Sランクの年下旦那様は如何でしょうか?
第四章 陰りに、染まる。



 最近は匠くんが不在のことが多くなってきた。結婚してから二週間ちょっと経とうとしているけれど、私たちの関係に進展はない。むしろキスの回数は減ってきた気がするくらいだ。もちろん、それでいいのだと思っている。私たちは愛し合っているのではなく、好き合っているだけ。だから・・・。
 続く言葉が浮かばなかった。いや、浮かばなかったと言えば語弊になるかもしれない。浮かんだけれど、それを本当に私が望んでいるのか自信がないのだ。

「離婚」

 口に出せば心が落ち込む。間違った結婚をいつまでも続けることにメリットはないはずで、お互いの為にも離婚をするべきなんだとわかっている。匠くんであれば戸籍に傷が付こうが引く手数多(あまた)に違いないし、私は・・・まあぼちぼちやっていけたらそれでいい。匠くんのことだから、アラサー近い女に傷をつけてしまったから自分から離婚だなんて言い出せないのかもしれない。それなら私が、最後くらい私が言ってあげるべきなんだろう。

 沈み続ける心に拍車をかけるように、外は雨が降り続いている。その時ふと、頭を(よぎ)ったことに自分を褒めてあげたい。スマホを手にすすいと文章を打ちこむと、思っていたよりも早く返事が返ってきた。そうと決まれば準備をせねば。少しわくわくした心臓に手を当てて、この思いを噛みしめる。目に見えない不安がモヤをかけていたが、そこに一筋の光が見えた気がした。これが正しい道でありますように。



 停まっているのは黒の四駆で、私を見つけたからか窓が開いた。

「濡れるぞ。乗って」

「あ、はい。ありがとうございます」

 手早く傘を畳み助手席に乗り込んだが、思ったより濡れてしまっていた身体が気持ち悪い。鞄を覗いてもハンカチという女子力アイテムは見つからなかった。

「ん」

 視界の端にチラつく物に視線をやると、ブルーにお洒落なラインが入ったタオル生地のハンカチが差し出されている。持ち主は黒のスキニーに赤茶色のトレーナーを着て、上から大き目のデニムジャケットを羽織っている。黒縁眼鏡にセットしていないままの髪でも、韓流アイドルにこんな人いたっけなと思うくらいだ。

「田村さんハンカチ持ち歩いてるんですね」

「社会人として、な。早く拭きな」

 濡れたお陰で強く出ているパーマをハンカチで拭きながら、進み始めた車の進行方向を見つめる。
 ここ一週間は自宅警備員状態で人と会う事が殆どなくなっていた。週に三日ほど家政婦のガルシアさんが来るけれど、フィリピン人の彼女とは英語すら出来ない私には意思疎通の方法がない。匠くんの疲れた横顔に話しかける勇気はなくて、おかえりの挨拶をしたら自主的に自室に籠るようにしている。家でまで気を遣わせるのが申し訳なくて。

「心ここに在らず、って感じだな」

「え? あ、いえ。すみません」

「いいよ。話って何となく想像ついてるから。とりあえず店入ろうか?」

 田村さんのシートベルトを外す音を聞いて、車が停まっていることに気付いた。

「傘・・・めんどくさいな。直ぐだし、ちょっと待ってて」

 返事も聞かずに車から降りた田村さんの背中を見送ると、数秒後に助手席のドアが開いた。ぐっと手首を引かれると、ロング丈のチノスカートに足を取られる。

「ああ、悪い」

 匠くんの心地よいエスコートに慣れ過ぎていたから、この不器用な日本男児感が可愛くて小さく笑ってしまった。それにむっと眉を寄せた田村さんに気付かないフリをしながら、車高の高い四駆から「よっ」と降りる。


「悪かったな。俺は王子様じゃないんで」

 そう言って田村さんの胸元に引き寄せられると、頭をすっぽりとジャケットで覆われた。暖かく男の香水の香りがするそこに、胸が高鳴ってしまったのはノーカンにして欲しい。そのまま数歩先の店内に入る迄、私は顔を上げられなかった。



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