COFFEE & LOVE―秘書課の恋愛事情―

「楓、ごめん…」

その言葉に反応するように
彼は抱き締める力を少しずつ弱めると、私を解放した。

その腕をすり抜けるように立ち上がると、彼に背を向けた。

『昭香さん…

行かないで…』

背後から私の名を呼ぶ小さな声。
けれどその声に振り返ることは、もうない。

滲み始めた視界に、早足で玄関へと向かう。
ここを出るまでは絶対に泣かない、そう決めていた。


扉を開くと、夜風が頬を撫でる。

冷たい感覚に思わず頬に触れると、
もうすでに零れ落ちていた涙が指を濡らした。

踏み出す足が地面に触れると、
それに合わせてピンヒールのカツカツという小気味良い音が鳴る。

私はもう一度この足で立ち上がって歩くんだ。

そう決意を固めて、前を向くと
一歩一歩その感触を噛みしめながら足を踏み出した。

見慣れた灰色のレンガ造りの建物が目に入ると、一瞬彼の笑顔が頭を()ぎる。

この痛みも。
全て抱えて、ちゃんとこの足で歩いていくんだ。

少しずつ戻っていくその感覚に、
何故だかそれが久しぶりのように思えるのと同時に、自分のことをちゃんと愛せていた

いつかの“私”に少しだけ戻れた気がした。


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*BLACK COFFEE
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