センチメンタル・ファンファーレ
お砂糖とミルクを足したカップの中で、ちなちゃんはカロカロとスプーンを回す。

「なんか楽しそうね。実際付き合ってたりするのかな?」

「…………さあ? 違うんじゃない?」

以前、川奈さんが篠井女流の対局の解説をしたとき、終盤で篠井女流が見事な寄せ(玉を追い詰めること)を決めて快勝した。
それを川奈さんは、

『うわー、格好いい寄せですね。篠井さんのお嫁さんになりたい!』

と発言し、話題になった。
……と、ネットで読んだ。
以来川奈さんは将棋ファンの間で“篠井の嫁”と呼ばれることがあるらしい。

ひとり暮らしとは聞いたけれど、彼女の有無は聞いていない。
ミントグリーンのカットソーを着た女性が、マンションのエントランスに入り、エレベーターで二階へ向かう姿が頭をよぎる。

「望の恋愛関係も心配だけど、女流棋士連れて来られたらどうしよう。義姉としての威厳保てるかな?」

「お兄ちゃんなんて相手にされないと思うよ」

昔から聡い子であったお兄ちゃんなら、己が道で研鑽を積んだところで、酒池肉林には通じていないと早々に気づいたはずだ。
お兄ちゃんが結婚したければ、野の花に土下座して、情けにすがるしかない。

「あれでも生徒さんとかファンからは尊敬されてるじゃない? そっちをたぶらかした方が早いかもね」

「お兄ちゃんのことはどうでもいいや」

「誰のことなら興味あるの? ……やっぱりミルクもう一個足そうっと」

冷蔵庫を開け閉めする音が背後で聞こえる。
テレビ画面は盤と対局者の映像に変わっていた。
川奈さんも篠井女流も黙って戦況を見守っているようで、駒音と棋譜を読み上げる声しか聞こえない。

「そんな顔して」

私の顔のあたりを、ちなちゃんは指でくるくると指す。

「気持ちわかるけどね。私も将棋観てるとそんな難しい顔になる。望も川奈くんもよくやるよ、こんなわけわかんないゲーム」

「……そうだね」

私は難しい顔をしていたらしい。

わけのわからない将棋のことなんてとうに放棄して、私の目にはミントグリーンしか映っていなかった。






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