青の秘密を忘れない
その日、夜中に家にたどり着くと正臣がリビングでうたた寝していた。
私は物音を立てないように鏡で目が腫れていないことを確認した。

「ただいま」

「おかえり。待ってようと思ったら寝ちゃってたよ」

そう言って正臣は私をぎゅっと抱き締めた。


誰もが、正臣を素敵な旦那さんねと言うに違いない。

私を信用して自由にしてくれる、
わがままも聞いてくれる、
意思も尊重してくれる、
愛の言葉も言ってくれるし、
頼りにもなる。
……それは私がよく分かっている。

なのに、なぜ私はこうも正臣を愛することができないのか。

正臣が私の髪に顔を埋めて、抱き締めてきた。
最近さりげなくそういう状況になることを避けていた。
私は礼儀のように彼を抱き締め返すと、ソファーに押し倒される。
私は、半ば投げやりな気持ちで流される。

青井君にあんなことを言われるのなら、正臣と幸せになるのが一番いい。
愛された方が幸せになれる、とよく聞く話だ。

目を閉じて、「私はこの人を愛している」と心の中で繰り返した。
愛しているから結婚した。
一生一緒にいると誓った。

抱きつくのに夢中になっているように見せかけて、夫の唇が体を這っていくのをただじっと感じていた。
その生温さが、体温と反して私を凍ったように固くさせる。

夫が耳元で、大好きとつぶやいた。
「私も大好き」

そう乾いた唇でつぶやいた瞬間、
目の前に青井君の顔が見えた気がした。
どんな表情かも読み取れないほど近くに。

青井君。

私は思わず、ぐいっと夫の胸を押し返した。
正臣が何か言おうとする前に「お腹痛い」と呻いて、トイレに向かう。

青井君と結ばれたことなんてないのに、青井君への罪悪感に苛まれる。
私は夫を受け入れることができなかった。

トイレから出ると、正臣がコップと胃腸薬を用意してくれていた。
そして、そういう雰囲気になることもなく、お腹をさすってくれているうちに正臣は眠りについた。

私はどこまでも独りになった気がした。
青井君に抱かれる時が来るか分からない。
でも、正臣に抱かれることを良しと出来ない。

私は眠っている正臣の手から逃れるようにベッドからはい出した。
そして、青井君に『私こそごめんね』と送った。

翌朝、青井君からの返事はなかった。
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