青の秘密を忘れない
居酒屋を出ると、まだ四月の夜は肌寒い。

遠くには普段仕事をしているオフィスビルが見える。
あと何回この景色を見ることができるだろう。
決していい思い出ばかりではないのに、もう離れると思うと惜しくなるのは何故だろう。

「僕は、嫌じゃないですよ。むしろ、いいと思ってます」

その言葉に、私は青井君の方を向いた。
普段飲まないビールを飲んだせいか、青井君の顔が赤く目が少し潤んでいるように見えた。

冗談だ。酔っているだけだ。「先輩として」嫌じゃないって普通のことだ。
そう自分の中で考えがぐるぐる廻っているのに、ドクンドクンと鼓動がうるさくなっていく。

「青井君は真顔で冗談言うよね……」

私は今、どんな顔して話しているのだろう。
青井君の顔を見ていられなくて、私はオフィスビルに目を向ける。

「篠宮さんこそ、僕のことなめてますよね」

青井君が、私の右腕をぐっとつかんだ。

「……急にどうしたの?青井君、酔ってるでしょ」

「僕のこと、嫌ですか」

頭がクラクラしているのが、ビールのせいではないことは分かっていた。

何も答えない私を見つめていた青井君が、大きくため息をついた。

「寒いし、そろそろ帰りましょう」

彼は、ぱっと私の腕を離してこちらに背を向けた。

もう二度とこうやって会うことはない。
だって、私はここからいなくなる。
だから、この気持ちに答えなんて出さずに今まで通り過ごせばいい。

でも。

咄嗟にコートをつかんでしまい、彼は驚いて振り返った。

「どうしました?」

彼の切れ長な目がこちらに向けられた。
彼の瞳に自分の姿を見つけて、心臓がどくんと音を立てる。
見つめ合っているのに、視界がぐるぐるしてどこに立っているのかさえ分からなくなる。

「私も、嫌じゃ、ない」

絞り出したその声が妙に熱を帯びていることに気が付いて、さらに顔が熱くなる。

「どういう意味ですか」

聞いたことのないぶっきらぼうなようで、少しくぐもった甘い声。
彼は少し屈んで、私を真っ直ぐ見つめた。

「青井君のこと格好良いな、とは思ってたよ……なんて」

冗談っぽく言ったつもりが、語尾が消え入りそうになる。

「それだけ?」

青井君はさらに私を覗き込んで、もう鼻先がぶつかりそうだった。
胸の中で、これ以上踏み込んではいけないというサイレンが鳴り響いていた。

でも。

「青井く……」


彼は、私の言葉を遮るようにキスをした。

「意地悪なこと言ってすみません。
でも僕、篠宮さんのこと、いいなってずっと思ってました。
……既婚者だって頭では分かっていても」

やっぱり彼の声は甘く聞こえる。
拒む気力もなくなる程に。

「好きです」

私はもう一度おりてくる彼の唇を受け入れて目をつむった。


もうお別れしなくてはいけないから、盛り上がっているだけ。
雰囲気に飲まれているだけだと言い聞かせる。

それでも、私は、青井君に恋をしている。
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