レテラ・ロ・ルシュアールの書簡
僕は表面上は怪訝に眉を顰めてみせたけど、心のどこかで冷えた思いがした。
「魂っていうのはね、生命活動に必要なエネルギーのことだと僕は考えてる。それを魔竜は糧にしてる。そして、この魔王もそれを吸い出す能力がある」
マルは、整理するように一回言葉を区切った。
「能力者は非能力者よりもそのエネルギーが多い生き物だと思うんだ。でも、それにも個体差がある。魔竜に吸われ、次にこの魔王に吸い出されて、レテラたちのエネルギーは底をつきかけていたんだと思う。つまりは、死ぬ寸前だったってことなんだけど」
ただの実験結果の発表のような口ぶりに、僕はそんな口調で言うなよと憤りが過ぎった。でも、それは一瞬で消え去った。
さっきのマルの言葉を思い出したからだ。
「ちょっと待って、さっき魂を吸い出す能力が止まらなくなったって言った?」
思わず硬い声音になった。
「うん。言ったよ」
マルは端的に答えた。
僕はショックで少しの間思考が止まってしまった。
「じゃあ」
と、言葉を口にしたのは陽空だった。
「……結界を解いたら、ヤバイってことだよな」
慎重な声音だった。僕は陽空を窺い見る。僕だけでなく、皆の視線が陽空に注がれていた。陽空は引き攣った顔をしている。
無理もない。僕の頬も同じように引き攣っているのを感じているから。
あの辛さが蘇ってきて、うんざりしてしまった。〝怖い〟というよりは、もう本当に嫌悪感しか湧かない。僕は、あの苦痛を全力で拒絶していた。
マルは静かに口を開いた。
冷静な口調で、淡々と言った。
「そうだね。この結界がなくなったら、皆死ぬと思う」
めまいがする。
(冗談じゃない)
僕はくらくらする頭を、眉間の間に指をやって止めた。
「どれくらいの範囲の者が?」
アイシャさんが硬い声音で慎重に尋ねる。
「この光が届く範囲の者全てだろうね。おそらくだけど、上空に浮かぶわけだから、十キロくらいは届くんじゃないか。地上にあるのなら、また別だけど。魔王の性質上、結界で遮られない限り浮かぶだろうね」
マルは自身に説明するように言う。淡々と口にしているけど、そんな範囲に被害がおよんだら、一体どれだけの犠牲が出るんだ。もしかしなくても、魔竜よりひどい被害状況になるんじゃないのか。
僕はぞっとした。背中に冷や汗が湧いて出る。そこに、
「更に、まずい事態があるのだ」
深刻な表情で紅説王が割って入った。
「この結界は、長くはもたない」
「え!?」
思わず声を上げて息を呑んたけど、それは僕だけじゃなかった。紅説王とマルと、青説殿下以外、皆が驚愕していた。あのヒナタ嬢ですら、驚いて息を呑んだ音声が僕の耳に届いたくらいだ。
「魔王は、結界を内側から食い破ってしまうのだ。あの魔竜のようにな」
僕の脳裏に、魔竜の最後が浮かぶ。臓物や肉片をばら撒いて死んだあの魔竜のように、結界が砕け散るさまが容易に想像できた。
「でも、安心して」
マルが明るく言う。
「結界は張りなおせば良いからさ。数時間は持つしね」
「そうだよな……」
僕はこくんと頷く。結界がある限り、魔王が悪さをする事はない。
だけど、胸には不安が渦巻いていた。
もう一度、あの痛みを味わうかもしれないという不安が、どうしても僕の心を晴天にしてくれない。
僕達はもしかしたら、とんでもないものを創ってしまったんじゃないのか。
「円火の言うとおりだ」
青説殿下の確信めいた声音にハッとして、いつの間にか俯いていた顔を上げると、殿下はいつもの神経質そうな表情で明言した。
「皆不安はあろうが、今は、魔竜を倒す力を手に入れた事を喜ぶべきだ。結界という対策もある。悲観的に考える必要はない。そうでしょう、兄上?」
紅説王は、伏目がちな瞳を上げた。それは、何かを思い切って吹っ切ったような表情だった。
「ああ。そうだな」
紅説王のきっぱりとした語調に、僕はなんだかすごくほっとして胸を撫で下ろした。
(そうだよな。殿下の言うとおりだ)
でも僕はこの時、失念していた。この解決策の重大な欠点を――。だけど、マルは既にこのとき、気がついていたんだと思う。おそらくは、紅説王も。
それが、あの絶望的な状況に一筋の光を見出すだなんて、僕は想像すらしていなかった。