結婚するには乗り越えなくてはいけない壁があるようです

「また来てね」


という言葉すらなく家を出た私たち。

これでいいわけがない。


「なにがいけなかったんですかね?」


聞かずにいられなくて、帰りの車内で尚さんに聞いてみた。


「歳の差ですか?職種ですか?家柄ですか?話し方ですか?性格…までは分かりませんよね?服装かな。それとも手土産?」


思いつくまま羅列してみたけど、尚さんはどれにも首を縦に振らない。


「年齢的にもうプライベートなことに口出しするようなことがなかったら『結婚したい相手を連れて来る』としか言わなかったんだ。親からも『分かった』としか言われなかったし」


医師として立派に働いている息子が選ぶ女性なら親が根掘り葉掘り聞かなくても問題ないと思っていたのだろう。

それなのに、私ではダメ。


「杏には嫌な思いをさせて悪かった。あれ以上、いても無駄だと判断したから出直すことを決めたんだが、杏のなにが気に入らないのか、さっぱり分からない」


どうやらご両親の態度は尚さんにとっても予想外だったようだ。

理由がわからなければ直しようがないし、ご両親に受け入れられない状態で結婚など出来ないのだけれど。


「理由を」


教えてもらえるよう、聞いて欲しい、と言い掛けてやめた。

ハンドルを握る尚さんの横顔は話しかけてくれるなと言わんばかりに険しいものだったから。

それに尚さんがこのままにしておくとも思えない。

だから話題を変えることにした。


「今日、当直なんですか?」

「あ、あぁ。あれ?言ってなかったか?伊東に急用が出来て、夜だけ代わることになったんだよ」


伊東というのは尚さんの大学の3つ下の後輩で、当直だけを頼んでいる内科医だ。

背はさほど高くなく、どちらかといったら痩せ気味の体型で、顔は童顔。

一見、頼りなさげに見えるけど、穏やかな話し方は深夜にやって来る患者に安心を与え、的確な診断と処置はスタッフの負担を軽減してくれるともっぱらの評判だ。


「杏は会ったことあったっけ?」


尚さんに聞かれて首を横に振る。


「当直から帰る姿を数回見かけただけで、話したことはないです」

「そっか。じゃあ今度紹介しよう。杏のこと、俺の婚約者だ、って知っておいてもらわないと。伊東が杏のこと知って、惚れたりしたら困るからな」


そんなことあり得ない。

顔合わせが上手くいかずに気落ちしている私を気遣ってくれているだけ。

それでも尚さんの気持ちが嬉しくて、こそばゆくて、口元が緩み、恥ずかしくて俯く。

そんな私を見て、尚さんは言った。


「前から思っていたんだが、杏は自己評価が低いよな」

「え?」


運転席の方に目を向けると、赤信号で止まったタイミングで、尚さんが私の頬に触れた。


「こんなに綺麗で可愛いのに。今、そんなことあり得ない、って思っただろ」

「よく分かりますね」

「当たり前だ。どれだけ杏のこと、気にしてたと思うんだよ」


首を傾げると、尚さんは困ったように微笑んでから、私の頬から手を退かし、ハンドルを握った。

信号はまだ赤だ。

尚さんの方を見ていると、視線に気付いた尚さんが信号機を見ながら、話し始めた。


「杏を初めて見た時、透き通るような真っ白な肌と漆黒の綺麗な髪と瞳を前にして、こんなに綺麗な子がいるのかと言葉を失ったよ。ただ」


信号が青に変わった。

尚さんは車を発進させてしばらくしてから続きを話してくれた。


「入社したての頃の杏は仕事に対するやる気に満ちていた。他のことなんて目にもくれないほどに。だから、どんなに惹かれようとも、俺のような年増の男が近付いてはいけない、触れてはいけない。そう思ってなるべく近寄らないようにしていたんだ。恋愛で仕事に影響が出るのも嫌だったしな」


そこは噂に聞いていたことだから驚かない。

ただ、影響が出ると分かっている上で尚さんは私に告白してくれたのだ。


「『恋人が欲しい。父親より年が上でなければいい』と言っていたのを聞いて、他の男に持っていかれるくらいなら『俺と付き合うか』って言葉が口から自然と出たんだ」

「そうだったんですか」


ずっと知りたかったこと。


「やっと話してくれた」


どうして私だったのか。

きっかけが気になっていたけど、互いのことをほとんど知らない状態でお付き合いが始まったから、尚さんのことを知ることや、私を知ってもらうこと、自分の気持ちを考えることの方が大切な気がして、話してくれるまで聞かずにいた。


「まさか見た目だったとは思いもしませんでしたけど」

「どうして?色白美人だって言われないか?」

「むしろ『不健康そう』って言われます」


好きな男の子に『色白過ぎて気持ち悪い』と言われた時はさすがに落ち込み、肌の白い家系を恨んだくらいだ。


「だから夏でもなるべく肌を露出しないように、私服は長袖、長ズボンを、仕事の時はカーディガンを羽織るようにしているんです」

「なるほどな。でもまぁ、綺麗な肌は隠しておけばいい。知っているのは俺だけで十分だから」


そんなことを言われて体が熱を帯びるのは、私の体を見つめる尚さんの熱を帯びた瞳を思い出してしまったからだ。


「うち、寄っていくか?」


恥じらう私のことを分かっているのか、いないのか。
どちらにしろ尚さんはこれから仕事なのだから寄れるはずもなく。

誘いは断り、別れ際のキスだけでその日は実家に帰宅した。


それから2日後の休憩時間。

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