その青に溺れる

[佐伯瑠貴]と記された表示は紛れもなく自分が飽きるほど目にしていた名前。
それを把握する前に着信は切れ、再び表示される名前に思考が付いて行かず。
なのに手は勝手にスライドして携帯を耳にする。


「はい……」

「いつまで寝てんだ、早く来い」

そう言う不機嫌な低い声の持ち主、それは間違いなく、あの最低で最悪な男の物だった。

「なぁ、聞いてんのか……」

更に低い声がし、息が当たる音に[キスが大好きな]と変な想像してしまい、思わず首を振って答える。

「聞いてます……」

「10分待ってやる、早く出て来い」

「10分は無理です、30分後に行きます」と有無も言わさず切ったものの、10分後には男が押し入って来る図が浮かんだ。

そのままキャリーケースからバスタオルと着替えを取り出して浴室に向かい、男物のボディソープで体を洗い、シャンプーとリンスで髪を洗う。
曇った鏡には[これぞ地味]と言う顔しかなく、使用した物の香りが更にそれを強調させた。
そして丁寧に体を洗い流して浴室から上がり、着替えを済ませて髪の毛を拭う。

ある程度拭ったあと、そのまま適当に化粧をし、青い縁取りのウェリントン型眼鏡を掛けて家を出た。
通路を歩きながら道路脇に停められた男の車を目にし、急ぐこともなく普段の足取りで近づき、助手席のドアに手を掛ける。

ふと視線を投げた後部座席に数冊のヌード写真集と大人のビデオが数本あるのを目にし、『まさかね』と苦笑いを浮かべながら乗り込んだ。
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