残念な上司に愛の恐竜料理を!

ごちそうさま



 何かを察した松上晴人が、セラミックと目が合った刹那、呻くような言葉を発した。

「まさか、次の料理はアロサウルスか……?」

「そのまさかです。松上さんが一番好きな恐竜と言った、あのアロサウルスですよ」

 冷静なはずの松上晴人に稲妻のようなショックが駆け巡り、彼は少し仰け反った。

「いや、セラミック、私が、……俺が好きだと言ったのはジュラ紀最大にして最強の肉食恐竜である美しいアロサウルスに対してだな……。あれだけ怖い思いをしたはずだというのに、お前、いや瀬良美久さん。た、食べてしまいたいくらいに愛おしいってか。……う~ん食べていいのか?!」

 動揺を隠しきれない少年のようになった松上晴人に、容赦なくセラミックは単純明快にしてストレートな料理、アロサウルスの骨付き肉ステーキを神業のようなスピードで饗した。

「セラミック風アロサウルスのシャリアピンステーキです」

 鉄板上でじゅうじゅう美味しい煙を立ち上らせる大きな肉塊は、紛れもなく松上晴人がその手で倒した1頭。手羽元から胸肉に相当する一番上等な赤身の部分であった。
 ステーキの上には微塵切りにしたキノコが琥珀色のソースとして掛けられ、食欲を否応なく増進させるのだ。
 健一君は少しイレギュラーな肉料理のコースに首を捻る。

「またステーキなの? まださっきの肉汁が口に残っている感じだけど」

 真美さんはキノコのソテーが盛られたシャリアピンステーキに、同じく首を捻った。

「ステーキが続くけど、方向性が異なるのよ。多分アロサウルスには違う仕事が施されているはず。健一君はセラミックの料理は初めてだから知らないのね。彼女の創意工夫のすごさを」

 松上がステーキに早速ナイフを入れてみる。サクッと刃が通って霜降り肉のような柔らかさだ。心なしか緊張気味にミディアムレアの肉片の香りを堪能すると、ぎこちなくフォークを口へと運んだ。
 瞬間、思考を麻痺させる魅惑的な肉色スープの濁流が口中を駆け巡り、松上に譫言のような台詞を溢れさせた。

「こ、ここは視聴覚室ならぬ恐竜の視嗅覚室ですか……いや味嗅覚室なのだろうか……」

「松上さん、何イミフで謎の言葉を小声で漏らしているのですか? あこがれのアロサウルスですよ!」

 はっと我に返った松上が、厨房で不安げなセラミックに顔を向き合わせた。

「シャ、シャリアピンステーキと言えば、日本で一番格式あるホテルの料理長が考案したという……タマネギの微塵切りに肉を漬け込んで軟らかくしたビーフステーキの事……でも、このステーキに乗っているのはマイタケじゃないのか……?」

「おお~、マイタケと一瞬で分かるとは侮れませんね、松上リーダー。仰る通り生のマイタケとアロサウルスの肉を一晩ビニールパックに漬け込んで柔らかくしたステーキなんです」

 中山健一が軽くスマホを操作した後に言う。

「舞茸……マイタケにはマイタケプロテアーゼというタンパク質分解酵素が含まれているのね! タマネギの代わりに香りの良いマイタケを料理に使ってみたという事?」

 吉田真美も暫くスマホを操作した後に言った。

「ふ~ん。戦前に日本を訪れたロシア人の声楽家、フョードル・イワノビッチ・シャリアピンは歯を悪くしてたのか。そこで工夫して考え出された料理が、柔らかく調理したシャリアピンステーキという訳ね。セラミックの場合、退院したばかりのリーダーの体を気遣って柔らか恐竜肉を出してみましたって感じかな? よかったね、リーダー。大好きなアロサウルスが食べられて」

 真美さんの言葉に健一君は何やら感動したのか、自前で持ち込んだ赤ワインが揺れるグラスをしげしげと眺めながらに言う。

「そうか、敗血症になりかかっていたという松上さんの体力回復のために、この数ヶ月の間、色々とがんばったのね、セラミックちゃん……」
 
 一方で、今か今かとセラミックが松上からのコメントを待っている。
 ついに今晩、出るのか? 皆の前での『文句なしに美味しい』宣言。
 いや、さすがに特別な経緯もあるし、この度ばかりは大丈夫だろう。
 マジで全力投球のメニューです。力の入れ具合もハンパないし……。
 
 松上は皆からの注目を振り払うように、あっさりとした口調で感想を述べた。

「う~ん、やっぱり私はジュラ紀でセラミックが作ってくれたシンプルな茹で卵の方が好きだったかな」

「がく~!」

 セラミックが脱力した後に、松上は畳み掛けるように呟いた。

「私がアロサウルス好きなのは学術的な面からであって、決して食べ物として好きって訳じゃないぞ」

「そんな事は当然、分かってますよ!」

 少しべそをかいたセラミックに、松上は幾分申し訳なさそうな笑顔で確かに言った。

「ありがとう、セラミック……」

「……松上さん!」

 いい雰囲気になりつつある場の空気を乱すかのように、中山健一が大声でしゃべった。

「美味しいわ! マイタケのソテーが乗った恐竜ステーキは! 真美さん! 悔しいけど、セラミックの料理は最高ね! 噂以上……だわ」

 吉田真美は照れくさそうなセラミックにウインクして答えた。

「でしょう? 彼女は本物よ!」

 美味しい料理は場を和ませ笑顔を作るのだ。今回もセラミックが腕によりを掛けた恐竜料理は、βチームの結束を深めると同時にそれぞれを満面の笑みにする事ができた。
 厨房のセラミックは、遙かなるジュラ紀に思いを馳せると同時に、食材となった恐竜達にも感謝の心を忘れなかったのである。

「またいつか行くからね……ありがとう。そして待ってて、ジュラ紀!」
 
 店の外では夏の終わりを告げるヒグラシの声が、せつなく夕暮れ空を振るわせながら、秋色の風を運んでくるのが感じられた。

 

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