Sランクの年下旦那様は如何でしょうか?
第五章 どうしようもなく、好きな人。



 玄関ドアの開く音がして、部屋の前を誰かが通り過ぎる足音がした。涙を拭って息を潜めれば、ドクドクと心臓がうるさく鳴っている。きっとリビングに行ったはず。声は遠くて微かにしか聞こえない。それでもわかってしまった。声の主は女性だということに。
 それなら、先程の表情の理由がよくわかる。そしてどちらが優先されているのかも。匠くんの気持ちが全然わからない。なんで私なんかと結婚したのか。そう思うと沸々と怒りが込み上げてきて、ありがたいことに涙も止まってくれた。居ても立っても居られないけれど、どうしようもなくて乱暴にベッドに腰掛ける。


「××××!」

「××ぃね」

 ___なんだか声が近付いて(がちゃ)

「わあっ!?」

「っ!?」

 突然扉が開いて声を上げた女性と、声にならない声を上げた私。二人して驚きのあまり固まってしまい、無言のまま見つめ合って数秒経った。

「ちょっと、さや姉!」

 ドアの向こうから匠くんの声が聞こえてきて、二人して我に返る。

「匠くんごめん。私、人がいるなんて思わなくて」

「ああ・・・」

 女性の後ろから匠くんの声だけが聞こえる。不安で堪らなかった。この女性が「泥棒猫」って掴み掛ってくるかもしれない。上手く息が出来なくて、落ち着け落ち着けと呪文のように唱える。

「亜子ちゃん、ごめんね」

 女性が先に部屋に入ってきて、その後ろに続いた匠くんを見て自分の目を疑った。その腕に抱かれていたのは、ふにゃふにゃの赤ちゃんだった。

「あ・・・、えっと」

 上手く言葉が出ない。それなのに頭の中ではたくさんの疑問が渦を巻いて、もうぐちゃぐちゃだった。
 その子どもは誰ですか。その女性は誰ですか。その人が本命ですか。何らかの(しがらみ)のせいで結婚出来ない二人の間に生まれた愛する子どもですか。そうなのであれば私という存在は、その子の隠れ蓑の母親ですか。そうなのであれば、なんの取り得もない私と結婚した理由もわかる。匠くんの魅力にしっかりと絆されて、もう嫌だなんて言えないくらい夢中になっているんだもの。

「亜子ちゃん」

 トリップしていた意識が匠くんに呼び戻され、気付いたら目の前に匠くんが立っていた。ストンと王子様のように片膝を付けば、私の目線よりも低くなった位置から見上げてくる。赤ちゃんは女性の腕の中ですやすやと寝息をたてている。そんな顔したって、貴方たちの燃える様な恋に人生を捧げるわけには「亜子ちゃん。落ち着いて。僕の話を聞いて」

「・・・」

 匠くんの手が私の両手を握って包み込む。それでも止まらない震えの正体が、怒りなのか悲しみなのか当人の私でさえわからない。

「亜子ちゃん。違うよ?」

「違う・・・の?」

「違う。どうせ僕の隠し子とか思っているんでしょう?」

「・・・」

 そうですなんて言えなくて、口は半開きのまま匠くんと女性を交互に見る。女性は母親のように温かい笑みを私に向けていて、悪意や憎悪の欠片もない。


「この人は大谷沙也加さん。僕ら三兄弟の長男、貴臣(たかおみ)の奥さんだよ」



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