青の秘密を忘れない
「お疲れ様。待たせてごめんね」

なるべくいつも通りを心がけて、緊張が出ないよう少しゆっくり話しかける。

「いや、そんなに待ってないですよ。お疲れ様です」

彼はちらりとこちらを見たがすぐに目をそらし、ちょうど滑り込んできた電車に乗り込んだ。
私も後に続いて電車に乗った。

ガタンガタン……

ちょうど帰宅ラッシュに当たってしまったみたいで、車内は混雑していた。
だから、必然的に青井君と向かい合って密着するかたちになってしまう。

ドキドキが聞こえたらどうしよう。

そんなことを考えていたら、次の駅のホームに着いた瞬間よろけて青井君の胸に思い切り顔を埋めてしまった。

「ご、ごめん…」

青井君の顔をぱっと見上げると、優しい力で頭を下に向けられる。

「危ないから、僕の腕につかまっててください。……あと、今こっち見ないでください」

一瞬見えた青井君の顔が真っ赤になっていた。
おそらく私も同じ色をしている。

黙って頷き、青井君のワイシャツをつかんだ。
青井君の腕が背中に回る。
きっと守ってくれているだけなのに、抱き締められてるみたい。

早く次の駅に着いて。

でも、もっとこうしていたい気持ちも嘘じゃない。

私はドキドキを鎮めるために、着いたらどんなお店にしようと考え続けた。


十分くらいして、お互いアクセスのいい駅に着いた。

彼は、私が口を開くより先に、ここにおいしいお店があるんですよ、と言って私の手を引いて歩き出した。

そうして着いたのは、オシャレな個室居酒屋だった。

「乾杯」
「お疲れ様です」

そう言ってグラスをカチンと鳴らして、お店オススメのワインを口にした。

「おいしい!」

「でしょう。篠宮さんお酒好きだから連れてきたかったんですよ」

そう言って彼はくしゃっと笑った。
見たことないくだけた笑い方をしている。

「青井君、いつもとなんか違う」

そう口にすると、青井君の顔から笑みが消えた。
そうだ、いつもとなんか違うのは当たり前だ。
もしかしたらいつも通りにしようとして、この場を設けてくれたのかも知れないのに。

二人の間に重い沈黙が流れた。

「嬉しくて、つい。
篠宮さんとこうやってお酒飲んでるのが楽しすぎて、素の自分が出ちゃいます」

そう言って、私の顔色を窺うように青井君はこちらを見つめてくる。
顔が熱くなるのは、今日もお酒のせいではない。

「私も、そうだよ」

ぼーっとする頭でやっとそう口にする。
青井君はホッとしたように笑って、またすぐ真顔に戻る。
青井君は笑った顔がかわいい反面、真顔になるとすごく冷たい印象を抱いてしまうのだけど、今日は全然そんな気がしなかった。

「金曜日は、すみませんでした」

金曜日。
青井君に好きだって言われた日。
青井君と、キスした日。

「いやいや、酔ってたし仕方ないよ!別に怒ってないし、嫌じゃなかったし!」

ドキマギしながらそこまで言って、嫌じゃなかったって嬉しかったみたいだと思ってさらに緊張が高まる。


「好きです」


金曜日に同じ台詞を聞いたばかりなのに、その言い方が甘くて、また私の顔を赤く染め上げる。

「な、なんで」

私は青井君の顔を見られなくて俯きながら、なんとかそう口にした。
今まで一年間そんな素振りはなかったのに。
二年目になってから……私が退職することが決まってから、確かにその傾向はあった。
気付かないふりをしていたのだと思う。
でもやっぱり理由が分からなくて、頭が追い付かなかった。

「言ったじゃないですか、篠宮さんは僕のことよく分かってるって」

「言ってたけど」

「それに仕草も可愛いし性格もいいし、そうやってすぐ顔が赤くなるのも好きです」

いつもよりその言い方が甘くて、やっぱり青井君の顔を見ることができなかった。

「でも、私、結婚してて……」

「分かってます。ただ、篠宮さんがいなくなる前にちゃんと自分の気持ちを伝えたくなっちゃって。
……なのに、その時の篠宮さんの反応が可愛すぎてつい同じ気持ちだって信じたくて、強制して…キスしてしまいました。
本当にすみません」

青井君のグラスを触る手が微かに震えていた。

強制?いや、違う。
私も青井君のことが好き……って伝えていないことに気が付いた。

「気にしないで」と言って、私は自分が何て答えたいのか分からなくて、青井君を安心させようと笑った。

「ありがとう、嬉しい」

でも、応えられない?
それとも……。

後に言葉を続けられないまま、お店を出る時間になり、私たちは解散した。
青井君はもうそれ以上それには触れなくて、会社でもいつも通りだった。

そして、私の退職する日を迎えた……。
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