晃に熱視線を投げた。しかもまだ手を繋いだままだ。
(この男は!)
僕はイライラしながら、その光景を眺めていた。でも、晃は陽空の手をそっと放した。僕は少しだけほっとした気分になって、小さく息を洩らした。
「晃です」
「良い名前だね。それにすごくキレイな瞳だ。――晃ちゃんは何歳なの?」
「ありがとうございます。十五歳です」
「そうなんだ。随分と大人っぽいんだね」
(そうか?)
僕は小さく首を捻った。晃は僕からして見れば、どこからどう見ても年相応に見える。
「ほら! そんなことしてないで、さっさと行くよ!」
マルはガナリながら、陽空の服の衿を掴んで、猫を持ち上げるみたいに陽空をひっぱった。陽空は、ずるずるとひっぱられながら、
「はあ、ヤダね~。研究オタクは。女の子の大事さも知らないなんて」
「研究の方が大事じゃないか! 世界の命運がかかってるんだからな!」
軽口を叩いた陽空を、マルは真剣に叱りつけた。
「お兄さん達って、何をしてる人達なの?」
きょとんとした表情で尋ねた晃に、マルは向き直って胸を張った。
「僕たちは魔竜討伐の研究をしているんだ。そのために、吸魂竜の舌の研究をしているのさ」
「舌の。なんで?」
訝しがりながら首を傾げた晃に、マルは嬉々として説明しようとしたけど、突然マルはなにかに気づいた表情をして、しゃがみ込んで彼女の腕をとった。
「――おい!」
僕は思わず小さく引き止める。でも、マルの耳には届かなかったのか、マルは妙に真剣な表情で、残っていた片方の手を顎に当てた。
「微かに、震えてる」
「え?」
マルの低声に、僕は怪訝に呟きながら晃の腕を見た。確かに、微かに震えているように見える。
(大丈夫か?)
「ああ、これ。大丈夫よ。ただの筋肉痛だから。さっきまで弟をずっと抱っこしてたから、筋肉が少し痙攣してるの。少ししたら治るわ」
「そうなんだ」
僕は安堵しながら、相槌を打った。だけど、話題を振った当人であるマルは心ここにあらずといった感じで、固まっている。
「弟ったら、もう七歳なのに、まだ甘えん坊なのよ」
晃がくすくすと笑った瞬間、マルが勢い良く立ち上がった。
「そうか! そうなんだ!」
声高に叫ぶと、キラキラと瞳を輝かせて勢い良く晃を見る。
「ありがとう!」
マルは大声でお礼を言って、踵を返して走り出した。
「お、おい! どこ行くんだよ!」
僕は追いすがるように手を伸ばして、晃とマルを交互に見やった。
「ごめん! 行かなくちゃ」
「ううん。また、会えると良いね。お兄さん」
「うん!」
大きく頷くと、陽空の襟をひっぱって、早足で駆け出した。
陽空は引っ張られながら、元気良く叫んだ。
「俺も、また逢いたいな。俺の名前は陽空。覚えておいてね。その、キレイな赤希石色の瞳で、また俺を見てね。晃ちゃん!」
「うわ、キザー。ひっぱられながら、よく言えるな。陽空」
僕は悪態をついて、大げさにため息をついた。そんな僕に、陽空はケロッとした表情で、
「言うだけはタダだもん」
「本当、最低なヤローだな」
「お前も言うねぇ。つーか、お前は名乗っておかなくて良いの?」
「……良いよ。今はそれどころじゃないだろ」
たまたま遇っただけの女の子だ。それ以下でも、以上でもない。僕は、自分にそう言い聞かせていた。だけど、僕の表情は今、限りなく不機嫌だろう。
「そうか。まあ、お前が良いなら良いけど。後悔は先に立たないんだぜ」
後ろから聞こえてきた言葉とは裏腹な陽空の楽観とした声音が、何故か心にこびりついた。