マリッジライフ・シミュレイション~鉄壁上司は妻を溺愛で溶かしたい~
第十一章 上書きと熱

《一》





私を抱きかかえてミーティングルームから連れ出した高柳さんは、そのまま私を車に乗せマンションへと帰宅した。

帰宅後すぐにお風呂へ直行した私は、長い時間をかけて丹念に体を洗った。
矢崎さんに付けられた何もかもを洗い流したくて仕方なかった。

汗と涙を含む不快なベタベタはすぐにシャワーで一掃出来たけれど、いくら洗っても触られた感覚は肌に張り付いたままで、湯船に浸かって涙と嗚咽をお湯に沈めた。


風呂から上がり部屋に戻ると、灯りも点けず、ベッドの縁に座ってしばらくぼうっとしていた。
嗚咽を堪えた喉がヒリヒリと痛む。長湯をしたのにもかかわらず、背中がうすら寒い。

いつもの倍くらいの時間浴室に籠っていたはずなのに、高柳さんはそのことには何も触れずに私と入れ替わるように風呂に行った。

(高柳さん…きっと怒っているわよね……)

彼は帰りの車からずっとほとんど口を閉ざしたままだ。喋るのは必要な時だけ。

矢崎さんはすっかり諦めたのだと私は油断していた。高柳さんも幾見君も、あんなに心配して気を回してくれていたというのに。

強引にとはいえ、密室に二人きりになるような状況を作った自分にも責任はある。腕を掴まれたすぐにもっと抵抗するなり大声を出すなりすれば、あんなことにならなかったはず。
自分の迂闊さが悔やまれた。

体に張り付いた嫌な感覚と後悔の気持ち、そしてあの時の恐怖が一気に胸に押し寄せて、両目が再び熱を持ち始める。

(だめ…泣かない。大丈夫、これくらいなんでもない。大事には至らなかったのだし……)

ひとり胸の内で自分を宥める。
すぅっと息を大きく吸いこんでゆっくりと吐き出すと、瞼の熱が静まりかける。

(そうよ、雪華。あなたは強い。だから大丈夫……)

高柳さんとの約束の期間は終わり、この週末には自分のマンションに戻る。もとの生活に戻るのだ。

ずっと分かっていたことだけど、そのことを考えた途端、さっきとは違う場所が締め付けられるように痛んだ。

瞼に滲んだ涙が薄らいだ頃、コンコン、と部屋のドアがノックされた。
< 227 / 336 >

この作品をシェア

pagetop