残念な上司に愛の恐竜料理を!

10貫目


 森岡世志乃が両手を口元に強張らせて青ざめる中、真美さんが絶叫する。

「馬鹿! 今、近付いちゃダメだって! セラミック、すぐに戻ってこい!」

 急いで89式小銃を取りに2人は走ったが、緊迫した状況のためか砂地に足を取られて転んだり、迅速に進めない。戸惑っているうちに、取り逃がした獲物を追ってメトリオリンクスが海中からズルズルと砂浜まで這い上がってきた。
 幸いな事に現生のワニと違って脚が4本ともヒレ状になっているので、海ワニは産卵時の海亀のようにしか進めない。それでも蛇のように斑でテカテカの体をくねらせながら、瀕死のオフタルモサウルスを狙い不得手な陸地まで追いすがってきた!
 
 セラミックは、ひっくり返ったオフタルモサウルスを何とか元に戻すため、体重を乗せながら力の限り肩で押してみた。だが500㎏以上もある巨大な魚竜は、当然のごとく彼女の押す力程度ではビクともせず、虚しく砂浜にくるぶしを埋めるだけであった。

「私はハンター見習いだけど……命を奪う人間で、何だか矛盾してるけど……目玉ちゃんを助けたい!」

 汗と砂まみれになったセラミックは、左右にバタつかせるオフタルモサウルスの尻尾の力で弾き飛ばされそうになるも半回転し、今度は背中の方で押し続ける。
 ようやく斜めになった魚竜が自身の力で仰向けから復帰した時、セラミックの目の前に太い丸太のようなメトリオリンクスが気味の悪い動きで大口を開けて迫ってきた。

 普段なら一目散に逃げおおせるのだが、力を使い果たしてしまったのか、はたまた腰が抜けてしまったのだろうか、セラミックは砂地に両足を埋もれさせたまま固まってしまった。妙に冷静となり海ワニの顎から突き出ている歯の数々が白い勾玉のように見える。
 ……あの口で咬まれると痛いだろうな、お父さん、お母さん、ごめんなさい……。

「危ない! セラミック!」

 誰かの叫ぶ声が渚を駆け抜け、セラミックの体を押し倒したかと思うと、信じられない力で覆い被さってきた。

「きゃっ!」

 思わず大きく見開かれた目と目が合わさった。度付きサングラスを荒い呼吸のリズムにプラプラさせている。……数十センチ先から見下ろす松上晴人の真剣な眼差しに、下になったセラミックは思わず息を飲んだ。

「松上さん!」

「いいから、早く逃げろ!」

 陸でも敏捷な動きを見せるメトリオリンクスはもう目と鼻の先だ。貪欲な海ワニは複数になった獲物の、どの肉に食い付こうかと躍起になっているのか、猫に似た低い唸り声を発した。

「2人とも伏せてー!」

 吉田真美が89式小銃を3点バーストでメトリオリンクスに向けて連射した。射撃が得意な彼女は、片膝立ちで巧みに反動を抑制しつつ正確に海ワニに命中弾を与えたのだ。
 致命傷には至らぬも短い悲鳴を上げた捕食者は、追いかけて来る時より更にスピードを増しUターンすると、己の棲む海へと舞い戻って行った。

 素肌に近い状態で、しばし抱き合ったまま呆然と見つめ合う松上とセラミックを目の当たりにし、森岡世志乃は距離を縮める絶好のチャンスを逃してしまった事に今更ながら気付いたのだ。

「はいはいセラミックさん、怪我はないでしょ! いつまで松上さんと、くっ付いたままなのですか。離れなさい、迷惑でしょう!」

 セラミックはフラフラと立ち上がるも、世志乃の声は届いていない様子だった。水着のずれを直しつつ、隣に横たわる巨大なオフタルモサウルスの折れた背びれ辺りに抱きついた。

「ありがとう、松上さん……助けてもらって。それに真美さん、世志乃さんも。ごめんなさい心配かけて……」

 オフタルモサウルスは、あまり歯の生えていない長い口をリズミカルに開閉させている。自身の体重に肺を潰されるのか、苦しげに喘いでいる姿を晒していた。噛み千切られた尾びれからの出血も痛々しい。

 松上晴人はアメリカ調査隊の元へ向かう寸前、セラミック達のいる海辺を見返して最後の安全確認を行った。その時、異変にいち早く気付いた彼はボートに松野下を残し、銃も持たずに全速力で引き返して来たのだ。
< 38 / 75 >

この作品をシェア

pagetop