私たちにできるだけ長いラストノートを
私が最初に好きになったのは、彼の匂いだった。

「やべ、テキスト忘れた……」

講義が始まる直前、隣に座っている人がつぶやいた。
隣に友達がいる様子もなく、受けずに出る時間もない。

人見知りの私が、顔見知り程度の関係だった彼に声をかけたのは、どういう気持ちからだったのか今となっては思い出せない。

「本当にありがとう、助かった!この講義の先生怖いから焦った」

「ううん、焦る気持ち分かるもん」

「ほんとありがたかったよ。あ、髪にゴミついてる……」

彼が私の首元辺りに手を伸ばした。
私の髪を触るのと同時に、微かに彼の手首が首筋に触れるのが分かった。
なぜか彼に触られても不快な気持ちにはならなかった。

その瞬間、どこからかふわっと甘い香りがして鼻をくすぐった。

「なんかお花みたいな甘い匂いがする。好きな匂いかも」

私がそう言うと、彼は一瞬面食らった顔をしたが、すぐにぷっと吹き出した。

「多分それ、俺の匂いだわ」

「えっ。ご、ごめん、私気持ち悪いな」

変態みたいだと焦って弁解しようとしたら、彼が笑って重ねて話す。

「正確には俺の香水の匂いだけどね。きっと移ってるよ」

私は、彼が触れた髪を鼻に近付けて息を吸った。

「うーん、微かに同じ匂いがする、かも?」
「いや、しないと思う」

彼の顔を見るとツボだったらしくて堪え切れずに声を上げて笑い出した。

あー、からかわれたな、と思って少し機嫌が悪くなった私に、彼が言った。

「次の講義の時に香水持ってくるよ。つけてみてよ」


その次の講義の時、本当に彼は香水を持ってきた。

「本当は自分でやるんだけどね」と言って、自分の手首に香水を吹きかけた。
そして、私の首筋に優しく触れると少し強めな甘い匂いがした。

前回より匂いが強いかも、と思った私の気持ちを読み取ったように彼が口を開く。

「前回は、ラストノートだった」

「ラストノート?」

「今はつけたばかりだからトップノート。
そのうちミドルノートになって、ラストノートになったら前回と同じ匂いと思うはず。
そのうち変わるからお楽しみに」

彼がそう言った時は意味が分からなかったが、数時間すると匂いが変わって嗅いだ事のある匂いになった。
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