太陽に抱かれて

 クレマンソー橋を渡り、セーヌ川にかかるしだれ柳を鑑賞したのち、ももはフランス有数の観光地への道を巡り始めた。

 真上を下り始めた太陽が、不健康に近い女の肌を照りつける。ほのかに秋めいた空気を感じるとはいえ、夏はまだそこに存在しているようだ。
 橋を渡った直後はちらほらとスタジアムやサッカーコートやらの建造物がみえていたものの、額に汗がうっすら滲み出した頃には、すっかり陽光を遮るものがなくなっていた。

 何度も何度も汗を拭いながら、ももは歩く。
 視線の先には果てしなく続く道路。気の遠くなりそうな道のりだが、青々とした緑のかおりと、そこにかすかに滲んだ土の香りを吸い込んでは、自分には時間があるのだから、言い聞かせる。

 右手には草原の向こうに悠久なセーヌの流れ、上には雲ひとつない青空。
 途方もない旅のようにも思えたが、白いスニーカーを履いた足は、止まることはない。


 ヴゥン、と重い音を鳴らして、自動車がすぐ横を駆け抜けていく。
 一瞬の風が立つ。

 ふわり、顎下で切り揃えられたももの栗色の髪が、ジヴェルニーの空に攫われた。

「もう、すごいスピード」

 ももは必死で髪をかきあつめる。頬や目元にかかった栗色のすだれをかぶりを振って払っては、頼りない指先で耳にかけ直す。
 すると、晴れた視界の先、ももはあるものを見つけた。

「カンヴァス……?」

 セーヌとは反対、左手の路肩には小さな丘がある。そこに、イーゼルに立てられた一枚のカンヴァスが見えた。
 ふくらはぎに届くか届かないかという、すすきによく似た植物がイーゼルの足元で青空にそよいでいる。
 印象派の愛した村とあって、戸外制作とやらでもしているのだろうか。

 ヨーロッパらしい緑と小麦色の混じった丘に、ももは吸い寄せられるがまま、小さな階段を上がっていった。


「きれい」

 数メートルほど上がった高台、後ろにはセーヌ川とその奥にヴェルノンの街が広がっていた。

 悠々と流れるセーヌに、乙女の艶髪のごとくかかるしだれ柳。西の空から注ぐまばゆい光。揺れる水面に、きらり、きらり、と宝石がさんざめいている。

 だが、ももの目を奪ったのは、それではなかった。
 小麦色の海に建った、一軒の小屋。光のヴェールを被り、その古びた屋根はおろか、開かれた扉や窓、そして部屋の中までもが金色に染まっている。
 木の椅子や、机、それから、小麦色の原っぱに立てられた、一枚の大きなカンヴァス。

 まろやかな陽光を浴びたそれがやさしくもはげしく、視線を奪う。


 ——まるで、天国がそこにあるかのようだった。
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